なんで漫画描いてたんだっけ?のメモ

忘れそうになっているのでここに描き残しておこうと思います。
読みたければ読んでください。長いけど…。

ギャグ漫画との出会い

あれは当時小学校6年生だったと思う。

本屋で買った「世紀末リーダー伝 たけし!」を車の中で読んでた。
あんまり漫画でゲラゲラ笑った事はないが
この漫画はいつ読んでも涙流して笑えた。

ギャグ漫画にありがちだがたまにバトルやシリーズ展開に入る時がある。
その時は無茶苦茶ムカついてた(笑えないので)

自分の中で「ゲラゲラ笑える漫画」へのリスペクトが高まっていた。

自分も作りたい。と考えるようになった。

元々漫画を自作で描いていたが、結局は「何か」の真似だった。
その当時もギャグ漫画を実際に描いてみたが
「たけし!」のパクリだった。どう読んでも。
友達にもその事を指摘され「いやコレは…」と長々言い訳していた。

長々と言い訳しなければいけないくらい自覚していた点だったのだ。

「お笑い」が好きだ

ギャグ漫画が好きなのは元々お笑い、コント番組が好きだった。
現実を忘れ夢中になれて大笑いできるからだ。

とにかく現実が嫌だったんだろうと今考えれば納得できる。

「お笑い」を作れる人は本当にスゴイ。
どうして人を笑わせる事ができるのだろう?
魔法としか思えなかった。
ますます「ギャグ漫画」へのリスペクトが高まる。

ギャグ漫画は儚い

当時からギャグ漫画に対して疑問があった。

巻数が少ない物ばかりだ。

こんなに面白いのに。こんなに素晴らしいものなのに。
なんですぐ終わっちゃうんだろう?
下手したら1~2巻で終わってたりする。

漫画家になってわかった。
そもそもギャグ漫画は「漫画」じゃない。
漫画の中でも異質で、ハッキリ言って要らないのだ。

無くてもいいけどあったほうがいいジャンル。
僕はそれが本当に納得できなかった。許せなかった。

自分がもし漫画家になったら3~4年は続くギャグ漫画をやるんだ。
と心の中で決めていた。

漫画家になってみて。

「今週のかなでさん」というギャグ漫画の連載が始まり。
そこに色んな思いを詰め込んだ。

あの時の自分。現実が辛い人をゲラゲラ笑わせたい。
漫画を読んでいる時は元気になってほしい。
ギャグは絶対に何かのパクリにはならない。オリジナルであるべき。
その漫画固有のフレーズを生み出して。漫画が終わっても使われてほしい。

それだけを考えて描き続けました。
7割くらいは、やれたかなと思っています。まだ未練があるけど。

250話を描き終えて思ったのが、描いている側の苦悩。

本当に説明し難い、虚無感が襲ってくる。
相当なギャンブルをやっている気分。終わりのない実験のような。
世間からすると本当に無意味な行為なのだ。

だけど唯一救われたのは今でも読んでくれていた人たちが
当時の熱量で感想をくれる事。
現実が辛い人は、いつの時代もいるようで
寄り添ってあげられた事が何よりも嬉しい。

「かなでさん」は自分の中で唯一うまく描けたギャグ漫画かもしれない。

今思う事。

連載からはや10年が経った今。
SNS内の漫画事情も大きく変わって来た。

例えばX(旧ツイッター)だが、使用の変更により漫画の載せ方も
皆工夫せざるを得ない状況になっている。
昔みたいに4枚載せたりはしない。先に1枚絵を載せてツリーで
本編を載せるだとか…

インプレッションの事を考え反応しやすい内容に変えたりだとか…

ここ数年ツイッター向けに色々と漫画を描いていたけどダメだった。
一時期ツイッター向けに描いていたけどボッキリ心が折れてしまった。

自分ではわからないけど、多分「ウソ」を描いているからだと気づいた。

元を辿れば目の前の「誰か」を笑わせたいからギャグ漫画を描いていた。
純粋にただ「それだけの事」でしかないからだ。

それが時が経つにつれ、ネット上だったりアプリ越しの誰かになり。
目的とどんどんかけ離れていった。

仕事としては正解なんだけどその場合どうしても「虚無」になってしまう。
自分には合ってないんだと気づいた。

まあなんか色々言ったけど要は「描いたモン勝ち」なので
うだうだ言ってないで描けばいいんですよね。実際。

さいごに

何故noteにこんな事を書いたのかというと
Xでは宣伝だったり漫画を載せたいのでなるべく弱音みたいなのは
吐かないようにしています。

漫画もツイートで流れちゃうので。

全く面白い事言えてないけどすんません。
これはまあただのメモなんで。勝手に読んだアンタが悪い(こっわ)

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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