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物心つく前に貰った愛情

 こんにちは!#ITAKOTOのスズナです!今回は、今私たちが開催している「心のこりの栞」というコンテストに便乗して、私も今回のテーマである「#私の心のこり」について綴ってみようと思います🔖 運営の身ではありますが、私自身もみなさんと一緒に考えていきたいなと思っているので、これを読んで「自分も心のこりを言葉にしてみよう!」と思った人は是非、noteを書いてみてください☺️

私の心のこり

 私の心のこりはなんだろう?と考えてパッと出てくるのは、おばあちゃんが亡くなる前に側にいてあげられなかったことです。

 去年の夏も終わりかけの頃、昼ごろにおばあちゃんの危篤の知らせを聞きました。その4〜5時間後におばあちゃんが亡くなりました。亡くなる前はお母さんが繋いでくれた電話で、おばあちゃんに声を送ることしかできませんでした。

 当時私は東京に住んでいたのですが、実家は兵庫県にありました。帰るには大体4〜5時間かかるので少々大変なのですが、その知らせを聞いてすぐに帰っていれば、おばあちゃんの側で声を伝えられたのかもしれない。そう思うと、すぐに帰らなかったことを後悔しました。

 当時はコロナウイルスのせいで、病院での面会の規制がかなり厳しかったので、私の家族も中々面会できずにいました。おばあちゃん、寂しかっただろうなぁと思って、またまた後悔が込み上げました。

おじいちゃんとおばあちゃん

 少し話が逸れますが、みなさんは、おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出ってどれぐらいありますか?

 この前、私の母の「育児日記(これについても今後触れる機会があれば触れてみたい)」を発掘したので読んでいたのですが、そこで初めて、私の物心がつかない時期に、おじいちゃんとおばあちゃんが想像以上に沢山関わっていたことを知ってビックリしました。

 物心がついていない頃のことなんて覚えていないから、身を持って感じることは難しいかもしれない。でも、私たちが記憶していない出来事の中にも、誰かからもらった愛情があるんだな、と思いました。私も年齢が上がるにつれておじいちゃんおばあちゃんと関わる機会は減ってしまったけど、おじいちゃんおばあちゃんが生きている内に、私ができることはしたいなと、そう思えました☺️

誰かの心のこりに救われた日

そんなこんなで、先月おじいちゃんも亡くなることがありました。その時は、知らせを聞いてすぐ新幹線に飛び乗りました。「すぐに帰らないと!」ととっさに動けたのは、ITAKOTOに関わってから参加した #心のこり展 で沢山の人の心のこりに触れたおかげでした。無事、おじいちゃんの生きている内に会うことができました😭 本当に、よかったです。

伝えたいことは側で

 感謝を伝えたい人がいれば、生きている内に伝えたり、行動を起こしたり、心のこりのないように過ごしていきたいです🌼 そして、もしかしたら私の知らないところで貰っているかもしれない愛情にも、耳をすましながら生きていきたいです☺️

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