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住めるのと住みたいのとは違う

去年の3月、沖縄から実家神奈川湯河原へ。
そして、去年の11月に東京世田谷へ。
そしてそこからまもなく一年だね、となる、3/1。

今日のわたしは家から一歩も出ずに過ごしている。

そしておもう。「住めるスペースと住みたいスペースは異なる」

私の部屋は、通路が長めでワンルーム。収納なく、実質は5畳ぐらいだろうか?
もっと広めで安い物件はあったが、どうしても湯船が欲しく&ユニットバスがいや、の条件ではなかなか、で。しかも、初期費用のこともあったりで。

と、言い訳はこのくらいにして。

住める、のだけど、苦しい。と言う感覚が付きまとう。それはなんでだろう。

あーそうか。と気づいたことは、
私にとって、仕事するのと暮らす、のスイッチを切り替えられること、
外との接続ができるゆとりのあるスペースがあること、
は大事だったんだということだ。

住める、のに、住みたい、の気持ちが削がれていく。

私が最後に住んでいた那覇のお家は、メゾネット式で。屋根裏のような空間が寝室。階段を降りるとワンルームで、そこに作業スペースがあった。
こういうの商店街でもあるよね。一階がお店で、2階が住居。そんな感じ。作業スペースにはバランスボールと作業台。ダメになるクッションとちゃぶ台。自分のモードに合わせて、どっちで仕事をしようかなと選んでいた感じ。ご飯を食べるときはだいたいクッションとちゃぶ台。
寝室から階段を降りる時、暮らしが始まるな、と。登る時には、今日もお疲れ様でした。そんなメリハリを気付かぬうちにしていたのかもしれない。
そんな区切りが私にとって大事なひとつだったんだと思ったのは、仕事をする時に、せっせと準備をして出かける自分に気づいたからだった。

もうひとつ。自然との接続、でいえば。
大きな窓がある場所を選んだ。そこが見られることが私には必要だな、と。でも、さらに言えば、半分外、みたいな空間が必要だったようだ。観葉植物だったり、前のうちのようにバルコニーだったり。ピクニックのような息を抜く空間が私には必要だったんだなと。それは家の近くに出かけられる場所があればいいのか?は引き続き要観察。

とまぁ、こんな感じに、住める、のと、住みたい、は別なのだ。

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