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藤井聡太が現れなかった世界から 新作将棋小説『覇王の譜』

「将棋×将棋」の新しい将棋小説

 29連勝の衝撃とともに藤井聡太がデビューして以来、将棋を題材とした小説、ノンフィクション、漫画が花盛りを迎えている。ブームと言っていい。

 四年前、新潮社の編集者から声をかけられた時、「困ったことになったな」と思った。私は既に『サラの柔らかな香車』と『サラは銀の涙を探しに』という二冊の将棋小説を出しており、将棋についてあらかた書き切ったという感があったからだ。漫然とならいくらでも書ける。しかし、次々と優れたエンタメ作品が出てくる中で、インパクトを持ったものを用意するのは難しい。

 この十年ほどで私が特に高く評価している将棋小説は、『神の悪手』(芦沢央/新潮社)、『盤上の向日葵』(柚月裕子/中央公論新社)、『宗歩の角行』(谷津矢車/光文社)である。それぞれ「短編ミステリ×将棋」、「長編サスペンス・ミステリ×将棋」、「歴史・時代小説×将棋」と言い表せよう。他分野で実績を積んだ力ある書き手が、将棋を題材に強みを生かして取り組んだ傑作群だ。

 「〇〇×将棋」。

 新しい将棋小説を生み出すためには、空白を埋め、自分だけの〇〇を見つけ出さなければならない。

 私の〇〇探しがはじまった。

 連作短編、本格推理、サスペンス、大学将棋、恋愛、青春、時代。
 しっくりこない。
 いっそのこと転生とかしちまうか……。
 駄目だ。そういう小説は私の脚質に合わない。
 袋小路の行き詰まり。

 しばらくして気が付く。
「俺には将棋があるやないか!」
 空白を埋めるものは「将棋」。
 すなわち「将棋×将棋」である。
 ジャンル的立ち位置を取らず、真正面からプロ棋界を描けばいい。このアプローチは王道でありながら、現代小説において十全に達成されているとは言い難かった。
「ど真ん中が空いている!」
 状態だったのである。

 こうして将棋小説に新たなる覇を唱える『覇王の譜』がはじまった。

令和将棋三国志

王座に君臨する旧友。一方こちらは最底辺。
棋士・直江大の人生を懸けた巻き返しが始まる。
元奨励会の作家が描く令和将棋三国志。

新潮社による文庫紹介

 「令和将棋三国志」というのが「将棋×将棋」から出た本作のコンセプトだ。三国志というのは、歴史マニアの担当編集による発案だが、本作の特徴を実によく捉えている。
 『蒼天航路』で学んだ私が言うのも心許ないが、「戦争」「政治」「人間」というのが三国志の肝ではないだろうか。本作もその三点の特徴を併せ持つ。「戦争」は盤上での覇権争いであり、「政治」は棋界政治闘争だ。そして「人間」は登場人物たちの群像である。

対局は盤上の格闘技

 棋士たちは己のすべてを懸けて将棋を指す。盤上での争いが、物語を駆動するメインエンジンとなる。
 対局描写こそが将棋小説の華である。対局室を描写し、空気を感じ取り、仕草・表情を描出し、棋士の頭の中に入り込む。
 将棋小説はスポーツ小説であり、競技小説であり、格闘小説である。読者に自分が盤前に座り対局しているような錯覚に陥らせる――というのが究極の形だ。背景描写・人間描写・説明・内心描写・比喩と、持てるものをすべて使って対局を書いた。
 将棋小説だから、将棋がわからないと理解できないのではないか――とはよく聞く不安だが、私の対局描写は、専門家が愛好家向けに書く観戦記や自戦記とは異なるものだ。小説の言葉で書いている。描写に心を委ね、対局者に憑依していただきたい。

