記憶と記録

このところなんだって失念してしまう。観た芝居や映画、読んだ本、タイトルはほぼ覚えていない。
先日、ラッパ屋の舞台公演『父の黒歴史』を観に行った。舞台転換のない昭和のお茶の間劇場って感じがとても好きで、これまでも何本か観ている。終演後、過去の上演台本が売っていたので、お!と思いバーっと見たけれど、どれを観て、どれを観ていないのか、なんだかさっぱりわからなかった。
あんなに面白かったのに!

よく話をする知人の経歴や、前に話したことは覚えているけど、名前が出てこない。
加齢は人からもくじを奪う。
のか?

いや、加齢のせいにしてはいけないな。私よりおじいさんの友達の方が記憶力良かったりするもの。あーぁ、切ない。

おそらく私の脳ミソは容量が少ない。まぁなんたって少ない。
でもね、仕事の行程を覚える、構成を組み立てる、なんてのはわりとできるんです。
仕事に集中しているときにはものすごい資料を読み漁り、記憶しておくこともできる。
そのかわり他の記憶をぜーんぶ消去してしまうのよね。押しやる。どこかに。
そしてその仕事が終わるとまた、その内容をぜーんぶ忘れちゃう。次の仕事のために記憶のハコを空にしなければいけないから!

そういうことで、記録ってすごいなぁと思う。忘れちゃっても書いてあるわけだから!
記事になってたりすれば、おお!こんな文章書いたか。ほんとに自分の文章か?なんて新鮮な気持ちで読めるのが謎だけど、そうだったそうだった、と納得できる。
記録は自分を補助したり、保護したりしてくれるわけです。

が、こないだ凄い人に出会ったのですよ。
こちらが聞きたいことを瞬時に理解して、頭の中にあるファイルからそれに適した話をポン、と出してくれる。
前にした口約束、そこにいる人のエピソード、これまで関わった仕事、全て記憶の中にファイルされているというイメージ。とても仕事ができる人。
頼りになる人なので、相談事も多い。電話がひっきりなしに鳴っている感じ。その内容を頭の中に記憶してるんですね。
彼は目が見えないのです。わずかな光を感じるだけ。
だから記録して目で確認することはできないわけです。(pcに入っているものは音声で確認できるし、秘書もいますが、基本は頭の中にあります)
いや凄い。天才だと思った。

頭の中どうなってるんだろう。記憶の図書館があるのかもしれない。

そして彼は人の強みになるところを生かす天才。悩んでいる人に、「できないことを並べてもしょうがない。何ができるかを教えて!」って言う。そしてひねり出したわずかな“できること”をグイッと引っ張り出して開花させる。お見事です。本当に。

私の記憶力は乏しい。けど、そこに注目して悔やんでも仕方ない。
潔く記録に残して読み返そう。
できないことはできない。
できることを伸ばしていこう。

そう素直に思える、ステキな出会いでした。

#エッセイ
#日記

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