2024年2月2日 金よう日

 一週間空いてしまった。今週の日記ということにして書く。

 29日の月曜日は映画を2本観た。ポスターのビジュアルが出てからずっとなんとなく楽しみにしていた『哀れなるものたち』と、Twitterで評判だったので気になった『カラオケ行こ!』の2本。
 『哀れなるものたち』は映像がきれいで音楽がよかった。主演のひとがうつくしかった。でもそれだけな気もした。それだけって、それだけでもじゅうぶんすごいことだけれど。
 胎児とか、子どもが、特殊な環境に置かれる話はフィクションにはたくさんあるけれど、毎回、なんとなく腑に落ちないところがある。『哀れなるものたち』だと、そんなに早く性的なものに興味がわくだろうかということだ。わくのだろうか?性的なものもおもしろいし興味を引くと思うけれど、それ以上にもっと、おもしろくて興味を引くものだらけな気がするのだけれど。似たような(?)ものでいうと、『チェンソーマン』のデンジが顔のいい女と付き合ってキスしたりエッチなことしたいと思うのもなんとなく疑問だった。容姿のいい女と性的なことをするのがそんなにいいものだって、社会の中で生活しているのでなければどうやってあこがれることができるのか、疑問だったのだ。パンにぬれるものはなんでもぬりたいというのはよくわかるのに。
 あとラストの、ヤギの頭を移植された男があんまりおもしろくなかった。わたしは一瞬、死にかけているゴッドの脳を移植するのかなと思ったのだ。でもそうしなかった。なんでだろう?ゴッドが死ぬのはよくて、あの男が死ぬのはよくないのは、ちょっと不思議な感じだ。
 『カラオケ行こ!』は、よかった。中学生の役を演じた俳優さんがとてもきれいだった。「狂児のアホ!」と叫ぶシーンで「それはもうI love youじゃん……」と思った。ちょっと、ほろりときたシーンがあったのだけど、どのシーンだったか。忘れてしまった……。チンピラにからまれたのを助けてもらって、屋上できゃいきゃいおしゃべりするシーンだったか。「げんきおまもり」のシーンだったような気もする。最後に狂児と連絡が取れなくなってそのままでよかったのにと思った。続編の『ファミレス行こ!』が出ているのを知っていたのが盛大なネタバレだった気がするな……全編を通して……。

 30日の火曜日は通院日。カウンセリングの2回目。ノートに、ストレスのかかった出来事を3つ書いてそれぞれへの考えとか感情とかを書いていった。
 ひとつ仕事のことを書いた。問い合わせ対応でいつも気を付けていることがあって、それは相手が何を欲しているのかをよく考えることと、相手から見たときにたらい回しになっていたりわかりづらくなっていたり無駄な手数をかけたりしていないかということだ。それがうまくできていなくて後任者に迷惑をかけてしまったときのこと。問い合わせ相手も混乱させてしまったと思ったこと。
 「たらいまわしにされたとか、前と言ってること違うじゃんとか、問い合わせしてきた人が思っているかどうかはわからないですよね」「自分の考えを改めてみてみて、そんなにたいした大失敗でもないなって、そういうこともあるよなって思えたのはいいことですね」そうして腑に落ちる。「自分はそういうことされたらそう思ってしまうから、そう思われないようにって気にしてしまうし、そういうことする人を許せないのかも……」というと、Kさんは何をいまさらというように間髪入れずに「そうでしょうねえ」という。そんなに!あからさまなのか!わたしは!
 でもよくよく考えてみるとそうなのだった。自分がされていやなことが山ほどあるから、それをしないように気を付けて仕事をしていて、それがただしいと思っていた。でも、他のひとはそんなの全然気にならないのかもしれないし、そうだとしたら、わたしの、自分がされていやなことは絶対にしないという謎の信念は、ただからまわるばかりだったのだ。自分が失敗すればストレスだし、他人ができていないのを見ても、ストレスになる。
 毎日生きていられればそれでよく、わたしの仕事っぷりいかんで人が死ぬことはない。たぶん。だいたいは。とくに、ひとの仕事の出来にも頓着しなければ、もっと。そもそも、他人の仕事に頓着する必要はない。というか、すくなくとも、いまのわたしにその必要はない。まず間違いなく。
 漫画家のひとが自殺してしまったことも書いた。「どうせ死なないと問題視されないんだと思った(電通や宝塚の件みたいに)」と書いたら、「そうかなあ?電通の件は確かに自殺によって過重労働が問題視されたように思えるけれど、宝塚の件はなんだか話題に上らなくなって忘れられつつあって、大丈夫かなあという気がします。今回の件は、自殺する前からけっこう話題になって問題視されていたような印象がありますし、どのケースも違う経過というか受け止められ方、報じられ方をしているように思いました」と言われて、確かにそうだなと思った。「それと、死ぬと忘れられるんですよね」とKさんが言い、そんなものかもしれないとも思った。わたしは、忘れられようが何だろうが、とにかく、自殺できるのはすごいなあと思ってしまう。

