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フーがきた

我が家に3匹目のネコがやってきました。三毛♀で名前を「フーリー」と申します。

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訳ありの子で、ちょっと前までご近所の八千草薫さんちの子でした。主を失って我が家にやってきた忘れがたみ。チョモ♂とキンタ♂と仲良くできるか、ゲージの中と外とで目下お見合い中。

谷口千吉family

八千草さんはご主人の谷口千吉監督を2007年に亡くされて、一人暮らしでした。ワンチャンはお手伝いさんが引き取り北海道へ。写真は24年前です。1995年遠征の直後で真っ黒い顔をしています。ご主人83才、奥さま64才の時で、やっぱりお綺麗です。

おうちでは、奥さまを「ひとみ」と呼び、ご主人を「先生」と呼んでいました。

ご主人の山の話を聞くのが楽しみで、いつもやさしくてやわらかい時間があっという間に経っていきました。

谷口監督のヒット作であり、三船敏郎のデビュー作「銀嶺の果て」の話は、先生の前前妻の頃の話だったので、こちらからうかがうことはしませんでしたが、それでも先生の代表作であり一番の思い出に残る映画作りだったようで、自らよく話してくださいました。

栂池で映画撮影中、吹雪に迷って暗くなったので雪に穴を掘って一夜を明かしたら、スキー場のそばで大笑いだったとか、新婚旅行は沢渡から徳澤まで歩き、奥様が大きな荷物を背負ったとたん後ろにひっくり返ったとか、面白い話を昨日のことのように話してくださいました。

お部屋の中、唯一の写真で、タンスの上の小さな写真立てが気になっていたので聞いてみたら、八千草さん18の時の写真で、ご主人が大切にされていたようです。まるでロシア娘のような、美しい顔立ちです。

映画監督は早くにリタイヤされたので、ご自宅と八ヶ岳の別荘でのんびりとした時間を過ごされていました。谷口監督が育てた三船敏郎さんは会社の都合で黒澤監督が途中から起用するようになったことを少し不満に思っていらした口ぶりでもありましたが、子供のころから競うことができない性格だった様です。というか、奥さんを3回も変えてしまった監督のせい(笑)

監督が子どもの頃に住んでいた自宅は、トイレの窓を開けると御茶ノ水のニコライ堂が見える場所だったそうで、地主でした。現在の日大理工学部は谷口さんが売った土地だとか。

子どもの頃に関東大震災を経験され、護国寺の坂で縄で縛られた朝鮮の人が道路を引きずりまわされている光景を見て、人間ってなんでこんなむごいことができるんだろうと恐ろしくなって逃げ帰ったとおっしゃっていました。

東宝映画だったので、大蔵撮影所の近くに家を建てたら、やがて測量ポールが立ち始め東名高速の工事が始まってがっかりしたとか。

世田谷の自宅の庭にやってくるスズメにエサをやったり、地域ネコにエサをやったり、そのネコを家に引き取ったりと、動物が大好きなご夫婦でした。

1980年発行のブルーガイド「ヒマラヤ・トレッキング」に八千草さんがクーンブ・トレッキングの思い出の文を寄せられています。数年前にはご近所の方と一緒にブータンにも旅行されました。

一度だけお芝居を観に行ったことがあります。タイトルは忘れましたが楽屋で「満席で盛況でしたね」と言ったら、「最近は会社がアイドルを入れて客集めしてるのよ」とめずらしくご不満そうにお話をされたことをおぼえています。

私の世代だと「こんなお母さんだったらいいのに」というアイドル的おかあさん女優でした。先日の台風19号で多摩川が越水する映像がテレビで何度も流されましたが、高校生の頃に観た「岸辺のアルバム」は衝撃的でした。清純派女優の初の不倫ストーリー。多摩川の氾濫で念願のマイホームが流される実写が取り入れられていて忘れられないシーンでした。

オープニングで流れるジャニス・イアン「ウィル・ユー・ダンス」は私の世代なら多くはこのドラマで知ったはずです。椎名林檎の「シドと白昼夢」という楽曲に「昔 描いた夢で あたしは別の人間で ジャニス・イアンを自らと思い込んでいた 現実には本物が居ると理解っていた」というフレーズが出てきます。彼女も影響を受けたアーティストなのでしょう。

心にポカンと穴があいた気持ちです。

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