見出し画像

秋は夕暮れ 堂本光一は別腹

出戻ってきてしまった。
私、光一さんに出戻ってしまった。(大事な事なので2回言う)

全ては「チャーリーとチョコレート工場」を観劇するためだ。
今年は勝利くんとの「Endless shock」も観劇しているし、25周年を機に25年加入していたFCを背水の陣で退会したのに、再加入までが絶対早すぎるし、なら辞める時もっと考えた方がよかったよね??と思わずにいられないし、でもでもやっぱりやっぱり辞めてみてわかったんだよ!!!堂本光一は完全別腹だったんだよ!!!
私には堂本光一のウィリー・ウォンカを観ないと言う選択はどうしても出来なかった。意気込み勇んで新規加入ならもうこれチケット当たりやすいでしょうー!!!で、再加入し、チケが外れる。
なんでよ、出戻りにも優しくしてよ。

辞めていないブレない母親が取ってくれた分で、ご相伴に預からせていただけて、観劇できた。人間、ブレない事が一番偉い。ブレない周りの方のおかげで私まで観る事ができて本当に良かった。
そして、素晴らしかった、堂本光一のウィリー・ウォンカ。

羽生結弦さんとのswitchインタビューも放送され、非常に見応えのある内容を踏まえて観劇する事ができた新作舞台、光一さんがこれまで経験してきた全てが活かされ、結実し、光を放つ様を目の当たりにしてきた。

switchインタビューの中で光一さんは「ウソが現実になっていく瞬間がすごく楽しい」
と言っていた。

私はそのことをずいぶん前から知っていたように思えて、とても嬉しい。
光一さんがウソを現実にする為に、Endless shock一幕最後、あの階段を登っているんだと気づいたのはいつだったか。

アイドル舞台、帝劇がその時期だけ客層が変わる、力不足、成し遂げてきた事の半分も評価されない、そんな時期をずっと過ごしてきたと思う。

ただ、反面、なにくそと闘争心を燃やして彼は取り組んできた、自分の持ちうる全てで。
そして、自分の持ちうる全てでは立ち行かないと、己の持っているものと持っていないものを否応がなしに気づくことになったのだろう。


どうしようもない歌の才能、果てしない演技力、足りない、こんな自分では足りない。
自分にあるのはこの身のみ。

見せてやろう、俺の見せられるものを。
(と、思ってるんじゃ無いかなぁと私が思っているの意。てか、じゃなきゃあんな飛び道具をこの何十年やってのけるのは正気の沙汰でないと思うのだ)

だから、堂本光一はこの18年間の毎公演、あの階段を、本当に死ぬ為に登り、そこから落ちる。
(本当には死にません。めちゃくちゃ生きます!)

ウソを現実にするには、あそこまで自分を追い詰めるしか見せられるものがないんだと、自分にできることの限界を知った故に、自分を酷使する。

(自分にはそれしかないと思ってなかったら、あそこまでしなくないですか?あの綺麗な顔で、あそこまでやるんですよ。わかんねえよ凄すぎて)

いつしか周囲の雑音は止んだ。

あそこまでして魅せようとする者に、冷笑を向けるものはもういない。

勇気のあるものの鳴らす小さかった拍手が、今はスタンディングオベーションにまで広がる。

23年、帝劇に立ち続け、SHOCKシリーズではない後輩舞台の演出指導をし、新しい作品に演者として参加する。

これまでの事務所の舞台で、彼はただの「演者」ではない。
主演であり作者であり、演出家だ。ジャニーさんが指し示す道筋は魅力的だがそこにはどうしようもないトンチキ感が漂う。その匂いがジャニーズ舞台と揶揄されてしまう所以だと私は思ってきた。それを己の力で、トンチキと言わせないレベルの作品までSHOCKを高めたのが、堂本光一だ。

この何年かでようやく他に演出家のいる舞台作品に参加する(できる)ようになった。本来ならば、ご存命のうちに蜷川幸雄作品に出て欲しかった。蜷川さん宛に手紙を出し、光一さんが「誰かに壊して欲しい」と語っています!とその雑誌の切り抜きを封筒で送り届けてきた私がどれだけ切望しても、それは叶わなかった。光一さん自身も自分と誰か他との掛け合わせの中で新しいものを生み出したいとずっと切望していたと思うのに。実際、自作曲のみで構成されたアルバムの出来が素晴らしい中で、アルバム二作目は提供曲が多くなった。そのことを「自分では起こせない化学反応が起こるから、提供された曲も面白い」というような表現をしていたことがある。


