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恐れが愛に変わるとき

今から約2年前、誰1人分けへだてない「いのち」の尊さを伝えたくて、本格的に講演活動を始めることに決めた。


それまでもいくつかのご縁がつながり、講演をさせていただく機会をいただいていたけれど、その時期ちょうどタイミングよく、あるエージェントさんが私の存在を見つけてくださり、活動の幅が大きく広がった。


ところがそこで思いがけず安全大会で、「安全」をテーマにした講演を依頼されることが増えた。


今思えば、コロナ禍に最愛の姉をがんで失い、2人目の子供を出産した後で、心身ともに非常に不安定な中で、なんとかバランスをとっているような状態だったから、私には少し負担が大きすぎたのかもしれない。


それまでは、私を応援してくださる方々や、子供を持つお父様、お母様方、学生さんなどに話すことが多かったから、あまりにも様子が違い、私自身少し戸惑ったのかもしれない。


講演を重ねるたび、少しずつ安全大会でお話させていただくことが苦しくなっていった。

安全大会の講師として、私は相応しくない、足りないと、いつもそう思っていた。

なぜなら私は、聴いてくださる方々が、日々どのように危険と向き合われているかについても、日々何を感じているかについても何も知らないのだから。

直接的であれ、間接的であれ、日々命の危険と向き合いながら、働かれている方々(その多くが男性)の気持ちなど、そう簡単にわかるはずもあるまい。

6月に、講演の準備をしながら、だんだんと身体症状が出始め、このままではもう続けられないと思い、9月以降の新しい依頼を断ることにした。

そこにあるのは使命感よりも、このままでは自分を保てなくなるという恐れだった。

少し情けなかったけれど、社会のためにとか、そんな大それたことではなく、あらわになった自分の傷に気づいた以上、今は自分をいやすこと、そして目の前のたった1人の人が癒えることに立ち会うこと、もうそれで十分なんだと思った。

とはいえ、すでに決まっている講演は全力で伝えようと準備を重ねた。


6月の中旬、ある講演後にその企業の若き経営者の男性が、感想を伝えにわざわざ控え室に足を運んでくださった。


「今日はありがとうございました。私たちは命がかかっているから、ミスが許されないんです。だから実のところ、ミスを犯したらペナルティを課しています。

でも今日お話を聴いて、今後私たちがそれぞれに抱えている「恐れ」と、どう向き合っていくか、とても考えさせられました」というような事を仰ってくださった。


私はいつも相応しくない、足りないと思っていたけれど、この方は私の拙い話から大切なメッセージを受け取ってくださったのかと思い、内心ほっとした。


そして、その方の強さと優しさを併せ持った表情に、何だかとても癒され、背中をそっと押してもらえたような気がした。


その後次の講演に向けて、もう一度気持ちを立て直した。


「次の講演は、相手の心に届けることだけを考えて話そう。自分の頭の中に意識を向けるのではなく、自分が心を開き、相手の心に意識を向けて、ひとり一人の命の尊さを、ひとりひとりが感じてもらえる時間になるように。」


次の講演当日。


それはメルパルクホールで開催された数百人規模の安全大会での基調講演だった。



講演前、緊張している私に、ニコニコとした表情の男性が私の前に現れ、こう仰った。

「会いたかったんだよ〜。一年以上前の兵庫県での講演を聴いて以来、浅野さんのファンなんだよ〜」と。


(え、そんなはずはない)
そう思った。

だってその講演は、初めての建設業での講演で、終了後は穴があったら入りたいくらい、ど失敗したのだから。


「全然、失敗じゃないよ。話は難しかったけど、言おうとしてくれていることは、ちゃんと伝わったよ!何より、あの時見せてくれたyoutubeの浅野さんの「安全は愛」の動画、あれ以来何度もいろんなところで観てもらってるんだよ。


今回もうちの支社長にあの動画を観せたら、ぜひ今回は浅野さんに来てもらおうってことになってね。」と。


その後、支社長さんが現れ、これまでも長年ずっと「安全は愛」だということを、仲間に伝え続けてきたというお話をしてくださった。


そして最後に私の緊張をほどくように、こうおっしゃった。


「今日のお話、とても楽しみにしています」


あぁ、そうか。目の前の方々は、私が感じてきたことを、ありのままに伝えることを、心から望んでくださっているんだ。


そう感じた私は、とてもリラックスして講演に挑むことができた。



「安全の本質は愛」

それは、18年前の朝、肉体が突如死の危険にさらされ、その危険にさらされ、傷ついた身体と共に、肉体的な死、精神的な死の恐れに苦しみ、もがき、たどりついた私なりの答え。



いのちには、私の命とかあなたの命とか、そんな分け隔ては一切ないということ。

身体は身体によってコントロールされているのであって、頭だけでコントロールしようとすることなど、到底不可能だということ。

だからこそ、頭の中に答えを見つけようとするのではなく、身体の声を聴くこと。


自分が本当は何に恐れているのか、自分に問いかけること。

恐れすらも、根っこにあるのは愛だということ。


私たちは、どんな時も愛に支えられて生きているということ。


私自身が死の間を行き来して感じてきたこと、気づいたことを、そのままお伝えした。


話しながら思った。


安全って究極は命を守ること。それはどんな業界で働いていたとしても同じ。


だから、命について真剣に考えてみること、自分の命に触れてみること。


そういうことって、どんな業界で働いていて たとしても、とっても大切なことなんだ。

この講演をさせていただいたことで、私自身がようやく心からそう思えた。


講演後、任意でお願いしていたアンケートに100人以上の方々が感想を寄せてくださった。


また役員の方々からあたたかいメールをいただきそれらを読んだとき、涙がポロポロと溢れかえった。


私は思わずお礼が言いたくなり、長文のメールを下さった支社長様に、実は講演をすることが苦しくなり、やめようとしていたことや、今回の講演で再び使命感を取り戻したことについてお伝えした。


そうしたら、また丁寧に返信をくださった。


そこには、またあたたかいメッセージがあり、最後はこんな風に書かれていた。


「できれば、どうか講演活動を是非とも継続していただきたく、願っております。



どうか続けていただきたく。」

恐れに向き合った先にみえたのは、やはり愛だった。

やはり、人は人によって生かされているんだ。そう感じずにはいられなかった。


これからも、私の歩幅で休み休みしながら、一人一人の命の尊さを伝え続けていこうと思う。

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