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逆説6:巨大な鐘を揺らすように

コミュニティの場は「イマココだけ」のものが多く、それがコミュニティのコピー不可能な魅力です。でも、その一回性は支えているのは際限なく繰り返される単純作業。

メンバーへの連絡、SNSへの投稿、イベントの振り返り、次回告知、記録、写真の管理、などなど単純作業はいくらでもあります。あんまり面白いものではないかもしれませんが、コミュニティデザイナーがその繰り返しを確かなものにすれば、コミュニティは安定していきます。

しかし、この繰り返しは「停滞」にも似ています。同じことをなんの意志もなく繰り返していたら、コミュニティデザイナーも停滞するし、コミュニティそのものも停滞するかもしれません。


「繰り返し」じゃなくて「積み重ね」

こういう話題のときにわたしは「暮しの手帖」の元編集長である松浦弥太郎さんが「即答力」で書いていたこの言葉を思い出します。

仕事は同じことの繰り返しだけど、僕らは機械じゃないんだから、それだけじゃすごく残念だし、何の意味もない。だから繰り返しじゃなくて、積み重ねていこう。

「繰り返し」ではなく「積み重ね」。薄い半紙を貼り重ねていくようなイメージでしょうか。少しずつ厚みが増していく感じ。


弾み車をひとつの方向に回しつづける

また、これに似た例えとして「ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則」では企業の成長を「弾み車」の比喩で表現しています。

偉大な企業への飛躍は、結果をみればどれほど劇的なものであっても、一挙に達成されることはない。(中略)逆に、巨大で重い弾み車をひとつの方向に回しつづけるのに似ている。ひたすら回しつづけていると、少しずつ勢いがついていき、やがて考えられないほど回転が速くなる。

巨大で重い車輪のようなものをイメージしてもらうと良いかもしれません。さきほどの半紙の例えよりも勢いを感じられる点で好きな比喩ではあります。

しかし、この弾み車の比喩はちょっと分かりにくい。

弾み車って何?という感じ。なので、私はこれをお寺の鐘に例えてみようと思います。その方が、特にこれを読む日本人のかたには理解しやすいのではないかなと。

指で巨大な鐘を揺らす

目の前に巨大な鐘があります。これを指一本で揺らしてみましょう。

最初は全然動かない。びくともしない。力を入れても成果が見えないけど、ほんの少しずつ慣性によって揺れが蓄積されていきます。

そうしているうちにタイミングを掴むようになり、力を加えやすくなっていきます。鐘の揺れ幅はどんどん大きくなり、ついには止めることが難しいほどの揺れになるでしょう。

鐘の揺れが大きくなった状態を見た人は「どうやったらこんなに鐘を大きく揺らせるのだろう?」と不思議に思うでしょう。

しかし、そこに会心の一撃はありません。小さなひと押しを粘り強く続けた結果なのです。

議論メシも道半ば。まだまだ鐘が少し揺れてきた程度。

漫然と「繰り返す」のではなく、少しずつ工夫をしたり、何かを変えたりしながら「積み重ねる」ていきます。

そこに、コミュニティデザイナーの面白さと味わい深さがあるとも思うのです。

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