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【掌編小説】夏の香り

シャァシャァという耳障りな音で目が覚めた。蒸し終わったせいろのようなもわっとした空気を入れ替えたくて、這うようにベッドの頭へじりじりと異動した。寝ぼけ眼で手を伸ばし、窓の鍵に手をかける。人差し指にかかった鍵は少し力を入れるとカランと180度回った。最後の力を振り絞って框に手をかけ、左に押しやった。

しかしそれが間違いだった。シャァシャァという音がより一層大きくなって耳の奥へと入り込んでくる。私は慌てて框に手をかけ、窓を閉めた。一瞬の隙間に入り込んできたのは夏の匂いだった。太陽が地面や木や空気を照らし尽くしてしまうような、この季節独特の匂い。

私は頭を枕の位置まで戻した。テーブルに目をやると飲み終えたビールとチューハイの空き缶、パーティー開けしたポテトチップスの袋、雑に剥かれた落花生の殻があった。その残骸の横にあった時計は居心地が悪そうに午前10時過ぎを指していた。

そっか。片付けずに寝ちゃったんだっけ。

テーブルの下には脱ぎ散らかした服があった。酔ったままの勢いでベッドになだれ込み、コトを終えてそのまま寝てしまったのだ。途中で寒くなって起きて部屋着を着た。そのときにエアコンを切ったのが全ての間違いだった。起動し始めた頭が少しずつ現状を整理していった。

左側に目をやると和真は苦しそうな表情をして眠っていた。無防備な上半身に右手を当ててみると少し汗ばんでいてしっとりとしている。いつもエアコンの効いた部屋で寝ているのだから無理もない。私は和真の頭をそっと撫でてから体を起こしてエアコンのスイッチを入れ、ベッドに戻った。

再び眠ろうにも窓一枚隔てた向こう側から聞こえる騒音が眠りの邪魔をする。セミの鳴き声は「ミンミン」だなんて、一体誰が決めたのだろう。私の耳に聞こえる音は少なくとも「ミンミン」とは程遠かった。

エアコンから涼しい風が吹いてきてしばらくすると和真の手足が伸びてきた。あっという間に安心する和真の匂いに包まれる。この匂いもまた夏仕様になっていた。冬に比べると少し汗の匂いが混ざった匂い。だけど夏限定のこの匂いが私は嫌いではない。どことなく”生きている”実感が得られる気がするからだ。和真に伝えたらどんなリアクションをするだろう。引かれてしまうだろうか。

「葵……の匂いがする」
耳元で和真の声がした。
「ごめん、起こした?」
「ううん、エアコン付けてくれた時くらいからうっすら起きてた」
和真は私の首筋に顔を埋めて息を吸う。
「夏、だな」
「うるさいよね、セミ」
「セミも生きるのに一生懸命ってことで許してやってよ。……じゃなくて、葵から、夏の匂いがする」
和真がもう一度首筋の匂いを嗅ぐ。
「ちょっ! 汗かいてるだろうし、あんまり嗅いじゃだめ」

「……俺、この匂い好きなのに」
和真は薄っすらと目を開けながら不服そうに言った。
「エアコンの人工的な冷たい風の匂い。その中で嗅ぐ葵の匂い。夏だなーって。暑くて気だるくても、生きてるなっーて。その匂いが好き」

なんだ。一緒だった。

「和真……そろそろ起きる?」
私は和真の頭を撫でながら聞いた。細くてふわっとした髪は触れるだけで心地よく、いつもいい匂いがする。
「……起きない。でも……寝ない」

お互いの夏限定の香りを感じながらだらだらと過ごす。それで半日以上がつぶれてしまっても構わなかった。それ以上に満たされるものが多いような気がした。

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百瀬七海さんのサークル、「25時のおもちゃ箱」に参加しています。
こちらの掌編小説は7月のテーマ、「夏の香り」から考えたものです。


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