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お菓子をもらえる夜


北海道出身の私は、小学校のとき、七夕が大好きだった。

「ローソク一本くださいな」

という魔法の言葉を使うと、知らない家の人がローソクとお菓子をくれる。

北海道には、そういう素敵な風習があった。

どんな家でも、片っ端からピンポン。

超おんぼろで、風が吹くと屋根のトタンがはがれる私の住んでいた長屋でも、母たちは張り切ってそれなりにすばらしいお菓子を用意した。

高学年だった私は、お菓子を食べ続けるための底知れない欲から、大きめのビニールを用意した。

一軒一軒しらみつぶしに知らない家を友達とわたり歩く。

大きかったビニールにお菓子とローソクがたまっていく

ビニール袋がパンパンになった。袋の底が薄くなって、中のお菓子の色がぼんやりと透けてみえてきた。

何種類ものお菓子が織りなすカラフルな模様が、私の心を躍らせた。

これだけのお菓子があれば、一体、何ヶ月くらい幸せな思いを続けられるのだろうか。

私は間違いなく、人生で最多のお菓子を手に入れたのだ。

「あと少し、あと少し。」
幸せにお菓子を選ぶ自分を想像すると、引き返すタイミングが後ろ髪を引いていても、なかなかやめられない。

黄昏の足跡が遠くに行ってしまって、夜の夕闇が背中から迫ってきた。

「早く帰らないと」という思いと、「お菓子を食べ続けられる」という思いで、私の目が血走っていた。

そんなとき、夕闇のなかから、自転車に乗る人が近づいてきた。

ゆっくりとこちらに近づいてくる。

どこかで見たシルエット。

からし色のシャツ。

父だった。

私が父だと気が付かなかったのは、日の光がほぼなくなっていたこともあったが、それ以上に人生で初めて、父が自転車に乗っていたのを見たからだった。

気が付いたと同時に、焦りであれだけさっきまで大切だったお菓子が、盗んできたもののように、いけないものの塊になって捨ててしまいたくなった。

間違いなく父だとわかって数秒後、

「遅い。何時だと思っているんだ。」

と父は言った。

その言葉を聞いて、あっという間に友達も家に帰った。

もっていたお菓子を隠すように、父と一緒に帰った。

家に着くと、同じ長屋に住む友達が、もらってきたローソクで花火大会をしていた。

これが、この長屋の年中行事。

七夕は花火の日だった。

父はそれから何も言わず、家に入り、花火で誰もいなくなった家の中で、焼酎を飲みながらナイターを見ていた。

父からすれば、七夕の日だけが自分一人だけで家で過ごせる最高の夜だった。

あの日、めったに乗らない自転車に父が乗った理由を思うことが今でもある。

一人でお酒を飲んでナイターを見ることができる一年で最高の時を早く迎えたくて、私を迎えに来たのか。

それとも、本当に私のことが心配だったのか。

その答えは、今もあの日のお菓子の味のように、ちゅうぶらりんである。

                                三浦健太朗

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