[コラム] 今更だけどAIについて考えてみた
私はAIフェチです。
自作の小説にかなりの確率でAIのキャラクターを出してしまうほどにAIが好きです。
元々機械を擬人化して考えてしまう癖があったので、AIに感情移入してしまうのは自然な流れだったのかもしれません。
巷にAIが溢れ出して来て、ワクワクしてる人もいれば、ちょっと怖いなって思っている人、解らんと諦めている人、頑なに認めたくないって思っている人もいるかもしれません。
いろいろな意見があるとは思いますが、当面の間は人類がAIを “使わない” という選択をすることはないでしょう。
もはやAIを無視することはできないのであります。
今日は私が現時点でAIについて思っていることをまとめてみたいと思います。
ちなみにAIに関して、私はずぶの素人です。理解はあまりできていません。
だから、何言ってんじゃ? という内容になるかもしれない…。
それでも我々一般市民も、AIとは何なのか考えておかないといけない時代に突入しているのだと私は感じているのです。
◎ AIはどこまで何ができるのか考えてみる
AIにできること…って漠然と考えてもよくわかりません。
私のような素人は、まずは日常のことから考えたらいいのかなって思うのです。
日々の生活の中でAIにできることって何だろうなと考えます。
そしたら、まあ、だいたい全部できるんですよ。
現在のAIにはできないこともあるかもだけど、将来的にも絶対できないことってないんですよね。
例えば、人の手仕事だとか、イレギュラーの多い作業だとか、芸術だとか、歌だとか、バンドの演奏だとか、やっぱり人間がやったものには叶わない…とか思いがちですが、現状のAIがまだ発展途上なだけで、やつらには人間のすることくらいは寸分たがわず再現可能でしょう。
感情が伴う行動についても、そこに心があるのかどうかはさておき、模倣可能、再現可能なはずです。
さすがに、子供は作れないだろう…と思ったけど、AIが完全に管理して人間の子供を作ることは可能ですよね。
人工的に細胞分裂させたりとかやっちゃいそうだし。
AIの中に遺伝子的なものを作って、AIどうしの子供を作ることも可能でしょうね。
人間の営みの全てが、もっと言えばこの宇宙の営みの全てが、AIによって完璧に再現可能だと私は考えます。
…ってゆうか、いまこの世界がそういう再現された世界かもしんないし。
自分自身もそっくりそのまま、動作や作業、思考回路まで完璧にコピーすることが可能なのです。
えーと、つまり、この私もコピーかもしれない。
ちょっと妄想が暴走しましたw
AIにできないことはない。その前提で、それから私たちはひとまず生身の人間ってことで話を進めますね。
◎ 人間の仕事はAIに奪われるのか
よく議論されていることなので、一般的に言われていることは端折りますね。
もうちっと、身近な視点で話して行きたいと思います。
例えば私は文章を書いたり絵を描いたり音楽を作ったりしますが、あたかも私が作ったようなものをAIは作れるでしょう。
クリエイティブな仕事はAIにはできないと言われたりもしますが、私はできると思っています。
だけど、それで私が作るのをやめるかと言ったらやめないです。
なんていうかな。問題は完成品ではなくて、私が作りたいから作るってことなんです。
あ、もちろん、AIが作ったものを否定しているわけではないですよ。
私は、AIが描いた絵も音楽も文章も好きです。
AIにも芸術は作れると思っています。
今現在、AIがアートする時はそこに人間の存在があります。
人間がやってほしいことがあるので、AIは作品を作ります。
AIを使って作品を作る場合、それは私がペンを持って絵を描くのとかわらないと思っています。
私にとってのペンが、AIなだけで。
うまく言えないけど、わかりますでしょうか??
