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中高年男性と数珠ブレスレット

みなさんこんにちは。長南です。

今日もまた例のごとくTwitterを徘徊していたら、文春オンラインが非常に興味ぶかい記事を掲載していました。

中高年男性が数珠ブレスレットを持ちたがるということ

「数珠ブレスレット」が「中高年男性」にというのがなかなかに新鮮です。数珠ブレスレット(あるいは天然石ブレスレット)はたしかにオカルト関連の界隈で付けている人が多い印象がありますが、占いとセットで顧客に売りつけるのというのは昔からある霊感商法の常套手段です。占いイベントなどでは来場者に注意喚起がなされるほど「古典的」なアイテムです。

記事では「富裕層が集まる怪しげな“交流会”に参加したとき」の話ということで、「45歳・AV監督」「51歳・映像編集の仕事」の二人にインタビューした経緯が書かれています。筆者自身がわざわざ「怪しげな」と書いているくらいですから、普通にお金を持っているという意味の「富裕層」ではなく、おそらくもっとピンポイントで特徴的なコミュニティでの話だと思われますが、数珠ブレスレットを持つきっかけとなったのは、占いであったり、占いの仕事での関連で持つようになったと語っています。また占いきっかけで持つようになった方は月光浴させるとか流水にさらすとかいった、これまたありがちな「浄化方法」をレクチャーされているようです。

こういったモノに惹かれ手を出してしまうのは「占い師に対して依存してしまいがちな心弱めな方」というのがこれまでの相場だったのですが、色々特殊なコミュニティだとはいえ、それなりにお金を持っているであろう立場の男性が巻いているというのに新鮮な驚きを感じました。

パワーストーンに関する個人的な見解

「じゃあおまえは『占い師』なのにこういったパワーストーンの効能は信じないのか」といった声が聞こえてきそうですが、私はこういったものに対してもう少し違った考えを持っています。

パワーストーンに限らず金やプラチナなどの貴金属、ダイヤモンドなどの宝石が持つ最大の力は稀少性がもたらす価値です。もちろん工業的に有用であったり装飾品に使う素材として優れていたりということはありますが、つまるところ「珍し(そう)だから価値があるに違いない」「価値以外に何か力があるに違いない」と思うことです。ある意味「思い込みによる呪術的な力」と言えなくもありません。

すこし冷静になって考えればわかることですが、パワーストーンに何か運気を高める効果があるというのであれば、この世で運気高くみなぎっているところは、神社仏閣などではなく、パワーストーンの卸問屋になるはずです。なんなら初詣で神社じゃなくて石屋さんにお参りに行けばよいとも思います。当たり前ですが本質的に金属は金属で石は石です。数珠ブレスレットにしても、ぶっちゃけNETSEAあたりを探せば掃いて捨てるほど取り扱っている業者が見つかるし、原価そのものは驚くほど安いものです。東京に住んでいるのであれば浅草橋界隈にいけば天然石の卸業者がたくさん軒を連ねているのを確認できるでしょう。

非常に冷たい言い方かもしれませんが、一般的に数珠ブレスレットは「その程度のアイテム」だと言わざるをえません(もちろんデザインや意匠が優れていて別の価値を持っているものもありますが)。

モノに力を宿らせる方法

では、単なる石や金属に過ぎない「モノ」に何か特別な力を宿らせるにはどうしたらよいのでしょうか? そもそもそんなことはできるのでしょうか? 私はそれは「可能」であると考えています。ただし「モノ」自体に力を宿らせるのではなく「モノ」を持つ人間のほうにアプローチすることが必要だと考えています。

ジブリの人気アニメ映画「千と千尋の神隠し」で物語の中盤で主人公一行が「銭婆(ぜにーば)」の家を訪れ、全員で手を動かし、千尋の髪留めを作るという場面がありますが、あれがまさに「本当の魔法」であり、モノに力を宿らせる方法です(そういった意味では「千と千尋」はよくそのあたりのことが描かれています)。髪留めそのものは粗末な材質であっても、髪留めを見ることで苦労して作った記憶が思い起こされる、そこに本当の力があるということです。

パワーストーンや数珠ブレスレットでもおなじことです。占い師に言われるままに「ちょっとお高い金額を出して」ブレスレットを買っただけれあればあくまでそこまでの力しか発揮できません。それこそ必死になって石の意味を調べ、浅草橋の天然石問屋を絨毯爆撃のようにまわって石を選び、手間をかけて自分で作ってはじめてブレスレットに力が宿る(正確にはブレスレットを見ることでその記憶を思い出す)ものです。あるいは貧しい時に苦労してアルバイトをして得たお金でブレスレットを買うといったことも考えられます(資産の大半をはたいてこの手のモノにお金を使うのはその後の生活が破綻するリスクがあるのであまりオススメできませんが...)。

また、「数珠のような形をした何か」を持つよりも、きちんとした「本式の数珠」を持ち、使い方などを菩提寺の僧侶に習うことのほうがより大きな力を発揮できるものです。宗派によって差異はありますが、珠数や様式、使い方にはそれぞれ深い意味があり、それを知った上で数珠を繰ることでそれを思い出す。そういったことに意味があるわけです。

あるいはあなたがカトリックのクリスチャンであれば、ロザリオを作ってそれこそロザリオの祈りを唱える、そういった用途の道具として使うべきです(他のキリスト教では宗派によって事情が異なるので全てのクリスチャンにオススメできる方法ではありませんが)。

巷の占い師がよくレクチャーする、月光浴させるとか、流水にさらすとか、セージ焚いた煙に当てるとかいった方法も単に「浄化の方法」というのではなく、そのことを通じてどのように自分の心をコントロールするのかということのほうが大切です。浄化させるのは数珠ブレスレットではなく、自分の心であるべきです(語弊を恐れずに言うならば某方面でいうところの「内部表現」ということではありますが、いろいろ問題が大きすぎるのでこれは忘れてもらって構いません)。

仮に私が鑑定の現場で「願いを叶えるための強い心を持ちたい」と言われた場合には、そういったことをお伝えすることがあるかと思います。単に「このブレスレットをつけると良いですよ」とはおそらく言わないでしょう。「単にモノを持つ」ことがそれほど大きな意味をもつわけでないということは僭越ながらわきまえているつもりです。

最近一般的になった「御朱印」も同じで、寺社で書いてもらった御朱印に価値があるのではなく、書いてもらうに至るまでに経験したこと(お昼に食べた弁当が美味しかったとか雨にふられて大変な思いをしたとか...)に真の価値があると信じています。

オカルトグッズとの付き合い方を見直そう

今回も延々と長ったらしい文章を書いてしまいましたが、パワーストーンのブレスレッドに限らずオカルトグッズを持つということの意味について、みなさんがこの文章を通じて見直していただければ、オカルトをカジった酔狂な一人の人間として幸いです。

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