見出し画像

車から降りられない、という話


タイトルの通りで、車から降りられないことがよくある。30分だけ降りられないこともあれば、2時間3時間と車に居続けることもある。

車が故障している、とか、駐車場が狭い、とかじゃなくて、家に車で着いてエンジンを切ってからなんとなく降りる気がわかないのだ。
ひとたび降りられなくなると降りなきゃという意志も段々と失せていって、音楽を流し始めたり取り止めもなく思考したりして、降りるまでの時間を潰す。

その日はなんとなくセンチメントな気分で、なんで今こんな事になっているんだろう、と今の自分や今に至るまでの出来事を振り返ってた。

ハヌマーンが好きな先輩がいる、と聞いて飛び込んだ大学軽音に入った当初は、良くも悪くも、もうちょっと幅広いジャンルの音楽を聴いてたし、リスナーとしての我が強かった。当時のマイブームはrideとseedaだった。

楽器何も弾けないけどヤル気はあるっス!というよく分からないガキを、先輩はあちこち引っ張り回して本当に可愛がってくれた。
友達もできた。常に駄洒落を言う邦インディーロック好きとか、ギターのことなら何でも真剣に相談に乗ってくれた巨人とか、初対面でsyrup16gで意気投合した機材厨とか。キャラ被らなすぎだろ、アベンジャーズか。

流行り病で軽音部は動いてなかったけど、先輩たちがとにかく楽しそうに自分や上の先輩のオリジナルバンドの話をしているのを、聞くのが好きだった。知らない先輩の作った知らない曲を聴きながら、友達とコピーやったりオリジナルやることを想像してた。
ギターを触り始めてすぐ、この楽器に向いてないし、人に聴かせられるようになるには時間がかかることは分かったけど、知らないふりをしながら先輩や同期と遊んでた。
今は今で、楽しかったり苦しかったりだけど、この時が1番楽しかった気がする。

時は1年くらい流れて、やっと軽音部の活動がスタートした。バンドを組んでから程なくして、なし崩し的にパンクのオリジナル曲を作った。その直前まではピロウズみたいなバンドをやろうかな、とか考えてた。
その曲は、歌詞とメロディーとアレンジのコンセプトを自分で持ってきて、ちょっと出来る友達にコードをつけてもらった。もう自分でやろうと思えばできるんだろうが、その友達の方がよく分かってるので、未だにほとんどの箇所でコードを付けてもらってる。

バンドはガレージ、パンクのバンドだ。もちろんそのジャンルは好きだが、伝統芸能的なジャンルの方がリスナーとしての我を出せるだろう、という打算もあった。
その頃、RCサクセションや毛皮のマリーズをよく聴いていた。「リファレンスは隠さない。だってコレをやってる俺たちが1番かっこいいから!」というアティテュードに憧れた。これは俺でこそすぐ出来るとも思った。

はっきり言って、すぐ挫折した。
昔のロックには今の邦楽のうま味成分が足りない。ただうま味を足すだけだとただのポップスになるところを、rcやマリーズは上手く調理することでポップで美味しいロックンロールに仕立てあげてた。職人芸、あるいは天才の仕事だった。
するとリスナーとしての我も芯がブレはじめて、今でもまだ帰ってきていない。リスナーとしての自分が分からない。音楽くらいしか趣味がないのに、音楽を聴いていて楽しい時間が明確に減った。
リスナーとしての自分が弱くなると頭に明確にあったイメージも段々とボケてくる。最近はかなり、コードを付けてもらったり一緒にアレンジしてるその友達に苦労させている。
負のループ的に衰弱している。

楽器もよく分からない。それでも、(rcとマリーズはピンボーカルだけど)俺のイメージの中ではカッコいいのはずっとギターボーカルだった。
ちょっと抜けが悪くて物足りないのにカッコいいギターにしたいはずが、自分が音を作ると単に物足りなかった。

それでも、段々と分かってきたこともある。
ロカビリーのイディオム的フレーズはそれ自体に魔法がかかっている。ロックンロールはダンスミュージックだ。歌謡的なパンクやロックンロールのポップさの秘訣は歌謡アイドルにある。
自分が好きだと思ったのはマーシャルの歪みというより真空管の歪みだ。中域を上げるにしても限度がある。想像よりも音圧は上げるべきだが、gainは想像より下げてもいい。無茶しないと楽器は上達しない。
まだまだ良くなるかもしれない。

大学にいる数年の間に、何としてでも、音楽を聴いて周りを馬鹿にすることを杖に生きてた中高生の自分を殺してあげないといけない。
あの頃が1番楽しかったけど、それでも、あと数年を転がり続けるだろう。始める時期、色んなことに気づいた時期、全部遅かったけどそれでも、中高生の自分も、リスナーとしての自分も救って、大団円にしてやりたい。


話は翻って、今度、E棟コンピ(自分の所属する大学軽音のオリジナル曲のコンピ)がサブスクに上がるらしい。身内の好きなバンドの曲がたくさん入ってるから持ってない身内は聴いてほしい。

そして、自分のバンドからはバンドワゴンという曲を提供させてもらっている。時間と実力がなくて本当にひどいレコーディングをしちゃったけど、それでも当時のベストだったと思う。曲はちょっと良いと思う。

自分の書いた歌詞について話すなんてことはもうそうそうしないだろうが、これは自分の所属する軽音部についての歌詞の曲で、クサイけど気に入ってる。

ある街にバンドワゴンがやってきて、数日で去っていくが、頭に爆弾を抱えた少年の体が動き出す。
そんな歌詞に出てくるバンドワゴンみたいに、大学軽音のオリジナルバンドはたった数年、部室とライブハウスに立ち現れては消えていく。

歌詞を読む限りでは、その少年がバンドワゴンの側なのか、迎える側なのかはよく分からない。
だけど自分は自分がバンドワゴンに乗っている側なのだと信じたい。

なんとなく降りられなくなった車が、意味を持つこともある。意味を持つまで乗っていたっていい、とさえ思う。
降りるのは30分後かもしれないし、2時間3時間と居続けるかもしれないし、数年後かも。煙草を吸いにちょっと降りて、また乗ってもいい。
それがいつか分からないけど、その全てを見終えるまでは、決して席を立つんじゃないぜ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?