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学校に行けない自分を責めているあなたへ

新学期からは頑張っていこうと思った。
受験もあるし、今年からは行こうと決めた。それで4月は頑張った。
時々遅刻したこともあったけど、ちゃんと行った。
毎日じゃないけど、半分くらいは行った。
親も直接は言ってこないけど、なんとなく安心しているみたいだった。
だから頑張った。頑張ろうと思った。

でも、ここのところ朝起きると身体が重たくて、動けない。
連休、どうして終わったちゃったんだろう。
もうすぐ連休が来るというとき、実はホッとしてた。
今は、本当は、行きたくない。行かなきゃいけないのはわかっているし、自分で行くって決めたのに。なんでだろう。なんでこんなに行きたくないんだろう。
みんな普通に行っているのに。別にいじめられたわけじゃないのに。
なんで自分はできないんだろう。
ごめんなさい。ごめんなさい。こんな子どもでごめんなさい‥。


学校に行けない自分はダメなやつだと思っている。
学校に行けないことはダメなことだと思っている。

でも果たして本当にそうなのだろうか。

なんで学校に行けないことが悪いことなんだろう。
どうして学校に行けないことで後ろ指を差された気分になるんだろう。
学校に行けないことを良くないことだと思っているのは誰なんだろう。
学校には行かないといけないって誰が言ったんだろう。
自分自身だって、本当に学校に行かないといけないと思っているんだろうか。

学校は行くものだと思ってた。来てない子もいるけど、でも基本的には行かなきゃいけないものだと思ってた。
お母さんだって、そう言っている。「学校は行くものだ」って。

じゃあ、お母さんはどうして学校には行かなきゃいけないのか、説明できる?

私は1人の大人として、学校に行かねばならない理由を説明できない。
学校に行っておいた方がいいとも言い切れない。

学校に行けないのは色々な理由があるというけれど、学校に行けるのも色々な理由があるんだと思う。

例えば、今の日本では、入学してから学校が合わないなと感じても、学校を変えることはなかなか出来ない。
それなのに、学校なんて入ってみないとどんなところかわからない。どんな同級生がいるか、どんな先生がいるか、どんな先輩がいるか。
入ってみて違った、ということもあると思う。途中までは良かったけど嫌になった、ということもあると思う。

学校を卒業した私たちは、1人の大人として、働いたり結婚したり色々しながら社会の中で生きていく。
そういう私たち大人は、もしも就職した会社が合わなかったら、辞める。転職する。結婚相手を間違えたと思ったら、離婚する。
もちろん様々な手続きは必要で、ときには一筋縄では行かないこともあると思う。
でも、自分の意思があれば途中でも降りることができるという選択肢がある。
学校も、子どもにとっては社会だ。
それなのに、どうして学校を変えることが出来ないのだろう。習い事だって、嫌になったら辞められるのに。

もし、学校を変えることが一般的な状態なら、学校に行けないことに悩む子どもは減ると思う。自分のことをダメなやつだと思わずに、「なんか違うから別のところ行こう」と前向きに生きられると思う。
どの学校も合わない、他の学校に行っても一緒だと思うなら、学校ではない場所を選べばいい。それだけだ。

学校に行けないことを「不登校」とネガティブオーラ満載な言葉で表現し、その理由を子どもたちのせいにしたがる、子どもたちのせいだと思わせる大人の視線こそが、子どもたちを追い詰めている。
大人たちには、出来ることがまだまだたくさんあるはずだ。


しかし個人的には、そんな「不登校」を選べる子どもたちには未来を感じている。
もちろん、選びたくて選んでいる子どもばかりではないことはわかっている。
そうではなくて、「学校は、嫌だから行かない」と悩みながらも決断できた子どもたち。特に、親になかなか理解してもらえない場合には、決断した後も悩んだり苦しんだりしているかもしれない。
でも、そんな子はとっても素敵なものをもっている。
その決断、その意志が、あなたがこれから生きる未来の力に、必ずなる。
現状に疑問をもち、自分の心の声を聴き、それを信じて選びとる力の身につけ方は、学校ではなかなか教えてくれない。教えてくれないから、ひらがなを読むような標準的なスキルとして大多数の人に備わってはいない。

圧倒的に強力なその武器を大事に守り、磨き、そして未来を拓き、生き抜いていってほしい。
きっと、大丈夫。相談室から応援している。

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