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育児ストレスをなくすことは子供への贈り物

小学生の、「マット運動・とびばこクラス」に参加した時のこと。

私は子どもの頃からこういう運動が苦手なので、自分の子どもには苦手意識を持って欲しくないなぁ、という思いから、参加してみた。

子どもが3グループに分かれ、一人ずつマットに走っていって、前回りをする時間の時。

子供は一列に並んで順番を待ち、自分の番が終わったら列の最後につく。

ところが、この単純なことがスムーズにいかない。たちまち列で押し合いへし合いが起こり始めた。特に男子って、ほんとああいうもんだよね。。。

私の子ども(女児)は運悪くというか、男子ばかりの中にたった一人入らなければならないグループで、押し合い突き飛ばし合いの中にいる…

あいつが押した、いやあいつが突き飛ばしたと、列の男子たちは声を荒げている。はじめはちょっとふざけあい、じゃれあいみたいだったのが、見るからに殺気だってみんなイライラしている。場所が狭いというわけでもないのに、小競り合いはなかなかおさまらず、泣いてるような子もいた。

親たちは少し離れて子供たちの運動の様子を見ている。
自分の番が来てしまえばマットに向かって走っていって、本来の目的ができるけど、その時間よりずっと長いこの、列での待つ状態がとにかく、、

私は、親が出て行くべきかどうしようかモヤモヤしながら、とりあえず黙って見ていた。

こんなもんだと言えばこんなもんだ。

そのマットが終わって、子どもが私のところに帰ってくる。
「マットはほんのちょっとだった。とにかく押されて痛くて、男子に嫌なことばっかり怖い声で言われるし、嫌だった」と言っていた。

ああ、やっぱりそうか…見ているこっちも、肝心のマットより、列のことがずっと気になる状態だったもんなー、、
うーん、明日もこんな状態じゃなあ…

明日もあることなので、「嫌だったねえ、大変だったねえ」でその場を終わりにしたくなかった。

しばらく考えて、「もし明日もグループが同じで、同じような状態になったら、(私のところに)逃げておいで」と話した。
「こら!やめなさい!」と親が出て行くのも一つだけど、「子供の判断で脱出」をすすめてみた。

学校でもこんなことはしょっちゅうだろうし、学校じゃそうはいかないけど、せっかく親のいる場なんだから、今回はそうしたらいい。
まぁこんなことすると、そろそろ「あいつ、ママのとこ行ってる~」と、笑われる時期だろうけど、器械体操を習いに来ているのに、「たのしいうんどう」のために来ているのに、これじゃなあ…

痛い嫌な思いするために来てるわけじゃないんだから。我慢してそこにいる必要ないだろう。

こういう選択肢って、私は人生の途中まで発想になかった。なんかそれでも我慢してそこにいなければならないような、そんな観念が強かった。

「~~のために来ているのに、なんでこんなことに神経使わなきゃならないの?これじゃ何のためにここに来たんだか… 」
こういう場面って、往々にしてあると思う。

自分の意志とは無関係に巻き込まれてしまうことも多いけど、いつまでもそのままただ我慢じゃ駄目だよね。

我慢のかわりに、「何のためにここにいるのか」我に返って、離れる、別れる、辞める、逃げる…

本来の目的が妨げられるようなら、自分を大切に守って、そうする選択肢もあること…今回の些細なことを通して学んで欲しいなあ~、と思った。
その悪い状況を変えられれば一番だけど、そうもいかない場面も多い。

この選択肢は、人生を大きく左右すると思う。これがなかったら、いつもただ我慢を続けて、愚痴こぼしながら、全てを諦めて生きることになりかねない。

「子供にとって、一番の自信になることは、子供と一緒に親が楽しんでいること。『自分は誰かと一緒に幸せになることができる、自分は人を幸せにできる』という、子供の将来にこれほど大きな力を与えることはない。親が自分(子供)のために我慢をしている、犠牲になっていると感じると、重い鎖のようなもので、子供は恩や有り難さと共に、重苦しさ、負担も感じるし、将来子供もまた、自分は犠牲にならなければならないという暗い意識を持つようになる」

そんな内容を読んだことがあって、私は、これは本当にその通りだと思った。

それまで、親の自分が嫌でも、子供が喜ぶなら、私は我慢するべきかなぁ、という意識だったけど、子供も楽しめて「私も楽しめる」ことを選択するようになった。
そうすると、自分の中に嫌な疲労感がなくなっていって、充足感、幸福感が上がるのを実感した。「子どもを持って楽しい、幸せ」と自然に思うようになるので、確かに、これほど子どもにとって良いことはないのではないかと思う。

生きていれば、勿論辛いことはたくさんあるし、毎日のニュースも脅えるものばかり溢れているけど、世の中にはこんなに楽しいことがある、生きてて幸せということを、何気ない日々を無理せず、楽しめるものを楽しみながら親が実証すると、子供には一生モノの財産になるのではと思うようになった。

「人生とは辛く厳しいものだ。苦しみに耐えて強く生きなければならない」というのは、「楽しい、幸せ」という実体験の下地があってこそ初めて生きることで、その下地なしでは、逆に人間を潰す可能性が高いのではと思う。

特に子供が小さいうちは、どれだけ楽しく笑う体験ができるかを最優先に意識したいと思ってきた。
私は意識しないと、すぐネガティブで悪い方に引っ張られ、飲まれてしまうから。

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