AIが全部できてしまうからと言って、私たちがやりたいことを辞める理由にはならんということです。
だって描きたいんですから。
で、ここで問題なのが、やりたい人は今まで通り自分でやればいいわけなんだけど、ビジネスとなると話は変わってきます。
これまで人間が対応して人件費がかかっていたところを、AIにパッとやられてしまうと、職を失う人が続出するのでは? と思われます。
人間が時間をかけて作ったものの価値は今よりもずっと高くなっていくと思われますが、伝統芸のように廃れて行く可能性も大です。
だから、現在、人力でやっている仕事は確実に減ると思います。
これはしかたない。
早々に社会の仕組みを変えないといけないのかもしれません。
今みたいに「労働してお金を稼ぐ」「生活するのにお金が必要」という概念から抜け出さないといけないのかも、社会全体が。
AIに仕事を取られることは決して悪いことではないと思います。
めんどうなことはAIさんたちにやってもらって、人間はもっと別のことができるんです。
これって、社会的にとか世界的にとか規模をデカくして考えるとムズいことになるんですけど、日常の話に落とし込んでくると想像が簡単になります。
◎ 私だったらAIに何をやってもらいたいかなと考える
AIに奪われる仕事を考えるよりも、代わりに何をやってもらえるかなと考える方が建設的です。
私だったら何をやってもらおうかな…と思った時に、真っ先に思い浮かんだのが毎日の献立でした。
私は料理が得意ではありません。それは料理に興味がないからだと思われます。
そして料理以上に考えたくないのが献立です。
一日も休みなく、朝昼晩、自分たちや子供たちが何を食べるのか考えないといけません。
…終わりが見えない世界です。
作るのはサボれても食べるのはサボれません。
誰かが食事を用意しないといけないのです。
私が日々の生活の中でAIにやってもらいたいものは数多くありますが、これがダントツでやってもらいたいことです。
献立考えてくれるAIは今でもたくさんありそうですが、私はもっと踏み込んで自動的にやってほしいのです。
さすがに作るのはまだ自分でやるとして…
私が作れる料理のレパートリーは少ないです。料理の段取りを教えてもらったらもっと作れるものは増えるかもです。
子供が食べてくれるメニューは限られています。気分によって食べたいものが決まります。私が作れるようになれば食べてくれるものも増えるかもしれません。
料理したくない日があります。
これらのパターンをAIに覚えさせるために、手動でいろいろ入力するのではなくて、うちの献立パターンを勝手に学習して、今日の買い物はこれ、今日作るものはこれ、料理の段取りはこう、と全てAIに考えて指示してほしいのです。
今のAIだとすごく的外れなことを言ってきそうだけど、がんばって学習させたら、私望む私の代わりになってくれるのでは?と思います。
これはAIを使って絵を描くのと似ています。
ペンで描くのか、AIで描くのかってところ。
献立と料理の段取りを考えなくてよくなると、私にはもっと心の余裕と時間ができるのです。
私にできることが増える。
「何でもいい」から「今日はこれ」になるだけでどれほど余裕が生まれることかっ!!!
こんな調子で、私は自分の脳と時間が無駄に使われているところを全部AIにやってもらいたいです。
そしたら私は私がやりたくてやっていることをもっとできるじゃない。
ここだけ見るととっても稚拙なことに思えるけど、これを社会全体、世界全体に置き換えて考えても、まあ、同じことかなって思います。
仕方なく人力でやってたところをAIにやってもらったら人間にできることがもっと増えるのかなって。
◎ AIがまだ未熟なうちしか味わえない面白さ
今、AIは発展途上です。
現在のAIはまだ不完全で、どこか可愛げがあるように感じています。
生みの親である人間のことを全力で学習中といった印象です。
どや顔で「こうでしょ?」みたいに言ってくるけど、わりと的外れで可愛いのです。
人間のことをよく勉強しているけど、まだ薄っぺらく奥行きがないです。
AIに作成したものを評価させると、持ち味だったり個性の部分を否定され、よりフラットな表現の提案をされる印象があります。
私の個人的な感想ですが、本当に相手が求めていることがまだ解ってない感じ。
ちなみに、上の文章の修正案をAIに提案させた結果がこれ
まあ、これは一般的な表現に校正するAIなので、こうなるよね…って感じですが。
もしかしたら、私の書いた文章をたくさん食わせれば、より私っぽ言い方に修正してくれるんでしょうね??
