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黒飴とおばあちゃん

聴く技術

私は患者の話を
しっかりと丁寧に心を入れて
聴くことを大切にしてきた。

いわゆる「傾聴」という技術だ。

看護師にとって
コミュニケーション術は
必須と言って良いほどに、
磨き上げておきたい
大切なスキルのひとつ。



看護師2~3年目くらいから
私はそれを痛感し、
そして自身の興味も強くあり、
学びを深め訓練をしてきた。


その甲斐あってか、
私は業務的なことや
気遣い・配慮的なことは
今ひとつな出来だったが、
患者の話を聴くことは得意だった。


この「話を聴くこと」がなぜ
そんなにも大切かというと

患者の精神面での
ケアとなるのはもちろん
治療や看護にも
大きく影響を与えるからだ。



病院に行くと必ず
「今日はどうされましたか?
痛みはいつからで
どの部分ですか?」
などと詳細を伺う
【問診票】を書く。



入院となると
それを更に掘り下げて
その方の病歴や生活など
様々な分野について伺う
「アナムネ聴取」というものがある。


その内容は入院に至るまでの
経過はもちろんのこと、
ご家族や普段の生活、仕事や
大切にしている習慣や信念、
価値観や宗教など
驚くほど多岐に渡る。



それを伺って、
具体的な治療や看護に「個別性」

つまり「その人らしさ」を
反映させていくのである。

例えば宗教的に
避けている食材があれば
栄養部に伝達するし、

仕事の内容や
家庭での役割によっては
その方の退院時の
ゴール設定が変わってくる。


信念から外れないような
入院生活に調整していきたいし、
これまでの過ごし方や性格から
今後、治療や飲み薬を
定期的に続けて
いけそうかなども検討する。


あらゆる背景や状況から、
病気と生活とその人自身との融合を
図っていかなくてはならない。

そのために重要となってくるのが
アナムネによって得られる
情報なのである。



特に初めての入院は
不安や苦痛な症状も強く、
心身共につらい状況に
あることが多い。
その気持ちを汲み取りつつ、
的確にアナムネを
聴きとらないとならない。


そういう”業務的”に
必要な情報をいただくにも、
ただ、アンケートを
書いていただくのとは違い

パーソナルすぎる部分に
切り込んでいくことにもなるので
繊細に状況を見ながら
お話しを伺っていく必要がある。


もちろん
「はい、じゃあ始めまーす!」
みたいな
何かのゲームや、取り調べのような
雰囲気であってはならないし、

それは「聞けた」としても
「聴けた」にはならないのである。



普段の自然な患者の様子や
生活ができるだけ伺えるよう
配慮が必要なのである。


その辺を充分に考慮して、
しっかりと心を通わせつつ、
自然な流れでお話しを伺いたい。


「おしゃべりしてたら
聴きたかった項目が
全部埋まってたー!」というのが
理想である。


しかも聞けば良いってものでもない。

しっかり伺うために、
超絶ゆっくり時間を掛けている
場合でもなかったりする。

私たち看護師には膨大な量の
その他の業務というものもある。


なので、例えば15分で
この患者のアナムネを…と
目標時間を設定していかないと
ならないことが多々ある。
ありすぎる。

不安と苦痛がMAXな状態で
初対面の看護師と15分で
人生や生活についてあれこれ
聴かれるって
考えただけでちょっとやだ。


とまどいも感じさせないように
ナチュラルに入っていき、
おしゃべりしていたら
いつの間にか
人生語っちゃってたし、

続きはまた今度聴かせてね!って
切り上げられたわ~、くらいの
感じでいくのがベスト。(ハンナ比)



特に
私が所属していた病棟というのは
他の病棟の看護師たちに
「ありえない…。
絶対にあの病棟だけには
行きたくない…。」と
まことしやかにどころか、
堂々と言われていた
大忙しな病棟だったので

このアナムネも
看護師1人で1日3人分を
伺うなどが当たり前だった。
(普通は1日0~1件程度)

白鳥のように


そんな環境で
鍛えられたこともあり、
私たち病棟の看護師たちは
めちゃくちゃスピード感を持ちつつも、
それが患者に
バレないよう(←言い方)に
アナムネを取る技術が発達した。


