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酒とタバコと深呼吸

久しぶりにタバコを吸った。
四捨五入したら10年ぶりくらいになるのだろうか

初めて自分でタバコを買った日は、学生時代サークルの飲み会の帰り道。蒲田駅から帰る道すがら、呑川を眺めながら。

何故このタイミングでタバコを吸ってみたくなったかと言えば、先日観た映画のワンシーンで隅田川を眺めながらタバコを吸っているシーンがあり、その場景に唆られたから、という単純な理由だ。しかしながら、実はタバコを吸いたい葛藤とは年に何度も闘っており、何度も連勝し続けてきた上での今回の敗北だった。役所広司に背中を押されてしまった。


私の祖父は肺癌で亡くなった。
当時祖父は50歳、私の父が20歳の時だ。

故に、私はもちろん母も父方の祖父とは会ったことがないのだが、話によると祖父は1日に2箱のタバコを吸うウルトラヘビースモーカーだったらしい。彼の血を引く私は、幼少期から幾度となく「俺の父親は50歳で肺癌で死んだから、お前の父親(つまり俺)も50歳で肺癌で死ぬ予定だ。元気でな」という父親の訳の分からん理屈を言われて育った。そんな彼は60歳を目前にして、ヘビースモーカーながらピンピン生きているし、あと20年はくたばりそうにもない。何よりのことだが。

そんなこんなで、
「タバコを始めたら辞めるのが難しい」
「金はかかるし寿命は縮むしで良いことは無い」

事は先代2名の背中を見て分かっているはいるものの、何故か吸いたくなってしまう瞬間が不意に現れるのだ。これは一体なんなのか。
自分の気質的にも依存症になりやすそうな予感がすることもあり、意識的に避けてきた。ついに今日再び、手に取ってしまった。

…と言っても、最初の1本吸ってすぐに後悔したので、今後もそんな数年に1度程度の軽いお付き合いが続くのだろう。他の人が吸うのはともかく、自分が吸ったタバコの煙が自分の髪の毛にねっとりしっとり染み付いて離れなくなる感じが嫌だったため、今回もすぐにシャワーを浴びた。
あの煙が自分の口元から発生しているのを見る度に毎回「ああ、そうだった」と我に帰る。それが私とタバコの関係だ。


しかしながら今回は、
何故先達がタバコと離れたくても離れられなかったのか、分かった気もした。


恐らく私たちは、普段、呼吸をしていないのだ。


息は吸って吐いているものの
“呼吸”をしていない。


空気を肺に入れる意識
体内に巡らせる意識
しっかりと吐き出す意識

そうした、深い呼吸をしていない。
体の浅い部分までしか、酸素を取り込めていないのでは無いだろうか。

恐らく、タバコが私たちにもたらすものは、麻薬的な「癒し」だ。
タバコを媒介にして、私たちは空気を味わっている。

私が京都に戻る度に、駅前で京都タワーを見る度に、山の向こうから昇る朝日を眺める度に感じるのは、すんと鼻から空気がゆっくりとしっかりと入ってくる、あの感覚だ。
私は京都に戻るたびに、呼吸することを思い出す。札幌でも熊本でもそうだが、シンと静まりかえるような空気ほど、たくさん肺に取り込みたくなる。その感覚がきっと、東京には無い。

きっと、私たちは定期的に呼吸できる場所を探している。
好きな場所、誰かの隣、そうした安らぎの場所を探している。それが難しい時に、タバコを媒介にして味付きの空気を味わっている。少なくとも私がタバコを吸いたくなる時は、そういう時だと思う。


そんな事を感じ取れるようになったあたり、私もそれなりに(いい意味で)ストレスのある生活を送っているいい大人になったもんだ。

そんなストレス社会を生きるいたいけな私たち大人たちをターゲットに、タバコが日本たばこ産業株式会社法(1985年:昭和59年制定)に切り替わって税収増加を国家が図り、日本たばこ産業株式会社(JT)の管理の元、広くマーケティングされるようになったようだ。ちなみに同年は男女雇用機会均等法が制定された年でもある。

なんだかそういう事を勉強すると一層、
引き下がれるうちに引き下がっておこうと、そう思った。
吸うならやっぱCBDかな。

おしまい。

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