見出し画像

Pay it forward

私の信条
①受けた恩は忘れるな
②与えた恩は忘れろ
③恨みは十倍返し
④③は自分が幸せになることで叶えよ
⑤悪に染るな負けるな
⑥続けようと思ったけど、多すぎるからこの辺にしとくわ。今日は①②ついて話そう。

日本にはお返し文化が存在している。お土産を貰ったら次の機会は自分が買ってくるとか、冠婚葬祭で頂いたお金は半分返す等の何かしてもらったら何か返す文化。物ではなく何かお世話になった時も、何かしらの形にして「お返し」することが多い。私も幼少からそのように育ったし、そのようにしてきた。

東北の震災の際、Twitter(現X)で知り合った方に被災者家族を紹介してもらい個別に支援したことがある。その方はまだ二十代で小さな赤ちゃんがいらした。震災から一ヶ月が経とうとしていた。「必要なものは何ですか?」とメールで聞いたところ「何でも良いです」との返事。何でも良いと言われても、何が欲しいのか見当もつかなかったので、思い切って電話してみた。状況を聞くと、水は出るがお湯は出ない、洗濯洗剤がないため津波の後処理で泥まみれになる洋服がちゃんと洗えない、電気は復活したがガスは出ない、頭は水で洗っているが、ドライヤーもない為非常に寒い、肉はこの一ヶ月食していない、食べるものはレトルトか缶詰がほとんどなどと仰るではないか。私は被災者の生活を甘くみていた。一ヶ月経ってもそんな状態なのは報道されていなかったし、ショックだった。「何でも良い」理由がわかった。ハッキリ言って何もないのだ。取り急ぎ、ドライヤーと果物、洗濯洗剤等その電話の話から考えられる思いつくものをパッキングし送った。津波の影響もあり衣類なども必要そうだったので、幼稚園のママさんに声がけしてクリーニングが終わっているコート、ジャケット類と未使用のタオル、未使用の食器などを持ち寄ってもらい送った。数が大量だったので、もしも自分の家族で消費できない場合には、近所の人に分けてもらいたいと話しておいた。余ったらどうしようと思ったが、ご家族の必要分を取った後、フリーマーケットスタイルで「入り用のものがあればご自由にどうぞ」としたら秒でなくなったと聞いて、良かったと思うと同時に行政からの支援が行き届いてないことに怒りを覚えたりもした。そんな時、支援した方からお礼のメールと共に何かお返しがしたいと言われた。いやいや、まだまだ大変中お返しは一切考えていただかなくて結構、そのお金はお子さんのために使用してもらいたい、いつこちら側が被災者になるかもしれないので、その時はまた支援してくださいとお願いし「お返し」を断った。

私はそう言う時「お返し」ではなく「恩送り」を推奨している。自分が受けた恩を次の人にパスするのだ。「恩返し」の場合、恩を受け取るのは一人だ。「恩送り」は無限大の人が恩を受けることになる。お返し文化も悪くない。けれど、恩送りスタイルにすれば、もっと多数の人の助けになるのではないかと思うのだ。

ちっちゃな事でいいのだ。先輩に奢ってもらったら、いつか後輩に奢ってあげるだとか、困っている人がいる時、その一瞬を助けてあげれば良い。そうやって恩送りスタイルを続けていけば、より良い社会になるのではないかなと思っている。私が子供の頃、おじいさん(笹川良一氏)が、一日一善!とテレビで言っていたが、大人になって考えるとそれは正に「恩送り」を推奨する言葉に思えてならない。


※イラストお借りしました。t0m0y0さん、ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?