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【掌編小説】寂しそうなサンタクロース

「由香?」
クリスマスケーキを引き取って、改札まであと一歩というところで後ろから呼ばれた。振り返らなくてもわかる。秀一の声だ。だけど語尾に疑問符がついている。聞こえないふりをしてそのまま改札を通り抜けようかという考えが頭をよぎったのだけれど、やはりそうすることはできなかった。

誰に呼ばれたか分からない素振りをしながら振り返った。驚いたように目を見開く自分が馬鹿みたいに思えた。
「やっぱり由香だ。久しぶり」
「秀一! 久しぶりだね。元気だった?」
「うんうん、元気。今日も絶賛外回り。でもってもう帰ろうかなと思ってたときに由香っぽい人発見してさ。でも今、支店、この辺じゃないだろ? だからちょっと自信なくて。用事かなんか?」
「ケーキ取ってきてて」
「ケーキ?」
「クリスマスケーキ。今日23日だけど、明日は土曜日で混むだろうから引取、今日にしてて」
「なるほどね。相変わらずしっかり計画立てて動いてんのね」
そう言いながら私が提げている紙袋に目をやる。
「あ! それってもしかして」
「東京駅構内のカフェの、王道のストロベリーショート」
「あーあそこのやつ、うまいよなぁ。よく食べたよな」

私がこのストロベリーショートケーキを食べるのは2年ぶりだ。スポンジのキメが細かく、口当たりがなめらかで、クリームシャンティの甘さが絶妙なシンプルなショートケーキ。3年前、秀一と付き合っていた頃はよく一緒に食べた。仕事の帰りに待ち合わせてイートインで食べたこともあるし、喧嘩した次の日、秀一がテイクアウトしてきてくれたこともある。そんな、秀一との思い出がたっぷり詰まったショートケーキ。

ずっと買うのを我慢していた。口にしたら最後、あの頃のことを思い出して悲しくなると思ったから。だけどあれから2年。彼氏ができたわけではないけれど流石に傷口も塞がった。もう大丈夫だろうと今年は勇気を出して、しかも奮発してホールでストロベリーショートケーキを予約した。それなのにどうして今日に限って秀一に再会してしまうんだろう。

秀一とは何もかもがぴったりだった。食の好みも、音楽の好みも、考え方も、全て。些細な事でたまに喧嘩はするけれど、一緒にいて苦だと思ったことは一度もなかったし、きっといつかは結婚するんだろうな、なんて漠然と思っていた。

あの日は突然やってきた。なんでもないただの土曜日。秀一の家で昼ご飯を食べ終わり、バラエティ番組を見ているときだった。

秀一の携帯に電話がかかってきた。いつもならその場で電話を受けるのにその日はなぜか「ちょっと」と言って玄関から外へ出ていった。もちろん私は不穏な空気を感じたのだけれどどうすることもできずただ目の前の映像をぼーっと眺めていた。

程なくして秀一が戻ってきてからどのくらいだろうか。気まずそうに私の横に座っていた秀一が口を開いた。

「あのさ、由香。実は俺、由香以外にも気になっている……というかよく気にかけてしまう人がいて」
「……え?」
「いや、支店の同じチームの先輩なんだけど、仕事で立て続けにミスしているときがあってさ。で、手伝ってそん時に色々話聞いて。プライベートのことだったんだけど、そっちが心配で仕事に派生? しちゃったみたいで。でなんかその……突き放せなくて」

そんな事実を聞かされているのに私は、どこか他人事のように感じていた。あぁ、ドラマみたいなことって現実で本当に起きるのだな、程度に。
「うん。……で?」
「いや、由香のことが嫌いになったとかではないんだけど」
「けど?」
「その……」
自分から話を切り出してきたのに秀一はそこから口を紡いでしまった。今の電話もその先輩なのだろう。あんなにぴったりだと思っていた秀一は私の知らないところで次第に形を変えてしまっていた。私だけが秀一の存在に安心しすぎて気づいていなかったのだ。

「嫌いになったとかではないけど、私よりその人のことが、好き?」
秀一は口を紡いだままだった。何も言わないということは肯定ということだ。

「……わかった」
私は静かに立ち上がった。
「由香、もうちょっとちゃんと話を」
「何を話すの? 話して何かが変わるの? 話題を振ってきたってことはある程度覚悟をして話し始めたんじゃないの?」
淡々と秀一に言葉を浴びせて家を出た。

昨日までなんともなかったのに。ぴったりだと思っていたのに。その日は11月の末で、タイミングを見計らってクリスマスプレゼントは何がいいか聞こうと思っていた。タイミングが来ていなくてよかったと思った。いや、タイミングが来なかったのも、もう「ぴったり」じゃないことを暗に示していたのかもしれない。

結局秀一は追いかけて来なかった。後日、謝罪の連絡がきた。それが正式なお別れのサインだった。

「秀一は?」
「え?」
「秀一は今年のクリスマスケーキは、どんなやつ食べるの?」
少しの沈黙の後、秀一が少しだけ寂しそうな目をして言った。
「わからん」
「……そっか」
「ん」
「……じゃあ、帰るね。これからもっと寒くなるから、体調、気をつけて」
私は半ば強制的に会話を畳んで帰路についた。

今年のクリスマスケーキに関する秀一の答えは「買わない」とか「食べない」ではなかったということは少なくとも一緒に食べる相手がいるのだろう。あのときの先輩だろうか。うまく、関係が続いているのだろうか。だったら……最後に見せたあの寂しそうな目は一体何だったのだろう。あの懐かしい表情が心にひっかかって離れない。……いや、もはや私には関係のないことだ。今日、秀一に遭遇した記憶を何処かへ飛ばすように私は思い切り首を左右に振った。

冷蔵庫に向かい、ストロベリーショートケーキを取り出した。ホールケーキだし、クリスマス前だけど今日、少しだけ切って食べてしまうことにした。たった数分、秀一と話しただけなのにかなり疲弊していて、身体が糖を欲していた。

ケーキ箱をゆっくりと開けクリームが箱につかないように台紙をそっと手前に引き出した。ホールケーキのど真ん中にはちょこんとサンタクロースが飾られていた。

そのサンタは、どこかで見たような少し寂しそうな顔をしていた。

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七海さんのこちらの企画に参加させていただきました。企画&とりまとめ、ありがとうございます。

昨年に引き続いての参加。ただ、小説を書くのは本当に久しぶりで、おかしな箇所に気づいた方、もしいらっしゃったらそっとしておいてください。

拙い文章でしたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

クリスマスは今週末。素敵なクリスマスをお過ごしください。メリークリスマス!

いただいたサポートを糧に、更に大きくなれるよう日々精進いたします(*^^*)