2024年1月18日 木よう日

 15日の日記で、まいにち書けたらいいと言ったのに、日があいてしまった。単調増加的によくなることはむずかしいとはわかっているつもりだけど、あんまりにも一進一退なので、自分で自分にがっかりしてしまう。

 16日の火曜日は今年初めての通院で、先週ドタキャンしてしまった心理療法の日だった。夕方からの予約だったけれど、日中は何をしていたのだっけ。日記を書いて、キッチンやダイニングを片付けたりしていたのだっけ。朝から活動していると、どうしても昼間、日が高く昇ったくらいで眠たくなってしまい、1時間ほど昼寝をした。

 心理療法を30分ほど受ける。出来事と、それに対する自分の反応を、考え・感情・身体反応・行動の4つに分けて考えましょう、という枠組みを教わる。これは認知行動療法についてインターネットで調べていた時によく目にするものだ。目新しくもないし、なるほどとも思わないでいたけれど、では実際の出来事を例にやってみましょうと言われてやってみると、思っていた以上にいろいろ考えていたな、ということに気づいてびっくりした。

 例にしたのは、さいきんの日記にも書いた、さきっぽがかけたキャロットケーキのこと。はじめは、「考え」の欄に「ほかの人より損した」「雑に扱われた」と書いて、「感情」のところに「しょんぼり」「いらっとした」「かなしい」と書いた。身体反応はなくて、行動としては、食べ始めるのが遅くなったと書くと、心理士のKさんが、ひととおり埋められましたね、ほかに何か書き忘れていることや追加することはありますか?と言った。
 ひととおり項目が埋まったワークシートを眺めて、ちょっときれいすぎる、と思った。それで、これはよそいきだ、と気づいた。
 あのときもっと、かなしくて、いらいらして、落ち着かない気持ちだった。
 あの、考えのところに、もっとありました、と言って追加で埋めた。「ケーキを変えてほしいと思ったけれど、それをお店のひとに言ったら、ケチだと思われるかもしれない」「かといってこのまま気にせず食べるのも損したみたいでいやだ」「ほかのひとはこういうときどう思うのかな」するとKさんが、「ほかのひとがどう思うか気になる?」と言った。
 それで、そう、わたしはほかのひとがどう思うか気になるのだ、と気づいた。
 それは、ほかのひとによく思われたいというのとはちょっと違う、と思う。
 いやなことや、ありえないなと思うことが起こると、ほかのひとから見たらどうなのか、気になる。だって、ほかのひとから見たらありえないわけじゃないからこそ、自分にとってありえないと思うことが、起こるんだと思うから。これがありえなくない理由を教えてほしい、と、思う。
 「拒絶反応が起きた時に、その自分の感情が妥当かどうかの判断にさらされているように感じて、ストレスになっているのかもしれませんね」
 そうなのかもしれない、と思う。
 
 復職した時にまた同じことにならないようにしたい、と伝えていたので、それならあんまり時間がないので、毎週1回、1時間でやっていきましょう、とKさんから言われる。通っている病院の心理療法は保険適用外で、1時間で5000円だ。あんまり安くはないと思うけれど、実際にお金を払って専門知識のある人と取り組むと気づくこともあったし、週に1回出かける予定ができると外に出やすくなるので、通うことにする。10回以内で完了するように頑張るので、と言われ、そのくらいならぜんぜんいいなと思う。10回通ったとしても、休職状態における1か月の減給ぶんにも満たないのだから。

 17日の水曜日は朝から人事課と面談だった。30分足らずのみじかい面談だったけれど、いやな気持になって、落ち込んでしまった。
 こう書くのにも1日半くらいかかった。
 昨日のKさんの説明を思い出す。「同じ出来事でも、それに対する考えや感情は人によって違っていて、それはどの考えや感情がいいとかわるいとかではなく、自分にどんな癖があるのか、他にどんな考え方があるのか、知っておくことに意味があると思います」いいとかわるいとかではなく?どこか遠くの国で戦争がおきたニュースを見て「戦争が起こるなんて漫画みたいで面白い、ウケる」「戦争特需おこればいいのに」と考えてうれしくなるのでも、いいとかわるいとかはないのだろうか?内心の自由があったとしても、そういう考えは、善悪の判断基準に乗らないのだろうか?これは極端かもしれなくても、場面によって、ものの考え方にいいとかわるいとかがあることって、ないんだろうか。
 人事課から、わたしがうまく適応できなかった同僚にも彼なりの仕事の進め方ややり方があって、それを理解しようとしてもよかった、というようなことを言われて、そんなことを考えた。
 仕事をする上では、いいとかわるいとかって、あるのではないだろうか。
 いいとかわるいとかの基準がない場合は、基準がなくてもいいという考え方に、いいとかわるいとか、あるのではないだろうか。これは今度の心理療法の時にKさんに訊いてみよう。

 それと、今回の件についてどういう振り返りをしていますかと言われ、振り返りってなんだよと思いながら、休職中におともだちに相談したらこう言われて、そうなんだあと思った、と話したら、「そのおともだちのアドバイスはすごくいいですね、その通りだと思います。そういうアドバイスをしてくれるよいおともだちが千代子さんにいて安心しました」と返された。じゃあなんでわたしがはじめ相談した時におんなじことをアドバイスしてくれなかったんだよ、というのと、安心しましたってあなたがたは誰目線なんだよ、と思った。「休職中に得たその気づきはこれから働いていくうえでも大事になってくると思いますよ」とも言われ、だからあなたがたは誰目線なんだよ、わたしのおともだちのすてきなところを自分たちの手柄みたいに言うけれど……と思ってしまった。

 落ち込んだりいやなことがあるととにかく眠ってしまう。起きなきゃとか何かしなきゃとか思うより前にとにかく眠る。それで17日はずっと眠っていて、今日、18日もずっと眠ってしまった。

 いやだったことについてこうして文章にして、こんどの心理療法で相談しようと決めたから、明日からはまたがんばって朝に起きて夜に眠れるようにしたい。

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