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プロ野球選手にとっての「トレード」とは!? “ドラ1四兄弟”次男・増渕竜義、語る!!

「最初は自分が呼ばれた理由がわかんなくて、『俺、なんか悪いことしたっけな?』とか、いろいろ考えましたよね。心の準備がまったくできてなかったぶん、戦力外通告を受けたときよりもショックは大きかった気がします」

 新たなシーズンが開幕したばかりの2014年3月30日。増渕竜義は、予定されていたイースタンのロッテ戦が雨で中止となったヤクルト戸田球場で、唐突に“その日”を迎えることになった。


「いつもはいない編成担当の人が来てるなぁと思ったら、『スーツに着替えて、すぐ東京ドームホテルに行ってくれ』と。その場では明言こそしてくれなかったですけど、向かう道すがらで『これはトレードかもな』っていうのは、うっすらよぎってはいましたね」

 甲子園経験こそなかったものの、06年のドラフトでは、超高校級の“公立の星”としてヤクルト&西武が1位指名で競合。入団会見では“ヤクルトレディ”をしながら女手ひとつで育ててくれた母への感謝と、「運命を感じる」ヤクルト球団への愛着を口にした。

「そりゃ、18歳から7年間もお世話になってきたチームですからね。いざ告げられて、それに『はい、わかりました』とは答えましたけど、やっぱり気持ちは複雑でしたよ。当時の自分にあったのは、『ヤクルトで活躍したい』ってその一心。それができない悔しさとさびしさで、しばらくは心の整理がつかなかったのも確かです」

 なれ親しんだ神宮&戸田での挨拶を済ませると、“通告”のわずか3日後には、日本ハムが3軍を置く鎌ヶ谷入り。背番号もそれまでの「22」から「45」へと変わり、考える暇もないまま、新天地・日本ハムでの生活は始まった。

「挨拶に行った神宮では、小川(淳司)監督からも、『環境を変えることがおまえのためにもなると思った』と直接声をかけてもらいましたし、そこはもう自分なりに納得して……。それに日本ハムはヤクルトに似て、アットホームな雰囲気のチームなんでね。僕自身、すごく大事にしてもらえましたし、同級生もわりといたから、打ち解けるのにもそこまでの時間はかからなかったんですね」

 かの斎藤佑樹を筆頭に、投手陣には、吉川光夫(現・巨人)や屋宜照悟(現・ヤクルト)、乾真大(現・BC富山)に榎下陽大(現・日本ハム球団職員)と、同学年も多くいた。

 だが、そんな彼らの存在に刺激を受けながらも、「これだ」という手ごたえのないまま、いたずらに月日は過ぎていく。2シーズンの在籍で1軍登板はゼロ。それがかつてのドラ1に突きつけられた、紛うことなき現実だった。
                                (つづく)

【プロフィール】
増渕竜義
1988年、埼玉県生まれ。小学4年生から野球を始め、高校進学時には強豪校からの誘いを断り、公立の鷲宮高を選択。県大会の決勝で敗れた3年夏には、5回戦・市立浦和戦で15奪三振&ノーヒットノーランも達成し、その境遇・投球スタイルから“斎藤雅樹2世”とも称された。06年の高校生ドラフトで西武との競合のすえヤクルトに入団。前後してプロ入りした村中恭兵、由規、赤川克樹とともに“ドラ1四兄弟”として期待された。14年の開幕直後に今浪隆博との交換トレードで日本ハムに移籍。15年限りで現役引退を表明した。現在は、自ら運営する上尾ベースボールアカデミーにて、小中学生の指導に汗を流す。
生涯成績:157試合/363.1回/15勝26敗29H/257奪三振/防4.36

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