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「推し」概念と「あの娘」概念、あと男性学

皆さ〜〜〜〜ん

性欲、感じてますか〜〜〜〜〜?????

俺も別に好きでこんな最悪の挨拶をしているわけではなくて、自分が何の気なしに「性欲」と「推し」について呟いたツイートがフォロワー外から反響をもらってちょうど考え込んでいたところというのがある。
問題のツイートはこれ。

https://twitter.com/goingsteady___/status/1662137516764581888?s=46&t=6T2Xw1oECCsY79o2DbCH4w

本当に便所の落書き的にインターネットに放ったものにもかかわらず思いの外反響があって、「いいね、止め〜〜〜!!!!!wwwww」(ラブライブ!2期1話)になっていた。

そもそもTwitterなんてものは何かを真面目になにかを話し合ったりする場所ではないのもあって、後から言葉がちょっと足りないなとか色々考えてた。

というのも、「女性の性欲」という言葉が強すぎるあまりに自分の持っているイメージが上手く共有できない気がしたのだ。
誤解を恐れずに言うとこれだとなんだかオッサンが「このグラビアアイドルはナイスバディだわ〜」的なアレの女性版のような印象を受けかねない。
それに、もし仮にそうだとして、それは自分にとって受容し得るもののように感じる。

自分が伝えたかったのはもうちょっと、こう、現実では満たしがたく、人前に見せるにはあまりに鬱屈した何か、のことだった。
自らのコミュニケーション不全と、対人関係への不安と、うまく解消できない性的欲求と、社会不適合性がないまぜになっている何かだった。

そして、それを「推し」という言葉は露悪的にならないように上手くラッピングしている。
言葉の意味は移り変わる。もしかしたら原義ではないかもしれずおそらく今の意味とは少し違う、そんな「推し」観を自分は持っている。

だからこそ、その「推し」観を持ち合わせたまま昨今の「推し」の潮流が見ていてつらい、というツイートだったのだ。
(当然、自分が把握していた頃の女オタクは「推し」によってラッピングしつつも大っぴらにしていなかったよな....?という含意がある)

そして、この(自分的)「推し」概念の要点には、人間関係や人をコンテンツ化することにある。
クラスで1番可愛い女子をコンテンツ化して「推しなの〜!」という女オタク、いませんでしたか?
というかそもそもアイドルなんかはともかく、たとえば声優同士の人間関係やお笑い芸人の人間関係を消費するのなんてコンテンツ化の最たるもののように思う。

このコンテンツ化は行き過ぎると、(後述するが自戒もこめて、)現実の人間関係からの逃避になり得ると思う。というか、多かれ少なかれしていると思う。

それが駄目なわけではないだろうが、それって辛くないか?生きづらさそのものじゃないか?とも思う。

というのも、このコンテンツ化は仔細は違うが男性にも起こり得る。
ファム・ファタール、女神.....色々な表現があるがここでは「あの娘」とする。

(書きかけ)
今後追記と修正します

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