【公演レビュー】2024年(令和6年)1月27日/ 壽 初春大歌舞伎 夜の部 千穐楽


[要約]

1月7日の同演目の公演についてはこちら。

一.鶴亀

約170年前に作られた謡曲をほぼそのまま長唄にした歌舞伎舞踊。
女帝の拝賀に浴して民の歓呼の声が上がるなか、廷臣と従者が舞を演じ、五穀豊穣と天下泰平を祈念する祝儀もの。
療養中の不自由な体でつとめる福助の女帝の動きが一段と大きくなり、表情の変化もあった。2月も歌舞伎座出演が予定され、体調は回復傾向と推測できる。ファンの多い役者ゆえ完全復活を気長に待ちたい。
下半身主導の動きで強靭な印象の松緑に対して、高麗屋の2人は上半身先行の舞で若干腰が軽く見えた。いずれにしろ華やかで気持ちの晴れるひと時。

二.寿曽我対面

歌舞伎の正月といえば曽我物。
例えば2023年(令和5年)新春は壽恵方曽我をかけている。
両者はほぼ同じストーリー。背景に流れるのは仇討ちだが、切った張ったはなく、歌舞伎の様式美のエッセンスが次々に繰り出され、最後は登場人物の見得で壮麗に終わる。
仇役ながら場の空気を司る風格の漂う工藤祐経役は梅玉。7日は声が通らず心配したがこの日はまずまず。
クライマックスは実父を祐経に討たれた曽我五郎・十郎兄弟が、祐経側近のとりなしにより目通りを許される(つまり敵同士の穏やか〔?〕な対面)。
相手を前に血の気にはやる五郎は芝翫。いわゆる荒事を明快な起伏で演じた。歌舞伎の玄人からすれば突っ込みどころはあろうが、以前も書いた通り様式の枠の中で、現代の観客に伝わりやすいメリハリの芝居ができるのはこのひとの魅力で人気のあるのも頷ける。
一方、その五郎を諫め、対面は無事に済ませて時節をうかがうべしと内面の強さをにじませる十郎は扇雀。和事のスタイルで抑制のなかに強い芯が通った好演。
色々な意味で歌舞伎の「面白さ」のつまった一幕だろう。

三.息子

100年ほど前に小山内薫がハロルド・チャピンの「父を捜すオーガスタス」を翻案した作品。
一旗揚げようと移った髪型で身を持ち崩し、両親との再会を願い上京した息子が、偶然父に出会うが、お互い「何か」を言い出すことのないまま、切なく別れる。
白鸚の芝居は7日より一層磨かれた。セリフが身体の内からふつふつとわき出てくる。
目の前の青年が息子だと気付くきっかけは2度の「うるさい!」という青年のリアクション。1度目は疑いを抱き、2度目で火箸を取り落とす。
序盤の「まぁだ死ぬものか・・・」と幕引きの「達者で暮らせよ」はそれぞれ共演の染五郎、幸四郎へ向けられたものか。

四.京鹿子娘道成寺-鐘供養の場-

結構複雑な筋で背景に怖い要素を持つが、舞踏の多面性が華やかプラス妖しく展開する名作舞踊。
途中で手ぬぐい投げもあり、新春の打ち出しにふさわしい演目。
月の後半をつとめた尾上右近は眉目秀麗な顔立ち、堂々たる体躯を生かし、太い筆で豪快に花子像を描いた。ますらおぶりの色気が場内に香り、観衆をがっちり引き込んだ。
玄人が見た場合、テクニック面の甘さを感じるかもしれないが、独特のスケール感で魅せる立女形のホープとして今後が一層楽しみになった。

※文中敬称略


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?