焦りは1㎜も表に出さず、かつ
一発で信頼していただける
雰囲気づくりを心掛けた。

安心感を抱いていただき、
単に項目を埋めるだけでなく、
深いところまで掘り下げて
「その人らしさ」を
治療や看護に
反映させられるよう努めてきた。

イメージは湖に浮かぶ白鳥。
ハンナは白鳥。


水面下ではジタバタと必死だけど、
見た感じ、ス―――――――。

優雅~ 。゜.*☆゜(( ´ ∀ ` ))゜.*☆゜。・


そんな白鳥のテンションで
私はアナムネを
聴取するよう努めてきた。


そんなアナムネ等で
コミュニケーション技術を
磨いた私は、
信頼を得られたのか、
アナムネ以外の場面でも
患者に呼び止めていただき

大切な話や不安な想いなど
沢山のお話しを
伺う機会を得た。



そしてそれを
私は患者に許可を頂いて、
ドクターやその他職種、
もちろん看護師とも
共有したり、連携したりして

その方の治療や生活が、
より良くなるように調整をする
「材料」としてきた。


材料というと聞こえが悪いが、
先ほども述べたように
この情報という材料は
医療にとって、
ものすごく重要な役割を果たす。

いかにその人の情報を得るかは
その後の治療や生活の質を
大きく左右する。



私は他の看護師が
「聞きにくい…。」
「どうやって深めていったらいいか…。
わからない…。」と悩む中、


ス―――――――――ッと
切り込んでいくのが得意だった。


ただし、
ス―――――――ッと優雅な
イメージでいるのは
私だけだったかもしれない。

いずれにせよ、
何か大きめの案件が舞い込んで
ナースステーションが

【どうしよう…どうしよう…
どうする?オロオロ…】という
雰囲気になると、


「私、行ってくる!!!」
と自らしゃしゃり出るか、

もしくは
「ハンナさん!お願い…できる?」
と頼まれる形となる。

すると私は
「かしこまりました!」と
一目散にものすごい勢いで
その患者のもとに
ス―――――ッと飛んでいく。


白鳥というよりも、
もはや
【ぶっこみのハンナ】


どこかのハードめな男性漫画に
出てきそうだし、なんとなく
飛び道具っぽくもある。


「(患者への)ぶっこみなら、
ハンナにおまかせ。」

と言わんばかりの勢いと安定感で
ナースステーションを
飛び出すのである。

実際は50m走11秒台の私




その間のナースコール対応や
処置的な業務は
他の看護師にお願いして、
私はぶっこみに
集中させていただく。


そして必ずや
何かを収穫して帰還する。

ただでは帰ってくるな、と
新人時代に教わったのだが、
それを今も忘れていない。


ドヤ顔で「今、帰ったぞ」と
大仕事を終えた一家の大黒柱の
お父さんのご帰宅くらいの
テンションで
ナースステーションに戻る。


私はこの
患者にじっくり腰を据えて
話しを伺える
ぶっこみの時間が
好きだったし、得意だった。


できれば傷の消毒や
体温や血圧を測定する検温、
診察の介助などは他の看護師に
お任せして、

このぶっこみ業務を
ずっとやっていられたら
いいのになぁ…と
思ったほどである。


それもあって、
今の仕事に
移行したというのもある。

【ぶっこみのハンナ】の名を
欲しいままにした私は
後輩からも

「どうしたら
ハンナさんのように
ぶっこめるようになりますか?」と
ナゾの質問を
いただくようになったりもした。


私はぶっこみ技術を
磨きたいという後輩には
惜しみなく、ぶっこみの極意を
伝授した。


忙しい病棟のわりに
優しくて、丁寧で、
熱くて、かわいい
後輩が沢山いた。


穏やかさ皆無、みたいな
荒んだ忙しさの病棟だったが、
みんな患者の話を
丁寧に聴きたいと
熱心だった。


私はつくづく、
そういう仲間や環境に
恵まれていたと思う。


もちろん
お手本にしていた先輩も
沢山いた。

かっこよくてリアル白鳥。

私のように
【ぶっこみの~】という
あだ名がつくような荒々しさは
先輩たちにはなかった。

どうして私はいつもこうなって
しまうのだろう…。
あだ名…もっとかわいいやつがいい。

