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今日もこうして 誰かを想って

今日はお掃除で、佐賀へ来ています。
大変有難い事に今日は都内で
チームメンバーのお掃除による
定期ご利用のモニターをご体験頂きながら

自分は佐賀県へ遠征して、今後控えている法人の
新規事業の視察検討していたところでした。

これからちょこちょこ、
国内での活動の拠点も増えていきそうな気もしていますが

そこに関しては今はあまり焦らず、
時の流れに身を任せてどんぶら流れていきたいと思います。


今日は都内でも新規案件が動いており、
また自分も佐賀県で新しい動きを見せており、
こうして同時並行で2つの新しいお仕事が動き始めているのも、

自分1人ではどうしようもない事だとしても
協力してくれる人がいたならば
できる枠が広がっていく、というのを
まさに実感していたところです。


さらに、
今日一緒に連れて行ってくださった方からも

「ちょうこはこれから凄く伸びると思うよ」

と嬉しいお墨付きをいただき、
(私自身超リスペクトしている方なのでめちゃ嬉しい😭)

これからも奢らず、期待され続ける
未来にbetされ続ける自分でありたいと
一層気を引き締めたところでございました。


さて。
今日はそんな、
いつもお世話になっている皆さんに
佐賀へ連れて行っていただいていたのですが

そこでもそうだし、
一緒に晩御飯食べに行っていた時もそうだし
現地でお掃除入っている時もそうだけど

息を吸うように、自分本位ではなく
相手本位で物事を考えて動けるようになるって
とても大切なのだな思ったのでその話を。

例えば今日とか、
1人が軍手を落としてしまった時に
気づいて近くにいた人が
すぐにしゃがんで拾って渡してあげた、とか

自分が助手席に座っていて、
運転手の人がドリンクホルダー手前の方が
取りやすそうであれば
スッと自分のものと入れ場所を差し替えておく、とか

そんな小さなことの積み重ねこそが
「気遣い」というものの正体なのだと思います。

そして世の中は自分が気づける範囲内でしか
他人から受け取っている優しさに気づくことができなくて、


自分がたくさんの人から優しさを受け取って
優しさ、相手を想うことというものを知って
そうして初めて、世の中に散らばっている
他人からの想いやりに気づけるようになり、

自分も誰かから貰った想いやりを、
別の誰かへバトンをパスするように
想いやることができるようになるのだと思うのです。


私もまだまだ人間が小さくて

「それ、わざわざ言わなくて良くない?」とか
「それ、聞かずともわかる事じゃない?」とか
「なんでそんな事もわからないんだろう?」といった風に

相手の気持ちを考えず、自分の主観を押し付けて
物事を考えがちになってしまうことが多々あります。

でもそれでも、
自分がグッと飲み込んで受け入れていくことも
次第に多くなっていく中で
自分ですらこうしているのだから
世の中にはたくさんの人が自信を制圧されているのだろうとも思います。

きっと世の中は、自分が思う以上に
そうした誰かからの
気遣い、想いやり、優しさ
に溢れていて

今日誰かからの優しさを感じることができなかったとしたら
まずは無理やりにでも良いから、
誰かへ優しくしてみても良いのかもしれません。


息を吸うように、誰かを想えたなら。
そんな素敵な話はないよな、と思いつつ
実現できないことではないから
それもまた、面白いな、と。

今日はそんな、現実と夢tの場所をしみじみ考えていたのでした。

今日はもう眠いから、寝ます。
おやすみ。


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