いらっしゃいませ、ありがとうございます

ふとしたきっかけで人から言われて知ったのだけれど…
私は接客業の方を厳しく見ているのです。
私自身の接客経験はさほど長くはないのですが…興味のある分野の一つです。

某商業施設の玄関口に構えていた有名なお店がありました。
入店しても誰も何も言わない。
不思議に感じました。
程なくしてそのお店はテナントから出て行かれました。
経営陣としてはそこでお商売する気が、少なくともその頃には失せていたのだろうなと思います。

私は興味のあるものは少々お値段がしても…スーパーで手に入れれば何分の一かの値段で買えるものでも、よいものかどうか確かめる為に一度買ってみます。
余裕がある…というよりは、投資だったりします。
食べ物なら、健康への投資、幸せへの投資…
その時、食品を扱う当該店で試しに買わなかったのは、挨拶がなかったからでした。
買う気になれなかったんですね。

先日は住まいを探していて内覧をさせて貰いました。
私自身の事情で、申し込みに際して不動産屋さんや管理会社さんなどをお待たせしてしまいます。
これも毎度心苦しいのですが…
仕事など立て込んで、そこまで心情などを伝える時間も取れず、結局取り下げとなり、最低限の連絡と心からのお礼の言葉を短く伝えるのみとなりました。

担当者さんとの相性もあるのでしょう。
よい方でしたが、私に責任を重めに感じさせる一言があり、少し気になりました。

完璧なコミュニケーションを求める年代かな、とも思います。
お若い方に、見られる傾向のように思います。
かくいう私もほんの数年前まで、割とそんな潔癖な一面が強かったような気がします。

ちなみに住まい探しは一年以上前から繰り返しています。
契約しても住む気になれないなど、これはしばらく放っておこう…と思うこの頃です。


人を責めず、自分を責めず。
ある程度の良識で接することのできる、心に余裕のある人同士でのお付き合いを求めています。

人により、求めるものに違いがありますね。
無理してお付き合いするものではないな…と思います。
キチキチにきちんとしたい人はそういう人と。
ゆるゆる伸び伸びしたい人はそういう人と。

実はゆるゆるしたい、そんな自分の気持ちに気づくまでたっぷりと時間をかけて来た私です。
キチキチも沢山していたのですが、それがもたらす苦しみは人生のあらゆるところに影響していました。
本来の私には合いませんが、何か学ぶ意味があったと思います。

中途半端にキチキチが強く、またゆるゆるしていると、だらしない…などという状況に陥ったりもしがちではあります。
そんな時は、疲れていて、笑顔がなかったりします。
なかなかそんなところに、わざわざ行きたいと思わなかったりするものです。

「言い訳は見苦しい」などと言う人も居ますが、そういう方には誰よりも元気に、元気でない人の分も働いていただいて…
「ごめんなさい、ちょっとくたびれた状態で」と苦笑いと愛嬌でその時間は乗り切る。
それをお互いに許す。
そんな優しさもありだと私は思います。

キチキチとゆるゆる。
より、自他を責めるのはどちらでしょう?
ゆるゆるは責められ易いかもしれませんね。
自律神経だって交感神経と副交感神経どちらもあってこそなのに、人間の心のあり方もどちらか一方しか許さないなんてことはありませんし、そんなことをしていては、余りにも愚かなことです。

ちなみに私は、昔とある手芸店で編み物をしていたら、心のあり様がキチキチしているのを見られて、叱られてしまったことがありました^^;

そういえば、飲食業での一流のサービスについて語られ本を出されたりもしていた方が言っていたことをなんとなく思い出しました。

よいサービスは、臨機応変です。
想像力を働かせ、目の前にいる人が求めるものや驚いたり喜んだりすることを提供する。
これをするには沢山の失敗も伴うけれども、お客さんとしてもサービス提供者としても楽しい瞬間を得たくて機会を伺っている。
一回一回の出会いが、ちょっとした挑戦だったりします。
そんなことを求めている人の、お楽しみですね。


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