氷点下666

物心ついた時からエホバの証人の二世として育ちました。 解毒とこれからの人生のために、思…

氷点下666

物心ついた時からエホバの証人の二世として育ちました。 解毒とこれからの人生のために、思いついたことを書き留めていきます。

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あの頃、田舎で、母と二人で。

とある田舎の人口より牛が多い町 なんと、エホバの証人は母と私だけ 元々いた高齢の姉妹が娘さんのいる他の市に引っ越してしまい、そんな時期が生じました 週二回の集会はワンマン列車に揺られ隣の隣の町の王国会館まで通う生活 今は廃線になった国鉄時代のローカル線 家に着くのはもちろん夜10時過ぎになります 廃線後は真っ黄色のローカルバスで、遠くに連なる山脈と一面広がるジャガイモ畑を眺めながらの往復 冬は真っ白な平野に防風林 田園風景や季節毎の匂いって忘れられないものですね 日曜

    • 隣の町の閉鎖病棟

      楽しくないお話を。 重たい内容もあるのでメンタル不調な方はお引き返しくださいませ。 今でも時々考えてしまうのだ。 アル中の同居親族をもう少し早く病院に連れて行けたら、もっと母は生きていられたのかな?と。 かれこれ25年位前から私は母の実の弟妹(つまり、叔父や伯母にあたる)と同居生活をしていた。 始めは伯母と二人暮らし。 過疎が進む故郷の地方都市では車の無い生活だし仕事も老後の医療も期待できず、この街で一緒に暮らそうよと私から誘った。 ちっちゃい頃の写真は母が虚弱だった

      • それはまるでサタンのような教師のお話

        父の転勤で中学3年生になりたての春、とある地方都市からお隣の地方都市に引っ越しをしました。 それまでも決して良い環境ではなかったものの、その後待ち受ける一年間は想像を絶する慣習や風土に思春期の心を滅多打ちにされた期間となります。 転校先の担任がエホバの証人を迫害することで超有名な先生だったのです。 とても傲慢で自慢話と恫喝三昧の、女性教師。 校長先生より権力をふるって職員室の空気も一瞬で変えてしまう人でした。 あの、人を見下した、恐ろしい目つきを思い出すと今でもぞっと

      あの頃、田舎で、母と二人で。