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記憶のふた

記憶のふたが、突然開くことがある。

その度に、あぁそういえばあんなことが・・と思うのだが、それはあっという間に、また記憶の箱の奥深くに蟻地獄のように潜り込んでいってしまう。

そうなると、慌てて掘ってみても、どんどん砂の中に潜っていくその記憶は、私の指からこぼれ落ちてしまう。
そして、またしばらく、それには出会えない。

そしてまた、忘れた頃に、その蓋が開いて、思い出が顔をのぞかせる。

そんなことを繰り返しているのは、父を見送った数年前のことからだ。

一体何がきっかけで箱のふたが開くのか、それは全くわからない。

それは、私が意図的に忘れてしまいたい記憶であるからなのかもしれない。


ある夏の日、父が倒れた。

それが全ての始まりで、入院中に父の体は回復したが、脳が壊れ始めていることを私たち家族は認めざるを得なかった。

最初は「まぁ親父も歳だからな」「あの年齢ならそんなもんだろ」と楽観的だった私の兄も、父の記憶力の継続時間があまりにも短いことに気づいた。

そう、さっき話したことを、何も覚えていないのだ。

最初こそ

「さっき言ったじゃーん」と笑っていた私たちも、これは冗談ではない事態であることを日々重ねて確認していくことになる。

過去の記憶や、人の認識は揺るぎなくある、が、短期の記憶が全くないのだ。

このことに気づいた時、本当に背筋が寒くなった。

言葉による伝達が、叶わない。
今話していることは、1分後には父の頭からきれいさっぱり消えている。

どうしたらいいんだろう。

メモを残したり、文章で伝えることでなんとかなるだろうか。

しかし、今さっき伝えたことを、メモにしておいておくと、2分後には、これはなんだ?という不思議な顔をしてメモを読んでいる。
むしろ、父にわが身に起きているよくわからない何かを突きつけているようで、だんだんメモを書くのが辛くなってくる。

何回でも、何回でも、伝えればいいか。

そう思って病室で何回も何回も同じことを話す。

そう、初めて話したような顔をして。
思わず「さっき言ったじゃん」がこぼれ出ないように、涙がこぼれぬように奥歯に力をこめて。


そして記憶のふたが静かに閉まる。



またある日、記憶のふたが開いた。

入院中のリハビリ室。

父の様子を見学に、母と一緒に行った時のこと。

歩行訓練をしていた父に、リハビリの先生が

「1周回ってきたら、ここの椅子に一度座ってくださいね」

と優しく指示をする。

父は言う

「はいはい」

そして、私たちという見学者いることで、ちょっとカッコつけて、幾分胸を張って、小さな障害物などを超えながら、1周回ってくる。

「お父さん、足腰しっかりしてるわ!」と嬉しそうな声をあげる母。

ちょっと誇らしげに左手を挙げて母に挨拶するぐらいの余裕を見せる父。


そして・・・

指示されていた椅子に座ることをきれいさっぱり忘れて、また次の周回へ歩き出そうとする。

「あ、待ってください!ここに一度座りましょうね」

そう促されて、初めて聞いたことのように目を丸くして「そうですか」と答える。

そして、また「1周回ってきたら、この椅子に座ってくださいね」と優しく言われ、

「はいはい、回ってきたら座るんだね」
「そうです、一度座ってくださいね」

そして回ってきた父は、また椅子を通過して、次の周回へと突き進む。

この切ない風景を初めて見た時の、私の衝撃は小さくなかった。

回ってくるたび、祈るような気持ちで「椅子に座って!」と見つめる私の視線の先で、父は華麗に椅子をスルーして歩を進めていく。

隣にいる母の手前、ショックを受けている自分に気づかせてはいけない。

「やだ!本当にお父さんったら忘れんぼなんだから〜!」と笑顔で父に声をかける。

照れくさそうに頭をかく父。

そう、忘れちゃってるんだもん、記憶がないんだもん、何周だって回るよ。


ちょっとふたをしておきたかったこと、それが時々私の記憶から顔を出す。


ムスメが海外留学の時に買ったという、ちょっおとぼけ顔の大きなシロクマの顔がドーンと描かれているセーターが、なぜか気に入っていた父。

娘がそれを着ていくたびに、「それ似合うね!」と必ず父は言った。

その度に「これアメリカで買ったんだよ!似合うでしょ!」と答える娘。

そしてしばらくするとまた「それ似合うね!」と褒めてくれる。

娘もまた「アメリカで買ったよ!似合うでしょ!」と繰り返す。

父にとって、アメリカで買おうと日本で買おうと、そんなことどうでもよくて、ただただ孫が着ているこのセーターがとっても彼女に似合っているということを伝えたいだけなんだ、その気持ちが何回も父に「似合うね」を言わせているんだと思うと、心がぎゅっとなる。

ただただ、愛情だけがなせるわざ。


いろんな記憶が、時々顔を出すけれど、どれもこれも、倒れてからの父に絡んだ記憶は、思い出すたびにちょっと心がきしむ。
元気だった時の父を、それだけを、記憶にとどめておきたい、という無意識の思いが、きっと病後の父の記憶を奥深くに沈めていくのだろう。

記憶のふたは、たまに開いて、ふっと閉じる。
その短い合間に、忘れたいと思っていた記憶を手に取って、つかの間それを愛でて、また箱の中に戻していく、そんな作業を繰り返していくことが、父の供養になるのかな。

おとうさん、クマのセーター、今年もちゃんと洗濯して片づけたからね。
また来年、このセーターを着た娘の横に、今度はお父さんが会えなかった若い男の人がいるかもしれないね。
ちゃんと、「似合うね」って言ってやってね。
きっとその人も笑って「そうですね、おじいさん」って言ってくれるはずだから。
うん、きっとお父さんの声、聞こえるよ。




なんとなく毎日読むのが楽しみだなと思っていただける文章を書き続けたいです。チョコ先生は腎臓と膀胱にステントを通しており、てんかん発作もあり、さらに胆嚢液体膿腫で胆のうを摘出し、いろいろとオペしてる身の上ゆえ、いろいろともろもろと服薬や治療食などにお力添えをいただけると嬉しいです!