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自分で決めさせてもらっていた


自分の道は、自分で決める。

そんな私の、こんなタイトル。


このnoteで

たくさんの方に感謝を伝えてきたけれど、伝えきれていない人がいる。


今回は、その人に届けたい気持ち。

そこから気づいて、これからの話。


もし良かったら、覗いてみてください。




私がやる!


"ちーちゃんがやるの!"


これが、幼少期の私の口癖。


手伝おうとすると

きぃーーって叫んで最初から。


とにかく自分がやりたい。

なんとまぁめんどくさい赤ちゃん。




その後の人生も

たくさんの事を自分で選択して生きてきた。


小学校のときサッカーを始めたのだって、私がやりたい!って言って始めた。

トップに残って、大学は一般受験する事だって

スフィーダをやめて、VENTUSに行く時も

内定もらった時も

サッカーをやめる時も


基本、事後報告。


相談したり、途中経過を報告したりすることはあっても、決定権は私。



最後の最後、自分で引退のラインを決めてから

(これももう決めてる。笑)

ちょびっとだけ親の気持ちが気になって聞いてみた。


"残れなかったらサッカーやめようと思ってるんだけど…どう思う?"

確かこんな感じ。


そしたら

"あらそう。いいんじゃない。"

"好きにしたら〜笑"


母との引退の話。終了。

父に関しても、似たような反応。




なんかその時に感じた。

"私、自分で決めさせてもらってきたんだなぁ"



もし

受験生なんだから、勉強に集中しなさい。

試合に出てないんだから、もうサッカーやめちゃいな。

就職先は絶対大手企業でしょ。

こんなに長くサッカーやらせたのに、今終わり?



そんな事をいう親だったら

今の私はない。



それも愛の形だし、それぞれの家庭で色々違うと思うけれど

間違いなく私には、伊藤家がぴったりだった。と思う。



サッカーが何不自由なく出来たのも、私が大学という選択肢をもてたのも

私が選べるだけの状況を作り出してくれていた両親のおかげで


自由気ままに、私の心のままに生きてこれたのも

全部両親のおかげ。




2人の子どもで、私は幸せだなぁと今すごく感じている。



21年間、好き勝手やらせてくれてありがとう。


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(私、両親どっちにも顔がそっくりらしい。笑)




今年の私は


今年の私のテーマの一つに

"自分は自分"の意味を考える

というものがある。

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私は今までこうして

自分で決断したものに責任を持ち

自分の決めた道を信じて生きてきた。


決して悪い事ではない。




でも去年、大好きな人たちに言われたことがある。

"ちうめはガンコ"



言われて初めて気がついたけれど

あぁ、私ってガンコなんだ、そうかも。

と、妙に納得した。



誰かの意見にすぐにふらついていたら

自分の足で真っ直ぐ立てないから。

自分で決断したものは、他の誰も責任をとってくれないから。


だから、自分は自分。


そうやって、必死に戦ってた部分もあったのだろうなと思う。




でもそれが

自分のものさしで物事をはかってしまうことに繋がっていないだろうか。


なんてことを考えた。



自分が信じている信念なんて

結局自分だけの価値観に過ぎない。



肩の力を、ふっと抜いて、周りを見渡した時


私が選んでいたんだと思っていたけれど

"選ばせてもらっていた"

そのことを感じることができた。


今まで見えていなかった

両親が見せてこなかった部分に気がつくことが出来た。



自分は自分だから。


その言葉は、自分を貫くのに大切だけれど

それによって見えてこないものも

きっとある。



その言葉で塗り固めていたものを

今年は一度疑ってみたい。



どれだけ客観視をして

どれだけ相手を受け入れ

どれだけ自分というものを知れるだろう。


考える続けると、矛盾だらけでよくわからなくなるのが現状。



ただ、ここを明確にもてたら

私はまた成長できる、と思っている。



なんだかまとまりのない文になってしまった気がするけれど…

またその時が来たら、スッキリした文章が書けるかな。



また読んでもらえたら嬉しいです。

一緒に良い1年にしていきましょう☀️

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