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ヒヤシンスだって支えが欲しい【要領悪いアメリカ留学39】

アメリカでの誕生日

誕生日でした。
近年、記念日を祝う文化の無かった弊家族において、親から数年ぶりに誕生日おめでとうLINEが来てすごく不思議な気分でした。
また、いつも祝いあってる友達は時差を考えてくれて、なんか嬉しかったです。
愛。。。❤️

誕生日当日の朝は、職場の近所の行列のできるカフェに、オープン時間の7時に行って、モーニングを食べてみました。

7時のサンフランシスコ、朝日が眩しい!

喫茶店といえば、モーニング。
ここアメリカサンフランシスコのカフェにもモーニングメニューはあります。
これが、モーニングサンドイッチ($10、コーヒー代別)だ!

熱々のチーズと卵焼きが入っているモーニングサンドイッチ

名古屋の皆さん、やはりモーニングのコスパは世界一ですよ。。。!
いや、美味しいのよ?
マックのハンバーガーくらいのサイズのバンズに、焼きたてのベーコンと卵焼き、少し溶けたチーズが最高のハーモニーです。
ただ、コーヒー代込み$15(約2250円)は高いようぅ

家の咲いたヒヤシンスが倒れていた朝

人生で1番多く、他人とハグした日でした。
そんな文化無かったし、去年はそんなのしなかったから、急にモテ期でも来たのかと思いました。
ランチの時間に「あれ、今日って誕生日だっけ?」って聞かれて、
「そうだよ」って答えたら、
「Oh my god!」って言われて、隣のラボの人を含む数人の女の人がハグしてくれました。

いや、人生でモテ期って3回しかないらしいから、これはカウントしないで…

「今日は料理しないぞ!」
そんな暴君のような30代独身男性はその後、
日本人の方に教えてもらった日本料理店に行き、豚カツ丼を楽しんだのでした。

自分で揚げ物作らないから迷うなぁ
揚げたての豚カツ丼、うまい!!

この日、朝と夜の食費で$40くらい使ったのかと思うと、「暴れたなあ。。。」と思ってしまいます。
本当は一食200円で済ませたい価値観は変わらず、
後味ちょっとしょっぱい、そんな誕生日でした。

アメリカでやってはいけないこと:日本のご飯のコスパの良さを思い出す。
(前に帰国した時のミスド、最高だったなぁ)


一人称視点

モテ期の話を書いていたら、ふと、昔、付き合った女の子のことを思い出しました。
数年前の3月、夜の川名公園で、いわゆる口説く的なムーブをした覚えがあります。
しかも数時間。。。

今の僕からすると、
寒いの嫌いな僕がそんなに長いこと外にいるなんて、
よっぽどその子のことが好きやったんやなー
若いってすごいなー
て言うか相手も迷惑やったやろうなー
という萎れた感想しか出てこなくて、まるで自分の話じゃないみたい。

視野も自分視点でしかなく、就活のESで「広い視野を持って」とか「多様な視座から」とか書いてたなんて、人間性の薄っぺらさが際立ってしょうがない。

川名公園は本当に好きな場所、また帰国したらお散歩しにいきたい

もう何を話したかなんて覚えてないし、その人が今どうしてるのかも分からないのだけど。
なんか人生における記憶って本当に儚いなぁって思ってしまいます。
この頃はnoteとかブログとかやってないだろうから、何も残ってない。

中学生の頃愛読していた、ポルノグラフィティ新藤晴一さんの「自宅にて」の中の一節、
「確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うから」
が、ずっと心に残っています。
感想読んでたら、また読みたくなったなー

偽善者みたいな考え方だけど、
その時の好きという気持ちが、今の彼女が幸せになってる様子(知らんけど、なってるといいよね)を見て、本当に嬉しく思う気持ちを呼び起こしてくれるような、送りバント的な形で作用してくれるなら、
僕は当時の自分の心に対する非礼を挽回できるのかもしれないなぁ
薄っぺらいなんて言って、ごめんね。

「人」という字は

芸人さんのYoutubeとかラジオとか見てると羨ましいことがある。
売れてない頃にお世話になった先輩とか、一緒に腐っていた同期とか繋がりを大切にしているように見える。

自分に置き換えて考えてみる、、

幼稚園から一緒で、高校の頃、流行りの曲みたいに朝4時にギター背負って、普段電車で行ってる高校を1時間くらいかけて一緒に自転車で行ったあいつ

同じ感じの大学サークルってことで、実家から最寄りの大学にふらっと立ち寄った時に、いつも遊んでくれた、あの人たち

イラレめっちゃ教えてくれた神様たち

研究室での何気ない時間の楽しさを教えてくれた先輩方

今でもLINEしたりzoomで話したりして、繋がってる人は、嬉しいことにたくさんいて、本当に幸せだと感じます。
こうやって挙げてる、もう何年も連絡を取ってない人ともまた会いたいと本当に思えるのも、多分幸せの一つ。

孤高の一匹狼に憧れたことも多分あったけど、絶対無理だったし、
外国のような、誰も知ってる人がいないとこに1人で来ると人間が繋がることの重要性を感じます。

生まれ育った愛知県を初めて離れ神戸に住んだ時ですら、
一緒にご飯に行く人が一人もいないことに寂しさを感じ、
当時コロナ禍の最初だったのもあり、濃厚な孤独の味を毎日繰り返す日々に食当たりを起こしていました。
おじいちゃんおばあちゃんが、「お金払ってでも話し相手が欲しい」って気持ちがよくわかるなあ。。。

じゃあ、次、帰国したら、どうしようか
結婚式行けなかった人たちをお祝いしに行ったり、
前にサンフランシスコで一緒にご飯食べた友達にお礼に行ったり、
石川出身の後輩と石川行きたいな
長野で働いてる後輩のところ行って、たくさん野沢菜やナガノパープル食べたいな

結局、誕生日迎えて一つお兄さんになっても、一人称視点が消えてない。
だけど、自分がこれまでいろんな人と関係してこれたことを思い出せたのは良かったです。
つまり、誕生日サイコー!⭐️

見えるプレゼントと見えないプレゼント、どれも大切な思い出なので、
ここに記録しておくことにします。

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