INTJ女性による「美人だから孤独を感じないでしょ?」という異性からの問いについての考察

「美人だから、孤独なんて感じないですよね?」
初対面の男性からぶつけられたこの問いについて考察したい。
なお、著者が美人であるかどうかなどは証明のしようがないし、本筋はそこではない。
(インターネットの海に写真公開なんてできないし、世論に私の心が殺されてしまう…。)

事は友人と訪れたスタンディングバーで起きた。二人で楽しくおしゃべりをしていたら、男性がふと声をかけてきたのである。
「お二人とも美人ですね。」
友人は後に、
「長い付き合いだけどあなたのあんな塩対応…初めて見た。どうしよう、興奮してる。」
と語っていた。私はとても冷ややかな対応だったようだが、ここで言いたいのはそんな話ではない。
その男性は、水たまりのように浅い会話を繰り広げた。話によると、孤独な夜を埋めようとこの場に訪れたのだという。それはその人の勝手だし、女性に声をかけるのも、この場では別に咎めるようなことではないのだと思う。友人が席を立ち、私は一人立ち尽くして目の前のグラスをぼんやりと見つめていたときのこと。金はあるけれど自分は孤独だと、グラス越しの男性は言い張る。
「…孤独を感じるときってありますよね。」
婚約破棄以来、それまで雲に隠れていた孤独が怒涛のようにやってくることがある。その孤独を、自己研鑽で捻り潰そうと試みているけれど、その感情については同意できる。でも、こんな会話はしたくない。とりあえず、友人が戻ってきたら店を出よう…。

「いやいや、美人だから、孤独なんて感じないんでしょう!」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。美人=孤独を感じない因果関係が全くわからない。私は孤独という感情を知っている。私は美人ではないから孤独を感じるのだろうか。

これっぽっちもわからないので、考察してみる。
①美人ではないから、孤独を感じる説
②美人だろうがそうでなかろうが、人の孤独はそう簡単に埋まられない説
③美人であればチヤホヤされやすいだろうから、孤独を感じない説
④美人は悪い言葉ではないので、とりあえず枕詞にした説

①美人ではないから、孤独を感じる説

私は孤独を知っている。ふと抱く孤独という感情を飼い慣らしたいと思っているが、それは異性で完全に埋められるものではないと考えている。ある意味、私は孤独を愛している部分もあるので、埋めるのではなく飼い慣らしたいという感覚の方が強い。

容姿に恵まれている=孤独を感じないが”正”だとすれば、私が感じるこの孤独はなんだろう?つまり、私が美人ではないから孤独を感じるのではという仮説である。

街を歩いていて芸能事務所からスカウトをされたことはないし、10年に一度の美少女だ!ともてはやされたこともない。自分で応募したとしても、オーディションには合格できないだろう。
人の好みは千差万別なので、「かわいい」や「美しい」という形容詞をつけて、私の容姿を好ましいと思ってくれる人もいたが、容姿を武器にして食べていけるほど恵まれてはいないだろう。見た目でなにか不利益を被ることがなかったといえ、特別な恩恵を受けた記憶もない。
上記より、私は自分が美人だという自覚は一切ない。極々普通のアラサー女性だ。ここで私の写真を掲載して皆様に判別頂いたほうが早いのだろうが、残念ながらそんなことは出来ない。ネットリテラシーが低すぎるのもそうだし、正論に私の心が殺されてしまう。

しかしながら、美人ではないから孤独を感じるという論調はいささか乱暴だと思う。美人女優にインタビューできればいいのだが、そのような夢の機会があったとしても「美人だから孤独を感じないですよね?」なんて無礼な質問はとても投げかけたくない。

②美人だろうがそうでなかろうが、人の孤独はそう簡単に埋まられない説

そもそも孤独とは、見た目の良し悪しから始まるものだろうか?
孤独とは、一人でいるときに生じるものだろうか?

私の答えはNoだ。
私は一人で行動できるタイプの人間だと思う。一人旅もするし、一人で外食もするし、興味があることに一人で行動することに全く抵抗がない。誰かを誘う発想が浮かぶよりも、まず一人でやってしまうことのほうが圧倒的に多い。

もちろん、一人でいることが苦手な人はいるだろうし、そういう人を知っている。一人で行動することに抵抗があり、誰かと一緒でないと動けない人を知っている。集団に属する煩わしさよりも、誰かといる安心感が勝つ人を知っている。その場合は一人=孤独という図式が成り立つのかもしれない。

でも、誰かと一緒にいれば、絶対に孤独は感じないものだろうか?
家族がいれば、パートナーがいれば、集団に属していれば、絶対に孤独を感じないのだろうか?

