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悔しい夜にこそ文章を書こう


悔しい夜にこそ文章を書こう。

これは勢いと嫉妬に任せて書きなぐる駄文である。


居酒屋にて

先日、居酒屋で友人に「サチコさんって嫉妬とかするの?」と聞かれた。同じフィールドで活躍する同世代へのなんとも言えない感情について話していたときだった。

もちろん、わたしもそれなりに嫉妬をしてきた。

世の中にいいWEBメディアが出てきたとき。ほぼ日の塾に応募できなかったとき。なんとなくずっと思っていたことを、誰かがうんと上手に文章にして、バズっているとき。すごくいい会社の存在を知ったとき。誰かの文章が、たくさんの人の心を動かしているのを見たとき。

それは対個人のこともあったし、対集団のこともあった。
とにかくそれは「悔しいくらい、いいものを見ちゃったとき」なのだということは分かっていた。分かっているからこそ、悔しいのだ。人の心は難しい。


嫉妬の種類

「嫉妬」の感情が減っていることには気づいていた。前よりも「自分にできること」を把握し、「自分にできないことをできる人」のことを素直に尊敬できるようになったからだ。それに加え「悔しがるくらいなら今できることをやってみよう!」と動くことが、前より少しだけできるようになったからかもしれない。

友人の問いに「前はあったけど、最近はあんまりないかなあ。」と答えた。嫉妬心をなくすというのは若い心を失うことのようで、ちょっとだけさみしいなあ、とエイヒレをかじりながら考えていた。

だけど、今夜はなんだか久しぶりに悔しかったよ。うまく言えないけど。

もともと他人との競争に全く興味がないタイプなのもあり、対個人の、攻撃的な嫉妬はほとんどなくなった。少し冷静になって自分の心を見つめてみると、最近の嫉妬は「環境への嫉妬」「そういった環境へ身を置いている自分への怒り」に近いものだと分かった。嫉妬の種類が変わったのだ。

「まだここで、こんなことをしている自分」

に、めちゃめちゃ情けなくなり、腹が立ち、まだ甘えてしまう。


相手はいつも自分

勝ちたいのも、変わらなきゃいけないのも、結局は、自分でしかない。

今わたしは自分に対してものすごく悔しい。誰かのことばじりに傷ついたり、マウンティングに敏感になったり、他人の言動を正そうとしたりする、そんなことはもうしたくない。

今、必要だと思うこと、自分が心からやりたいこと、それがなぜ必要なのかすら説明できない自分が悔しい。一人であまりに何もできない自分が悔しい。

きっと最近楽しくて、行きたい場所が増えたからこそ、そこへ行ける自分でありたいんだと思う。この駄文の奥底にあるのは、至極前向きな気持ちなんです。


ハア。たまにはこんな夜もある。わたしは文章を書いてやり過ごす。

ここから、どこまで行けるかな。


うれちい