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「羊たちの沈黙」(1991年)

1991年のアメリカ映画のトップ3は、
1.ターミネーター2
2.ロビン・フッド
3.美女と野獣
といった、ヒーローとロマンス。映画に夢や希望が詰まっていた時代と言ってもいい。「羊たちの沈黙 」は、ベスト3には入らなかったが、上位につけていた。ただし、ターミネーターやロビン・フッドのような「強いアメリカ」のイメージではないし、ジョディ・フォスターは美女だから、ロマンスの要素はあるにしても、レクター博士は、本物の野獣といってもいいほどに凶暴だ。

レビューで「傑作」と称されることの多い本作。
初見は高校時代、大好きなジョディ・フォスターが出ていたので観た。
当時も面白いとは思ったが、ここまですごい映画だとは気づかなかった。
観る側の知識や経験、思考力が、映画の価値を変える。
当時の自分は、なにも考えていない、ただのジョディ・ファンであった。

FBI アカデミーの実習生であるクラリスは、上司のクロフォードから、バッファロー・ビル事件解明のために、囚人のハンニバル・レクターから話を聞いてくるようにと指示を受ける。クロフォードは、レクターはなにも話さない可能性もあると考えていた。クラリスの有能さを認めたうえでの「お使い」のつもりだったのだ。
実際にレクターもクラリスの有能さは認めたものの、事件への協力は拒否して学校に帰るように突き放す。がっかりして帰ろうとしたクラリスだが、そこでトラブルが発生し、レクターはヒントをくれる。そこから事件が動き出す。

バッファロー・ビル事件解決のために、プロファイリングという方法が使われる。プロファイリングとは情報を集めて、そこから犯人逮捕に向けていろいろなことを推理する手法だ。
本作では、事件解決以外にも解決しなければいけない問題がある。
それはクラリスのトラウマだ。
レクターは、クラリスがなんらかのトラウマを抱えていることに早い段階で気づく。
そして、信頼関係が頂点に達したとき、彼女は、子どものころから今にいたるまで、ずっと悪夢を見ていることを打ち明ける。
プロファイリング(推理)ではなく、対話による本質の探究だ。

警察官であった父親が亡くなり、親戚の牧場に預けられたクラリスは、そこで子羊たちが屠殺されているところを見てしまう。逃がそうとするが、逃げようとしない。仕方なく、一頭を抱えて牧場から逃げ出すが、すぐに警察に保護されて、クラリスは施設に入れられ、子羊は殺された。
それ以来、明け方に目が覚めて、子羊の鳴き声が聞こえている。
レクターは尋ねる。
「バッファロー・ビル事件の被害者を助けることができたら、子羊は泣くのをやめると思っているのか」

クラリスは賢いが、ひとりの女性だ。警察組織は男社会で、どこにいっても好奇の目で見られたり、あからさまなセクハラを受けたりする。
そして、犯人は女性を狙って殺していた。性的倒錯者だとも言われている。しかし、実際には特定の女性になりたかったのだ。

神話における冒険譚では、使命を与えられた勇者に助言をする老人が現れる。その役割を担うのがレクターだ。レクターは賢いが、殺人鬼というところが斬新だ。

製作費29億円
興行収入420億円。
低予算というほどではないが、ハリウッド映画としては製作費はかなりおさえているほうだと思う。
アイデアがすばらしい作品を生み出す。

アイデアついでに補足しておく。
移送先でレクターが聴いていたグールドの「ゴールドベルグ」は1981年版だろう。グールドという天才的なピアニストに自身を重ねていたのだろうか。
なお、この時レクターは「夕食」としてラムステーキを希望していた。クラリスが子羊を助けようとした(だから被害者を助ける)というスタンスに対し、レクターは被害者を食べるという暗示、もしくはブラックユーモア。

本作はフィルムのざらついた感じや色合いがとても好きだ。
これが自分にとっては思春期の色なのだ。
思春期に聞いた音楽は一生好きでいるというデータがあった。
映画にも似たような効果があると思う。
すくなくとも自分にとっては「羊たちの沈黙」がその映画だった。





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