藤井聡太の現れなかった世界

 将棋界の全景を見るには、盤上の戦いだけでは足りず、盤外における棋界政治を描き出さなければならない。
 書店員の本屋あさの(@lXk6fyXIIIvEKVu)さんは『覇王の譜』のゲラを読み「『3月のライオン』に『半沢直樹』を掛け合せたエンターテインメント性。」との感想を呟かれていた。
 『覇王の譜』では対局と並行して、愛憎、因縁、駆け引き、裏切りの政治劇が展開される。半沢直樹みのある部分であろう。
 現実の将棋界は、藤井聡太が現れたことで、政治的懸念材料が一気に解消された。財政問題、スポンサー獲得問題、強権的会長が残した不和、進まぬ普及、将棋ソフト冤罪事件……。一人の天才の放つ光が将棋界の闇をかき消してしまったのである。
 一方、『覇王の譜』の将棋界に藤井聡太は登場しない。政治的問題は山積みのままであり、保守派と革新派の間で権力の綱引きが行われており、主人公は、その渦中に巻き込まれていく。

人間たち

 結局のところ、小説は人間である。将棋小説においては、将棋を指して生計を立てる棋士という生き物を立体的に描き出さなければならないのである……。
 という堅いことは置いといて、ゲラ読みなどで人気だったキャラクターはこちら。
・江籠紗香(えごさやか)……美貌、毒舌の女流棋士。
・師村柊一郎(しむらしゅういちろう)……「孤剣」の二つ名を持つ主人公の師匠。
・高遠拓未(たかとおたくみ)……生意気な天才将棋少年。
私のお勧めは
・剛力英明(ごうりきひであき)……主人公のライバル。
で、自分にないところを持っているキャラクターに惹かれるところがある。何よりも業が深く、人間的。

 対局にせよ、政治にせよ、人間にせよ、物語や小説の形でしか書き表せない事柄がある。それが小説家としての私の信念だ。
 体感していただければ幸いである。

関連情報・リンク

『覇王の譜』は新潮文庫より8月29日に発売されます。

「お前は一流にはなれんよ」。七年間、C級2組から這い上がれない直江大に剛力英明王座はそう言い放つ。旧友との目も眩むような格差。だが、天才少年との邂逅、“孤剣”の異名を持つ師の特訓が、燻っていた直江を覚醒させる。彼の進む道の先には運命の対局が待ち受けていた。元奨励会会員、将棋を深く知る著者が青年棋士の成長と個性あふれる棋士群像を描く。魂震わす将棋エンターテインメント。

新潮社『覇王の譜』紹介ページ

新潮文庫より、8月29日に、将棋エンターテインメントの決定版として語り継がれるであろう、文庫オリジナル作品、橋本長道著『覇王の譜』を刊行します。
プロになって7年、最底辺のC級2組から這い上がれない直江大。一方、奨励会同期で幼なじみの剛力英明は既に王座位を得て、今まさに注目を浴びている。旧友との間に開いた目も眩むような格差。だが、京都の天才少年・高遠拓未との邂逅。将棋界の第一人者・北神仁との対局。そして師である“孤剣”師村柊一郎との猛特訓が、元小学生名人〝賞味期限が切れたはずの天才〟を覚醒させた──。最も熱く、最も深く、最も鋭利な、空前絶後の将棋エンターテインメントが誕生しました。

『覇王の譜』プレスリリース

■「傑作の予感しかしない。冒頭の数ページを読んでそう感じた。そしてその予感は正しかった。あまたある将棋をテーマにした小説の中でもトップクラスの作品ではないか」
 将棋に造詣が深く、将棋ペンクラブ大賞最終選考委員も務める文芸評論家西上心太さんは、本書解説にて、こう言い放ちます。ミステリ~エンターテインメント小説を長年紹介・解説してきた西上さんを一読で唸らせたのが、『覇王の譜』なのです。

『覇王の譜』プレスリリース

※「ど真ん中が空いている!」
「下のほうはがら空きだ(There's Plenty of Room at the Bottom)」リチャード・ファインマンが1959年におこなった有名な講演のタイトル(「サイエンス・インポッシブル」ミチオカク)


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