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無用の人 原田マハ

それは能力がないのではなく、密やかに美しいものを愛でる自らの価値観に基づいて生きているだけだと。社会や他の人にとって「無用」になっているだけではないかと。

原田マハ「無用の人」バクナンランナー 希望の日々


おのれの存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、

他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。

岡倉天心「茶の本」

意味 
自分にある一見すると偉大に思える能力や性質が実はちっぽけなものだということに気付けない者は、他人にある一見するとちっぽけに見える能力や性質が実は偉大なものであるということを見逃してしまう。


Mark Rothko, 本名 Markus Rotkovich
マークロスコ どんな人?
1903年、当時ロシア帝国領のラトビアで生まれたロシア系ユダヤ人の画家。 1938年にアメリカ国籍を取得し、その約2年後から、マーク・ロスコと名乗るようになった。 ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマンらとともにアメリカを代表する抽象表現主義の画家として、いまも評価されている。

岡倉天心の言葉について、思うこと。この小説の中のお父さんは、「美を慈しむ」という感性がありながら、それは日常生活に役に立たない資質であると、ちっぽけなレッテルを自分に貼った。
母親が子供に、お父さんは役に立たないと愚痴って、子供がそれを間に受けて、洗脳された様子が見られる。ニュートラルに、俯瞰的に人を見るっていうのは、子供の年齢ではとても難しい。そして、会社から、不当なリストラをされる。
それでも、私は、「パートナーの評価に流されず、お父さんが、もっと、積極的に子供と関わることができたなら。」という思いで一杯だ。
この世の中、天心のような智人は稀である。だいたいが、未熟で、エゴイストで、ナルシストである(自分を含め)。お父さんが、この本の中で、唯一の天心であった。だけど、唯一は、いつも殺されるのだ。特に、博学な唯一は。理解者がいない限り。理解者がいなかったら、レッテルに卑下せず、戦わなければならない。でも、お父さんは、戦いを放棄した。(諦めてしまった。)

DNA
センス、学力は、やはり遺伝である。その上に楽しんで続けることによって、その才能が開花する。娘は、父親譲りの天性があり、それを職業にして、幸せになった。そして、それを父親はとても喜んでいる。母親にはそれを理解できない。
後になって、娘は父親の審美眼に気づく。
幸せに生きることと、仕事での成功が一致するとは限らない。社会的に無用であったかもしれない父親は、でも、年に一度の桜の美を堪能して、幸せだったのではないかと、私には思えた。そして、それは娘に継承される。だから、このエッセイは、本のタイトルの あなたは誰かの大切な人につながるんだなと、気づいた。

ロスコはこんな言葉を残しています。彼は作品と対峙した人がどう感じ取るか、どう理解するかに徹底的にこだわって作品をつくりました。
そして、それを表現するうえで以下の「7つの成分」を大切にしていました。

1、死に対する明瞭な関心はなければならない… 命に限りがあり、それを身近に感じること。悲劇的、ロマンティックな美術等は死の意識をあつかっている。
2、官能性…世界と具体に交わる基礎。存在に対して欲望をかきたてる関わり合い方。
3、緊張…葛藤あるいは欲望の抑制。
4、アイロニー…人がひと時、何か別のものに至る為に必要な自己滅却と検証。
5、機知と遊び心…人間的要素として。
6、はかなさと偶然性…人間的要素として。
7、希望…悲劇的な観念を耐えやすくするための10パーセント。

なぜ値段が高い?マーク・ロスコを解説(最も有名な抽象画家のひとり)

ロスコの絵を前にして、父親は、自分の悲観、アイロニー、そして10%の幸せを感じたのかもしれない。幸せとは?ということをふと考えた。