リズムと歌の関係

Instagramでルーファス&チャカ・カーンのこの曲のカバーを幾つも挙げている人がいた。

Rufus & Chaka Khan - Sweet Thing (1975)

ちょっとお時間のある方は視聴してみてほしい。
チャカ・カーンのダンスを感じてみて…

どの音を、身体のどの辺りで感じて表現しているかを感じてみてください。

カバーしていた方々は、それぞれ自分のリズムに引きつけて歌っていました。

私が素直に感じることは、チャカ・カーンのリズムだからこの歌はいいのだということです。
これは要らぬこだわりなのかもしれません。
自分の歌にしなければ歌えないわけですから、どんなリズムになろうとも歌えたもん勝ちみたいなところはあると思います。

しかしながら私は、そのこだわりからバンドで歌うことに不満が大きく、一人でやることになったと言っても過言ではありません。

では、一人で思い通りにやれるかといったら、まったくそうではない。
別の要素を伸ばそうにも、やはり一番のこだわりどころになっているリズムが…

そんなある日、アフリカンダンスとドラム(西アフリカ)に出会い、追求する年月となりました。

師匠のカンパニーは非常に研究熱心、リズムの追求とグルーヴ、訛りと表現されるようなところまでを実現する稀有な集まりでした。

はてさて。
その日々から離れて…
思うことは、やはり同じものは再現はできない、ということです。

これは、踊り、太鼓を叩いていた時にしっかりとわかったことでした。

そしてやっと、ひとつわかりました。
再現はできないよ、と。
歌うだけだよ、と。

バンドから離れて一人でやり始めた時に求めていたことに、その時の自分に、優しく微笑んでいる気持ちでおります。
いえ…一人でやり始めたときにも、わかってはいたのです。
ただ、今のように温かい楽しい気持ちがあったかというと、ちょっと違うかなと思います。
とても微妙な違いは感じはしますが… 

師匠のダンスとドラムの対話では、その凄まじいリズムの応戦の中で、指揮を取るのはダンサーということでした。
見ていてもわかりましたが、次にどこへ持っていくか決めて、ドラマーがそれに応えていました。
師は本当に凄かった。
緊張感も尋常じゃなかったです。
応えられなかったら打首みたいな雰囲気、あったかも…^^;

チャカ・カーンの歌はタイム感を彼女が作っているように感じます。
実際にバンドと音を作り上げていく過程でどれくらい瞬間的に仕上がるのかわかりようがありませんが、多分一瞬やったとでは…?
どちらにしても、リードしていたのは…彼女ではないかなと思います。
なんならお尻で指揮しとったかも。
「はい、この音粒立ててしっかり出して」とか。

リズムの帝王であるJBや、レイ・チャールズも「俺をちゃんと見とれ、タイミング外すな」とかなり厳しかったことは映画などから見聞しております。

それで仲間から離れて孤独な時期を過ごしたりしたようですね。
音楽的なルーツはある程度しっかりしとっても、米国でどんどん変化していった音楽はやはりクリエイティビティも高かったでしょうから、その時に現れるジレンマも強かったとでしょうね〜。
レベルは様々ですが、きっとあるあるなのだと思います。

私の場合は、リードする技術というか言葉を持ち合わせていなかったのか…
曲全体の間を取ることや、他の要素も楽しめたのですが…
唯一のパートナーたり得た人から、「リズムを明確に伝えられるくらいになってほしい。それでないと一緒に出来ない」と言われ、離れてそのままです。

オチの無い話かしらん。
もう十分話した気がするからお終い。


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