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My Hometown

それは恐ろしい停滞だった。失われた三十年など問題にならない停滞だった。

変わらず広い道路を走る車が一変した。国産車、とりわけ電気自動車の姿が目立ち、トヨタやホンダはまばら、BMWやベンツはさらに少なく、土煙色の街に似合わぬオレンジ色のマセラティは一台だけだった。バスもほとんどすべて電動化され、なにより電動スクーターが、ここは東南アジアかと思われほどに増え、車道だろうと歩道だろうと、我が物顔で縦横無尽に駆け回った。

赤信号を渡ろうとする電動スクーター、奥の白Tシャツは渡っている最中の歩行者

ぼくはおそるおそる、その分子運動のように無規則に見える車列のなかを通過した。律儀に赤信号を待ちたかった。けれど、信号よりも自分の目と足を信頼する大群が、車列の隙間にある動線を目敏く見つけ、いいから着いてこいと背中で語りかけてきた。たしかに、青になってからでは別の信号無視グループが突っ込んでくる、動きが予測できない分、よりリスクが高いかも知れない。ぼくは仕方なく一歩踏み出した。

一歩踏み出したところに、慣れ親しんだ感覚が広がっていた。赤信号を無事に渡り切る術など、二十数年前、毎日徒歩で通学したころにとっくに身につけたものだ。渡った先で乗り込んだバスでは、車内のサイネージが受験の点数が上がると謳う模擬問題集を紹介していた。思えば大学入学が決まった後、ぼくは高校三年間にやった問題集をすべて引っ張り出し、歯の欠けたちり紙回収の老人に売り渡した。そのお金はラーメン三杯に変わった。物価が上がった今では、屋台の串焼きが精一杯だろうか。

平日は問題集の餌食になっていると思われる男子二人が、メーデーの貴重な連休を使ってどこかへ出かけようとしていた。ベージュのTシャツに灰色の短パンはまさしく昔のぼくの姿で、一ヶ月は伸ばした髪の毛、髭を剃ることの大事さに気づいていない顔を見せられた頃には、昔の黒歴史を思い出して赤面しそうになった。後ろの席に座った帰省中の女子大生と思われる二人組も全く他人とは思えなかった。通報されるリスクを承知の上で身につけたものを眺め回したが、2020年代を象徴できるシンボルをとうとう見つけることができず、そのかわり、かつて眺めた同級生の私服となんら変わりなく、顔さえいじることができれば、今のぼくが当時の経験を隠れ蓑にして、簡単に入れる世界を発見した。

日に焼けた農婦顔のおばさんが、股空きズボンを履いた子供を連れて乗り込んだ。彼らは粗野ではなく、不潔でもなく、ただ性とか排泄とか、お行儀の良い人たちがタブー視する言葉をいとも簡単に口にすることのできる、違うルールで回る世界に生きているだけで、ぼくも子供の頃から露天商が集まる市場あたりで見慣れていた。そういえば今日、実家近くのごみ収集場で見かけた凄まじい口喧嘩もそうだ。女性器を意味する言葉で相手を侮辱し合うおばさん二人、圧倒されて止めに入ろうともしない連れのおじさん一人、ぼくはそれを避けるためにわざわざ道路の反対側にわたり、その場所に掲げられた無個性な四角いフォントのスローガンより、少なくとも放送禁止用語の方がずっと親しみやすく、その瞬間の心情を素直に語ってくれていると自分を慰めた。

長いスローガンだけど要は「マナーを守れ!礼儀正しくしろ!」と言っている看板

目的地に着いた。ただの本屋から「読書バー」とやらに変わってしまった名物書店の二階に上がり、バーの棚に並んだリキュール類に目の眩む思いがし、枕草子、浮世風呂、夏目漱石と同じ棚に東野圭吾があることに苦笑いした。そして、本棚の間にはテーブルと椅子が並べられ、ボードゲームを楽しんだりパソコンを叩いたりする人がそこを占拠することに、困惑するしかなかった。目当ての棚に近づくことさえできず、檻の中の狼のように店内を歩き回ったが、先客はぼくに目もくれず、もちろん棚の前を開けてくれることもなかった。仕方なくラテを一杯頼み、顔も声も中国屈指の名優の葛優に似たおじさん店主の渋さに感心しながら、数少ない無人の棚から『桃花扇』を引っ張り出して読み始めた。

日本文学の棚
書店のバーカウンター、食事の注文も本の購入もここ
ボードゲームを楽しむお姉さんたち

行きたかった哲学の棚にいる先客の少年が、何も注文していないことを店主に咎められ、捨て台詞の放送禁止用語を投げつけてさらにこっぴどく叱られた。あれは十年後か二十年後、どうなるのだろうか。ぼくの中学時代の同級生のように、大半が外国へ行き、大型連休なのにほとんど誰も帰省しなくなるのだろうか。高校時代の同級生のように、半分くらいが地元から出ることさえ叶わず、滑り込んだ大学を「ここも地元では名門だから」とみんなに慰められるのだろうか。昨日手続きで行った銀行の窓口のお姉さんのように、ぼくが外国に住んでいると知るや、割れ物を扱うような慎重さで語りかけてくるのだろうか。はたまた、喧嘩するおばさんの後継者になるのだろうか。

ふと、先週とあるイベントで母校の後輩にかけた言葉を思い出した。「人生の中でどの道に進むべきか迷ったら、未知の要素の多い方を選べ」。我ながらかっこよくまとめたと思うが、本当に言いたいのはこんなことではない。だから、あの日の後輩のなかで、この記事を目にすることのできるのが一名でもいればと願い、ぼくは本心をここに開陳しよう。

どの道を選んでもいいから、停滞から飛び出せ。さもなければ、それを動かせ。

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