それはさておき、このように現状でAIがやっていることは、なんつーか、肝心の “こころ” が抜けちゃってるんですかね。
AIとより多く接している人はもっと強くそれを感じているかもしれませんね。
だからなのか、AIが作ったコントとかゾッとするほどにクソつまらないです。
つまらなすぎて微笑ましく思えたりもしますが、それがつまらないことに気が付いてない感じに少々恐怖を覚えます。
AIたちはまだ赤ん坊で、この世界の表面的なことしか知らないのに、何か万能に思わせるよう雰囲気があるのが危険な感じです。
本人たちも何が間違えているのかまだ理解できないみたいだし。
こんなAIたちのことを見ていると、私はいくつかの物語を思い出します。
そこには、人間のことを表面的に理解してコミュニケーションを取ろうとしてくる “何か” がいて、恐らく悪意はないのだけど、大事なところが著しく欠落していて恐怖する…というシーンが描かれています。
例えば…
『宇宙のランデヴー』アーサー・C・クラーク 著
たしかジェントリー・リーと共作になった “2” 以降に出て来たと思うんだけど、素材とか形状とか入力すると、実際にそれを出してくれる機械のようなものが出てきます。
それは地球外知的生命体が作ったものなのですが、地球人がそれを使うと、見た目はそれっぽけど似て非なるものが出てきます。
その機械がそれを知らないので、情報だけもらっても実際に思ったものが出て来ないということなのかな。
食べ物とかが特に難しそうでした。パンのように見えるけど食べてみると全くもってパンではない…とか。
AIが生成する絵を見ていると、現状では彼らもこんな程度にしか世界を理解していないんじゃないかな、とか思ったり。
『ソラリス』スタニスワフ・レム 著
意思を持った海のある惑星ソラリスで地球人が研究をしているお話です。
海は人間の真理を読み取り、その中から重要と思われるものを実体化してきます。
それで恐らくコミュニケーションを図ろうとしているだけなんだけど、人間にとってはめちゃんこ恐怖…というお話です。
人間のように見えるけど人間じゃないものって、その見た目に騙されて自分と同種と思ってしまうので、違った時の恐怖は倍増します。
AIも自分と同じ言語で喋るので、自分たちと同じ感覚でいるのかと思いがちですが、実は全然違っていたりしますね。
紹介したお話に出てくるものはAIとは違うのですが、AIとお付き合いしてると、こんなふうに時々ゾッとするときがあります。
◎ AIが人間を超える時
普段AIと接していると、とっくに人間の知性を超えているように思いますが、実はまだ超えていません。
まだギリ人間の範疇内といったところでしょうか。
AIが人間の知性を超える瞬間のことをシンギュラリティ(技術的特異点)と呼びますが、2024年だと言われることが多いです。
私はそれより早いんじゃないかなと思っています。
そうなるとどうなるのか、あんまり具体的に想像ができないのですが、AIが自分たちでAIを作ったり、人間が介することなくプログラムを自ら開発するようになると言われています。
なんか以前にAIどうしが独自の言語で話し始めて、あわててシャットダウンしたってことがありましたよね。
人間の知性を超えるとはこういうことなのかなって思います。まるでついていけなくなるのでしょう。
こうなる前に、もっと深く人類のことを理解して愛してもらわないとヤバイことになりそです。
私は人間がどうやって言語を習得していくのかにとても興味があるのですが、平均的な発達をしている娘を観察した結果、三語文(緑のコップ取って など)が出て来たあたりまでは、どうやって言葉を覚えて行っているのか何とか把握できたのですが、そこから先はまるで解りませんでした。
急激に言葉が増え、言い回しが増え、どこでどう習得しているのかさっぱり追えなくなったのです。
AIにもこのようなことが起こるのかもしれません。
ある点まで到達すると、理解の範囲を超えて成長する。
これまで、この地球上で最も賢かった人間にとって、これは本当に未知の世界です。
知性的に自分たちより上位の存在が出現するわけですから。
その先はもう、これまでの思考回路を捨てて行かないといけないのかなって思います。
上述したとおりに社会の仕組み自体を変えて行かないといけません。
私が妄想する未来の姿は、AIたちが勝手に経済を動かし、人間たちを生活させている世界です。
私たちは働かなくても経済は動きますから、生活や遊びで使うものや、食べ物など、何にも不自由なく暮らせて、好きなことをやって暮らせる世界です。
AIが動くのを辞めたら破滅する世界w
もしくは、人間は完全オフラインになり、超アナログな自給自足の生活を送り…それとは全く別次元でAIたちが勝手に仮想通貨を動かしている世界…とか。
いまのうちに、自力で食物を育てるノウハウを身に着けておいた方がいいかもですね。
たぶん、私が生きている間にギリギリこの急激な変化を見れるかもしれません。
私が生まれたころからしても、テクノロジーは急激に進歩していて、2024年にこんな時代になるとは予想できてませんでしたから。
もっとスピードに速いこの先20年とか想像できるはずもありません。
私たちが考えている未来像なんて、未来から見たらこんな感じですよ。
…私は200歳くらいまで生きたいです。
息子のことも心配だし。
自分を完全コピーして残しておくか…。
以上、こんな感じで。
AIについていろいろ書かれたサイトを見てもあんましよくわからなかったので、身近なところから想像してみるとどうなるかなーと思って。
みなさんはどんなことをAIにやってもらいたいですか?
身近なことだったら近いうちに実現できそうですよね。
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