例えば、なにかに熱中しているとき、それが一人だとして孤独だと感じるだろうか?集中したいときは一人の時間が大事だったりしないだろうか?
どんなに家族といても、パートナーといても、集団に属していても、自分が寂しさを感じたら、それは孤独を体感しているのだと思う。

結婚しているから孤独とは無縁かと言われたら、おそらく違うだろうし、逆も然りだ。独身だからといって必ずしも孤独であるわけではないのだ。少なくとも私は、パートナーがいない現状や独身である状況に対して孤独を感じているわけではない。友人の数もとても少ないけれど、だから孤独だとも思わない。
ただ、ストレスが重なった時や、健康が損なわれているときは孤独を感じやすいなと思う。恋人に限らず愛する存在を失ったときも、孤独を感じる。満たされていた過去や”なにか”と比較して、現状が芳しくないときもそうだ。

③美人であればチヤホヤされやすいだろうから、孤独を感じない説

孤独はどこからやってくるのだろうか。そして、その孤独はどうすれば解消されるのか。

私は多数の人と過ごすことで孤独が解消されるタイプではない。孤独が埋まるどころか、疲労感やだるさが生じる。
では、異性からチヤホヤされたら孤独を感じないのだろうか?
私の答えはNoだ。興味のない異性から寄せられる好意やら性欲は、あしらうのが面倒で仕方ない。あしらい方を間違えて、嫌な目に合ったこともあるからどうしても愉快な気持ちになれない。

しかし、あくまでもそれは私の回答だ。
バーで声をかけてきてくれた男性は、異性がチヤホヤしてくれたら孤独を感じないのかもしれない。
なぜ、夜の街へ足を運ぶ人がいるのか。私は男性がキャバクラに行きたがる心理を理解は出来ないけれど、その心理を推測することは出来る。承認欲求が満たされることで癒やしが生じ、結果、孤独を埋めることができるのではないだろうか。

④美人は悪い言葉ではないので、とりあえず枕詞にした説

美人という言葉そのものは、悪い言葉ではないと誰もが思っているだろう。
それでも私は「美人だから」を枕詞にすればいいという浅はかさが不快だった。

バーの件から一週間程経ったある日のこと。閑静な住宅街を歩いていた際に、男性が突然近づいてきた。訝しむ私に男性は声をかけてくる。
「すみません。友達からでいいんで、連絡先だけでも交換してくれませんか。」
ああ、ナンパか。繁華街じゃないところでのナンパって怖いんだよな…。
ひったくりにでも遭うのかと思った。
「結構です。」
足早にその場を去ろうとしても、
「美人だったので、一目惚れで…!相手がいますか?だめでしょうか。」
何度か食い下がる彼の態度に、私は腹がたった。”美人”ってつけておけば、なにをやっても許されるのかと。私の恐怖心は無視されるのかと。

過去にストーカー被害にあったことがある。大事には至らなかったものの、あの時感じた恐怖は本物だ。大抵の人は心配してくれた。けれど、

「あなたはかわいいもんね。」
「あなたは昔からモテるもんね。」
「でも、そんなことになっちゃうなんて、あなたにも隙があったんじゃない?毅然と断らないと!」

これらの言葉の数々で、私は人に相談することができなくなった。モテる自慢だと捉えられてしまうのだろうか。私が悪いのだろうか。
好意を寄せられたら必ずしも、受け止めなくてはいけないのだろうか。
なにかあった際に「でもあなたにも責任はあるよね。」と思われるのがとても怖い。同性であろうが異性であろうが、私の苦しみを自慢と捉える人もいる。
なお、上記の件とは別件にはなるが、ギリギリまで人に相談できなかったせいで、被害が拡大した経験もある。

容姿を褒めたからといって、相手に不快な思いをさせていいわけではないはずなのに。

総論

どんなに褒めているつもりでも容姿に言及するのは、リスクが伴う行為だと思う。しかし、例えば恋人から「かわいい」と言われて、不快な気持ちになることは、余程のことがない限りないかと思う。恋人が愛おしそうに私を見つめて「かわいい」と口にするとき、お砂糖のように甘い甘い幸せが駆け巡った。

元も子もないが、関係性と相手への親愛度によって、言葉のもつ意味は大きく変わってしまう。
だからこそ、関係性も築けていない場面で人の容姿に口を出すことは、リスクが高いのだ。また、見た目を武器して戦えるような人に対して「美しい」なんて口に出したところで、「…だからなに?」と思われるだけだと思う。キティーちゃんを前にして「猫のキャラクターですね。」というようなものだろう。事実をそのまま口にしたところで、だから何?と思われるのがオチな気がするので、好感度は決して上がらないと思う。

孤独とは主観的な概念のため、他人の孤独を推測することは出来ないだろう。あの人は満たされているに違いない!と感じていても、その人にはその人の孤独が隠されているのかもしれない。

だって、私は美人なのに孤独を感じるのだから―。

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