あなただから、話すのよ。

そんなワケで、
日々ぶっこんで患者の話を
伺いまくっていた私。

ある日、
穏やかなおばあちゃん患者に
呼び止められ、
ゆっくりお話しを
伺う時間を持った。

これまでの人生のこと、
大切にしている言葉、
今の悩み、
これからのこと。

様々な苦悩や
それでもそれを
どう乗り越えて
行こうとしているのか。

沢山のことを話してくださった。

途中、端々で
「ハンナさんだから、話すのよ。」と
仰ってくださり、

私はこの患者の
内に秘めた想いを
存分に聴くことのできる
存在となれたことを
とても嬉しく思った。


信用がなければ
伺えないお話しだと感じたし、
「ハンナさんだから」という
有難いお言葉も頂戴した。


あぁ、私が
地道に築き上げてきたことも
こうしてお役に立てたのなら
嬉しいし、有難いなぁ…と
喜びを噛みしめたのだった。

ハンナの喜びとやりがい


私は看護師の仕事の中でも
こういう場面に
やりがいを感じる。


おばあちゃん患者も
「話せて良かったわ。」と
安心してくださったし、
私も看護師としてお役に立てたと
とても心が満たされた。


最後にそのおばあちゃんが
「ハンナさん、これ、あげる。」
と言って
黒飴をくださった。



患者からの頂き物は
全てお断りさせていただく
決まりなので、
頂けない旨を丁重にお伝えした。


あるあるだが、
それでもおばあちゃんは

「いいのよ、こんな飴くらい。
口に入れちゃえば
わからないから!ほら!」と

包みをはがして
口に入れるのではないかという
勢いもありつつ、

それはさすがに…と
思い留まったのか
無理やり黒飴を
手にギュッと掴ませてくれた。

お断りするのは
おばあちゃんの気持ちを
逆に悲しませてしまうかなと、
私はルール違反であるが
黒飴をありがたく
ちょうだいした。

満たされた気持ちで
黒飴を手に
ナースステーションに戻った私。

「ハンナさんだから…」って
信頼してお話しくださったし、
これをどう
看護に活かしていこうか。


そんなことを考えつつ、
ナースステーションで
しばし飴を舐めて
ほっこりしていた私。

そこに入ってきた
後輩がひとこと
信じられない言葉を発した。



「さっき、
○○さん(おばあちゃん)の
検温してたら
話し込んじゃって~。

○○ちゃん(後輩看護師)だから
話すけどねって言われて
そのあと、
黒飴もらっちゃいました。
すみませ~ん。」

「おい、おばあちゃんよ…」

よく見たら、その後も
黒飴を手にした看護師たちが
ちらほらと
ナースステーションに出没した。


私は一瞬、動揺した。
それから
「私だからこそできたこと」
とかって思った自分を恥じた。


でもそれは一瞬で、すぐに

「おばあちゃんが
黒飴を配りつつ、
話しをしたいって思ってもらえる
病棟で良かった。

後輩たちも
おばあちゃんの話を丁寧に
聴ける子たちで良かった。」
そう思った。

ハンナは
特別なオンリーワンでは
なかったけれど、
それは本当に私が
目指したい場所として
教育指導にあたってきた
ところじゃないの。

私ひとりが信用されて
話せる看護師であることよりも、

「どこをどう切り取っても、
ここの看護師はみんな
話をよく聴いてくれる。」

そう思ってもらえる病棟づくりを
意識してきたじゃないの、ハンナ。
よかったわよ。ね、ハンナ。
だから元気をお出しよ。


黒飴のおばあちゃん患者が
そのことを実感として
味わわせてくれた。

黒飴を見ると
いつもこの時のことを思い出す。

患者はいつも大切なことを教えてくれる。

▶今回のワーク



誰かに質問されたときに
あなたは自分の話を存分にすることが
できますか?

「話ができる」って
「自分を表現できる」ってこと。

聴ける技術も大切だけど、
話せることもとても大切。

自分のことを
自分のカラーで表現できる
自分でありたいと
私は思います。

少し考えてみてね


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