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事前放流の課題は水利権だけではない

無理解のマスメディア

2019年1月11日に配信された高知新聞の記事で鏡ダムと事前放流について報道されていた。登録すれば月10本までは無料で記事が読めるので是非読んでみて欲しい。この記事から読み取れたのはマスメディアの無理解であったので当時のダム操作をみながら解説する。

2019年台風18号における鏡ダムの洪水調節

図3

こちらは高知県 水防情報システムから取得した2019年台風18号による出水時における鏡ダムの操作をグラフ化したもの。流域時間最大83mmの強烈な雨が降る中で流入ピーク時に洪水の35%を貯めて下流の水位低下に努めた

このグラフを見ると一般的なダム操作と異なる点があることに気付く。

すり付け操作をしていない

図5

すり付け操作とは洪水初期に増加する流入量に追従して放流量を増加させ貯水位を維持し空き容量を確保する操作のこと。画像にすり付け操作実施イメージとして青い点線を追記した。この時の鏡ダムでは行われていないために145万㎥以上の洪水を余計に貯めて空き容量を減らしてしまった

ただし書き操作によるの急激放流

図10

ダムは放流にあたり下流の水位変動が30分で30~50cm以内の変動となるよう放流することを原則としている。いわゆる「放流の原則」である。だいたいの場合は操作規則に盛り込まれている。鏡ダム操作規程によると…

第8条 所長は、規則第17条に規定する場合を除き、ダムから放流を行う場合は、次の表に定めるところにより、下流に急激な水位の変動を生じないようにしなければならない。ただし、気象、水象その他の状況により特に必要があると認める場合は、これによらないことができる。

図7

放流量を見てみると10月3日9:00の75.42㎥/sから30分後の9:30に274.32㎥/sと、30分で約200㎥/sの増加となっていて操作規程通りではなく「ただし、気象、水象その他の状況により特に必要があると認める場合は、これによらないことができる。」という条文にあるようにただし書き操作として行われていたはずだ。

すり付け操作はしていないのに、ただし書き操作による急激放流は行う。不可解な操作に思えるが当時の状況と併せてみていくと真相が見えてくる。

洪水前夜

高知地方気象台が洪水前夜に発表した気象情報によると

発表時刻:2019-10-02 22:43:47
大雨と落雷及び突風に関する高知県気象情報
3日に予想される1時間降水量は、いずれも多い所で、
 中部 40ミリ
 東部 40ミリ
 西部 70ミリ
3日0時から4日0時までに予想される24時間降水量は、いずれも多い所で、
 中部 180ミリ
 東部 180ミリ
 西部 180ミリ

「いずれも多い所」なのでダムの流域雨量ではそれを下回る場合がほとんど。さらに、台風常襲地帯で全国でも降雨量が多い高知県で、1時間雨量40mmや24時間雨量180mmは大した量ではない。

さらに鏡ダムでは10月1日から非洪水期になり、冬に向けて貯水位を常時満水位まで上昇させていく。ダム職員は「多い所で180mm」程度のまとまった雨で常時満水位まで水を貯められると考えたのではないだろうか。

当日の朝

発表時刻:2019-10-03 05:33:37
大雨と落雷及び突風に関する高知県気象情報
[雨の予想]
 高知県では、局地的に雷を伴った猛烈な雨の降るおそれがあります。
3日に予想される1時間降水量は、いずれも多い所で、
 中部 80ミリ
 東部 70ミリ
 西部 50ミリ
3日6時から4日6時までに予想される24時間降水量は、いずれも多い所で、
 中部 200ミリ
 東部 150ミリ
 西部 120ミリ

3日6時までの流域累加雨量は90mmとなり、前夜より予測雨量が増える。

図8

非洪水期に入ったばかりで貯水位には余裕があり、流入量は少なく、予測雨量も高知県としては多くない。ここまでは前夜とほぼ変わらず。しかし…

3日8時以降の急変

図9

ただし書き操作による急激放流を行うには事前に関係機関への通知が必要になる。実施と降雨のタイミングから逆算すると、3日7~8時前後に雨量予測が急変したのではないだろうか

流入量の急激な立ち上がりにできる限り追従し余計な洪水を貯めてはいけないと判断して急激放流を行う。そして放流量300㎥/sを超えたあたりから操作規程本来の操作へ戻す。

高知新聞の記事では異常洪水時防災操作の実施を決めたとあるが、おそらく土木部長への承認を指していると思われる。実際は異常洪水時防災操作開始水位に到達しなかったため操作は行われていない。

結果的には異常洪水時防災操作をせずに約187万㎥を貯めて河川水位低減に効果をあげたが、前夜予測の「多い所で180mm」とはかけ離れた総雨量320mmにもなっていて実績と予測の大きな剥離があったことが想像できる

高知新聞の見落とし

豪雨に備え、ダムの水をあらかじめ放出して貯水量を減らす「事前放流」の重要性が注目されている。しかし高知市の洪水防止の役割を担う鏡ダムの状況を調べると、事前放流の体制づくりは進んでいない。ネックとなるのは「水利権」の存在だ。

高知新聞はこのように書いているが、水利権以前に大きな見落としがある。事前放流は空き容量が不足するほど大きな予測雨量が無ければ実施できないという点だ。

事前放流実施には大きな予測雨量が必要不可欠

図11

洪水前の水位は制限水位以下で空き容量に余裕があり、前夜でも予測雨量は多くない。この条件で事前放流のために利水の放流を依頼して快諾してくれる利水者はいない。自分が利水者なら「ダムの空き容量は足りてるから事前放流は不要。自分たちがリスクを負う必要はない。」と思うだろう。

ダム操作にはエビデンスが必要

ダム操作にはそれ相応のエビデンスが必要だ。決して多くない予測雨量では利水者を説得できるエビデンスにならず事前放流の実施は難しい。仮に事前放流実施要領を作っていた場合でも、予測雨量が規定値を超えなければ事前放流は行われない。

事前放流実施という課題をクリアするために前提条件があることを見落して論じていては別のリスクを増大させてしまう。マスメディアにはもう少しダム操作の理解を高めて正確な報道を行ってほしい。

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