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海外暮らしと語学のはなし

海外暮らしといえば、何は無くともまず「語学」である。

私の場合はフランスに暮らし、フランス人を相手に仕事をしているので、まず習得すべきはフランス語、ということになる。

出会いは学生の時。なんとか自分の納得するレベルまで、フランス語を習得したい!という願望は、長年私の頭を離れることはなかった。そのくせ日本にいる間は、仕事の忙しさを口実に時折フランス語学校に通う程度だったので、かろうじて中級程度。渡仏後は学習時間も増えたし、ほぼ毎日触れるのでそれなりの伸びはあるにしろ、3年近く経った今でも自分の目指すレベルにはまだまだ程遠い。パリの街を歩いていたら自動的にフランス語が頭の中に染み込むわけでもなし、結局は個人のたゆまぬ努力とモチベーション維持が不可欠なのだということを、嫌という程実感している。

例えば日常生活に不可欠な挨拶やお礼。もうそこからしてすでに難しい。挨拶やお礼を大切にする文化からなのか、バリエーションも様々、発する言葉数も多い。渡仏当初は、「Merci, au revoir, bonne journée ! (ありがとう、さよなら、良い1日を!)」という超基本の流れですら、口が回らなくてうまく言えなかった。去り際の一言というのは本当に一瞬で、そのタイミングをつかむのにまず緊張し、結果もごもごしてしまう。しかもこの「良い1日を!」が、時間や状況に応じて刻々と変化する。Bonne après-midi ! Bonne fin de journée ! Bonne fin d'après-midi ! Bonne soirée !....エトセトラ。これらのバリエーションから最も適したものをタイミングよく口から出すのは思う以上に難しく、しかもこれに対して「Merci, également ! (ありがとう、あなたもね)」と返すのも慣れるまでに時間がかかった(この返し方にも色々なパターンがある)。さらに、そこにフランス人お得意のユーモアや皮肉交じりの一言が加えられたりすると、もはや引きつった笑いで返すしかない。フランス人同士の場合は、ここぞとばかり短い一言の応酬が始まったりするのだが、もちろんついていけない。そういう些細なやり取りを楽しむ文化はとても素敵だと思うのだけど、今の自分の語学力ではその楽しみをなかなか享受できず、疎外感のようなものを感じてしまう。

そして、避けては通れないのが発音問題。フランス語の母音は日本語にはない音ばかりで、日本人には聞き分けづらく、当然発音しづらい。相手との相性もあるので、同じ一言を言っても一回で通じる時もあれば、何度繰り返しても通じないこともある。これは結構ダメージが大きく、これまで何度となく繰り返して自信のあったフレーズですら、一人のフランス人から「Je comprends pas (わかりません)」と返ってくると、またゼロに引き戻される。いい年の社会人で、簡単な内容の言葉を発しているのに、「あなたが何を言ってるのかわからない」とハッキリ言われるのは、地味にしんどい。これでも毎日時間を見つけて勉強していて、たくさん難しい文法や単語も知っているのに、こんな簡単なフレーズですら伝わらないのか、とその度に悔しい思いをする。

もちろん、こういう疎外感や悔しさこそが、語学学習を続けるモチベーションになっていることは言うまでもない。たくさん間違えて恥をかいた先に、ようやく前とは違う音が聞こえたり、違う単語や表現が口をついて出たりする。その一瞬の喜び、次の瞬間には消えてしまうかもしれないささやかな自信を糧に、終わりの見えない長い道のりを少しずつ進んでいく。分かりやすいゴールがない分、長いスパンで物事をとらえる忍耐力も必要だ。

外国人なのだからネイティブと同等で話せるわけがない、とりあえずできる範囲でいい、大事なのは文法の正しさではなく伝える内容、など、語学との向き合い方は人それぞれで、どこを目標とするかに正解はない。ネイティブ並みに話せるように突き詰める人もいれば、最低限意思疎通ができればいい、と勉強をやめる人もいる。私も、自分を追い詰めすぎないようある程度あきらめは必要だと思っているし、かと言って、勉強を放棄すると一生今以上のレベルにはなれないという危機感もある。きっとそのバランス感覚、自分の中での語学との折り合いのつけ方が、長期の海外暮らしにおいては大事なのだと思う。

とはいえ、今回文字にしてみてはっきりわかったのは、どう語学と向き合えばいいのか私自身まだまだ迷っているということ。人にもよると思うけれど、海外暮らし3年なんて、そんなものなのかもしれない。

語学テーマは尽きることのない関心事なので、また何か書くかもしれません。


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