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能登訪問

能登に行ってきました。
輪島のお寺に車と差し入れを届けるチームに同行しました。

写真は道の駅の赤神です。
三重や京都や名古屋など県外ナンバーのタクシーが多く留まってました。調査の人を乗せるようです。
写真の外ですが自衛隊もテント張ってました。

振り返ると
40代のときは東北の震災、30代のときは福井豪雨、20代のときは阪神淡路、各年代に一度は大きな災害がありました。

1995年阪神の時は大学生でした。ボランティアに向かう同級生を『スゴイ! 僕はとてもそんな心境になれない』と思っていて、いつも通りのバイトをしてました。

そこから9年後の2004年福井豪雨のときは、当時の職場が床上浸水しました。応援に来てくれた人のご飯をつくりつつ、『どうせ作るなら近所の人の分もつくれるといいな』と思いましたが、提案する勇気はありませんでした。

その7年後の2011に東北の震災が起こりました。仲良くしていたお坊さんが、追悼法要やキャンプの受け入れを企画しました。少しお手伝いできました。数日ですが絵本バスの巡回にも同行しました。

一昨年の豪雨のときはウチの墓地に水が浸きました。以前から周りの水路の整備をお願いしていたのですが、役場と用水組合と農家組合をたらい回しにされ、今もそのまま。南越前町も大変だったけど、ウチのことは誰にも理解してもらえないままこのまま時間が流れていくんだろうな。そんな思いを抱えながらの2024年。

野々市の檀家は無事でした。和倉の檀家も仕事どころじゃないですが、身体は健康でした。金沢の檀家はエッセンシャルワーカーとして奔走してます。

いつもの生活に戻ることはありがたいことなのかもしれないですが、あの時のことが無かったこととされることは深い悲しみを刻みます。

私も50歳を過ぎました。
今回のチームでは最年少であり、若いもんがそんなこと言うなといわれましたが、心身の老化は否定できません。
衰えゆく身体と緩やかに付き合いつつ、爆発力や瞬発力はありませんが、息の長い関わりができたらいいなと思っています。

無量寿経にある
『生死勤苦の本を抜く』
寺院規則にある
『人類永遠の福祉の貢献』
祖父、藤季が昭和の時代に書いた
『仏教社会事業の問題点』
が私の行動のルーツになっています。

引き続きよろしくお願いします。なまんだぶつ。

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