東宝も堂本光一とSHOCKという至宝を壊さないために頭をたくさん捻ってくださって、井上芳雄さんと共演の大作「ナイツテイル」の初演と再演を成功させ、そしてこの度、堂本光一単独主演の「チャーリーとチョコレート工場」が制作される運びなのだろう!!!!やっほー!!

堂本光一vsめちゃくちゃ濃い製作陣とメンツ

正直、芸達者なみなさんの中で、彼がどこまでできるのか、心配がなかったと言ったら嘘になる。ただ、観劇して、そんな事を少しでも考えていた自分を私は恥じる。

堂本光一は、その圧倒的な華と存在感と、努力と経験に裏打ちされた「技術」で、あの場で誰よりも芸達者だったんだから。

この作品を堂本光一でと考えてくださった製作陣の方に足を向けて寝られない。
ロマンスや、歴史物、色々と考える余地はあっただろうと思うところに、作品自体は有名だがその奇天烈さと子役ありきの展開に、主役は誰でも良い作品では無いと思う。

美しく魅力的だけど妖しくなく、歌っていなくても主演とわかり、子役と対峙した時に野心でなく温かさを出せる人。

そんな人あんまりいませんけど。

これ他の方が演じられたら…と光一ウォンカを観た後に色々考えてしまったけど、どなたも足りなかったり、多かったりで、これ、ドンピシャだったんじゃないの…と役のありがたさと、それを完全にモノにした光一さんの力量にあっぱれ!!!本当にわたし、完全に出戻り!!!

いやはや、最高の時間を過ごしました。

非現実で温かくて、可愛らしくて。

ここだけの話、SHOCKより泣いてしまった。

私は「ラマンチャの男」が大好きで、最後の最後のアルドンザのセリフ
「私の名はドルシネア」
のためにあの舞台を観る!!と、思うほどあのセルフが大好きで、ドン・キホーテとの出会いで彼女が変わっていった事が彼の起こした最高の奇跡だと思うし、彼女がその彼の夢を引き継ぐんだなと思うと、私なり解釈して毎度感動してきた中で、あのチャーリー最後のセリフですよ。
大ネタバレなので省きますが、繋がって泣いたぁ…多幸感の中、あのセリフ言われてお母さん、泣いたぁ…嗚呼、良い作品だった、私はこの作品を受け取る事が出来たと思えて、大満足だった。
何よりも子役の涌澤昊生さんの全場面ぶっ通しの大活躍と、感情が今沸き起こり、そこにしっかりあると感じられる役者っぷりにも大感動し、こんな化け物みたいな役者さんの中でうちの堂本光一も素晴らしくってよ…そう、私は出戻り。

コロナ禍以降、母親と一緒に観劇するのも久しぶりとなり、離れて暮らして長く、私も親となり考え方が独自となった今、新しい作品を同じように受け止められるかなと少し考えていた。

幕が降り、隣の親を見ると、全然私より泣いてて、全然私よりこの作品を受け止めきってきて大したもんだった。
「とにかく良かった。光ちゃんはすごかったし、子役の子なにあれ最高だったね。あんなに上手くて自然でね!!!あの子ずっと出てたのに、変なところ全然なかったし、光ちゃんの一幕最後のあれで、カリスマと説得力と美しさと兼ね備えてるのあの人だけだわ!!!」

と、私ほぼ感想が同じで、とても気分が良かった。結局、どう暮らしても遺伝子が一緒なので、同じように反応するんだ、どうせ。と、よくわかった。老体の親と駅まで歩きながら、めちゃくちゃに語ったのも楽しかったし、解釈一致のオタクってマジで最高だわと思った。

故郷に帰る親を見送り、振り返ると東京駅に秋の夕方の日の光が差し、自分の興奮した脳みそと、肌に冷たい風を感じる。
こんな瞬間のために生きている、そんな気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?