 31日の水曜日。あまり覚えていないなあ。あんまり元気が出なくて、廊下のクッションフロアの張替えやこうして日記を書いたり、いろいろやることはあったはずなのに、なんだか元気が出なくて、長めに眠ってしまう。起きて、スプラトゥーンをやった。ゲームは苦手なのだけど、もっと調子が悪かった時に観ていたVtuberの実況でスプラトゥーンを見て、おもしろそうだなあと思っていたのだ。そしたら、妹がSwitchを持っているというのでもらった。元彼と一緒に買ったもので別れた時にそのまま家に置いて行かれて、つらくて押入れに封印していたのだそうだ。わたしにはなんの思い入れもないのでありがたく受け取った。ラッキー。わかばシューターでぬりぬりするだけでほとんどキルもできないけれど、その、色塗りをするという単純作業がなんとなしに楽しくて、その日だけで6時間くらいやってしまう。それでも、時間がつぶれるのはほんとうによいことだ。

 2月に入る。1日の木曜日は産業医面談だったけれど、復職先の連絡が来ていないので、何を話すのだろうと困っていたら、先生もまだ決まってないの!?と困っていた。その場で人事課に電話をしてくれて、実はつい最近決まったそうで、この後すぐ30分くらい話せないかと言われる。急だなあ。産業医の先生は、来週の月曜日からリハビリ勤務ということで進めましょうと言う。急だ。
 人事課に行き、配属先が通知される。異動させてもらえてほんとうにありがたいことだなあと思っていると、人事課のひとがいろいろと言う。それがことごとく、よくわからない。よくわからない、という顔をしてしまう。泣きそうになる。というかこの人はわたしの話をあんまり聞かないのに、なぜ
このように大量の注文を(とわたしが感じること)をつけてくるのだろうか……と思う。わがままを通してやったんだから、ということだろうか。それなら、こういう要求をのめるなら通してやるがという交渉があるはずなのではないのだろうか……。
 人事課って苦手だ。同じ職場で働いていて、内実はそんなことないのをわかっているはずなのに、人事課として言わなくちゃいけないと決まっているのであろう、建前しか言わないから。不思議だ。建前を建前じゃなくする理屈や考え方がないなら、お説教されてもよくわからない。上司ならまだしも、人事課の人たちってたいていの人の働きぶりとかも結局、近くで見ていたことがないわけだし……。じゃあまじめに受け取るだけ無駄なのかな。結局は人事周りの事務作業をしているだけのひとなのだし、そう思えばいいのかな。
 心理療法とは全然違うなと思う。当たり前だけど。心理療法は、まず、わたしが望んでそれを受けている。わたしには、聞く準備や話す準備ができている。そして、心理士の人は、専門的な知識や経験がある。それから、わたしと心理士さんの間には、共有された目標がある。ストレスのかからない考え方やストレスへの対処法を身に着けるという目標。期限まで共有されている。正式に復職するまで。
 そう思うと、企業の人材育成なんてのはほんとうにおかしな話だ。まず人事課の人間は専門家ではない。少なくともわたしの会社では。専門家が常駐していることがなく、それどころか修士学位すらない、それまで全然違う仕事をしていた人間が、その数年、たまたま人事課にいるだけだ。人事考課や職位の定義が共有されていると思えない。実際と乖離していて、笑ってしまうくらいなのだ。そしてわれわれ従業員に人材育成上の希望などない。年功序列なのだから。ほんの少しの昇給を望むのだとしても、それは人材育成がどうとかよりも、結局のところ、直属の上司の顔と同僚の顔を見つめるしかやることがないのだ。
 そう考えると、人事課って、むなしいものだな……と思った。今は。
 でもその日は帰りに大戸屋によってカキフライ定食を食べてもあんまり元気にならなかった。昨日からはじめて楽しかったスプラトゥーンも30分もやらずにやめて、眠る。いやなことがあるととにかく眠る。

 2日の今日、金曜日は、本当は病院へ診断書を取りに行って、その帰りに近くの喫茶店で本を読もうと思っていたけれど、眠りどおし。またすこしだけスプラトゥーンをする。妹と電話をする。仕事に感情はいらない、と妹が繰り返し唱える。女優になるの。難しい。
 復職したら、とにかく毎朝出勤することと、大きな声であいさつをすること、それから人に話しかけられたらにこにこすることだけを頑張りたい。

 

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