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    実際に鑑賞した展覧会や美術品などの感想を書いています。いつ見に行くのか自分でもわからないため、更新は不定期です。

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「中国を読む」解題

ぼくからすれば、日本のテレビ(とりわけワイドショー)やウェブメディアに登場する中国評論家は、ほぼ全員無価値であるーー さすがに言い過ぎた感があるので、少し修正すると、「日本人に中国のステレオタイプを植え付ける面では大いに有意義であって、それ以外は無価値である」とさせていただきたい。 なぜこういうのか。それは、いずれもジャーナリストと自任する面々が、目を覆いたくなるほど何も取材しておらず、また取材としても知り合いの数人に話を聞いただけで、それをあたかも中国人全員がそうである

    • 東インド会社とアジアの海(羽田正)

      雑談 またもやかなり長い間、読書シリーズを更新をしなかった。 理由は少なくとも二つある。本は引き続き読んでいたが、大半が文学である上、「中国を読む」というテーマに沿うものがほとんどなかったこと。ポストコロナで急激に忙しくなり、ほかのものも書いているため、おちついてブログを更新する時間がとれなかったことだ。しかし、こうして書き出してみると、両方とも事実だが、同時に言い訳でもあると認めざるを得ない。中国に関する文学や和訳された中国人の文学は山のようにあるのに、ぼくは半ば故意

      • テーマ読書録:巨悪に立ち向かうには(老舎、野坂昭如)

        (2020年1月の旧稿) 『四世同堂』 老舎 人民文学出版社2018年第二版 はじめて老舎のこの名作に手を伸ばしたのは、大学4年生頃だったと思う。はずかしながらいわゆる「世界の名著」をほとんど通読したことのない私は、妻の強いすすめでページをめくってみたものの、案の定数ページ読んだだけでどこかに放り投げてしまい、記憶しているのは物語の冒頭に出てくるご隠居の灰色のヒゲくらいという始末だ。だが、たとえあの頃無理やり読み進めたとしても、最後まで持つかどうかは全く自信がない。登場人

        • 税金と国民に関する三冊

          (2019年2月執筆の旧稿、一部加筆修正) 諸富徹 新潮社 2013  妻は税務関連の仕事をしており、この本は彼女が数年前購入したものだ。当時の私は、自分の専攻のことで頭が一杯で、この本の存在を気にもとめなかったが、昨年から個人事業主として再出発することになり、否が応でも税金のことを考えなければいけなくなった。それなら、単に実務だけでなく、もう少し税金を理論的に理解したいということで、本棚からこの本を漁ってきたわけだ。  サブタイトルが「租税の経済思想史」であるよう

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          鈴懸の木の下で

          ふるさとの鄭州の街路樹には、スズカケノキが多い。五月にはすでに生い茂り、片側一車線の狭い道なら、覆い被さるように空を遮ってくれる。夏場は特にありがたく、カンカンの日照りでも、その下にいれば、時折り吹き抜ける中国内陸部ならではの乾いた風と、サラサラの葉擦れ音で、暑気が一気に飛び去った。 鄭州のシンボルとも言えるこの木だけど、あまりにも本数が多いため、「角のあの木の下で待ってるから」「ああ、必ず行くよ」などというロマンチックな会話には登場してこない。その代わり、ぼくが日本の中学

          鈴懸の木の下で

          My Hometown

          それは恐ろしい停滞だった。失われた三十年など問題にならない停滞だった。 変わらず広い道路を走る車が一変した。国産車、とりわけ電気自動車の姿が目立ち、トヨタやホンダはまばら、BMWやベンツはさらに少なく、土煙色の街に似合わぬオレンジ色のマセラティは一台だけだった。バスもほとんどすべて電動化され、なにより電動スクーターが、ここは東南アジアかと思われほどに増え、車道だろうと歩道だろうと、我が物顔で縦横無尽に駆け回った。 ぼくはおそるおそる、その分子運動のように無規則に見える車列

          My Hometown

          旧暦卯年の元日に記す

          旧暦のお正月を迎えるまでの数日間は、去年一年間を遡っても、指折りの散々な時間だった。 コロナに罹り、熱を出していたからだ。 それもかなりの高熱だった。コロナワクチンを打つたびに熱を出していたときは、いざというときに症状が軽くなるならこれくらい我慢我慢と自分に言い聞かせていたのだが、軽いどころか、39度台が二日間続き、完全に平熱になるまで四日もかかった。それでも、これが軽くなった方だという可能性も否定できないので、今はとりあえず回復した体をさすりながら、生きていることに感謝

          旧暦卯年の元日に記す

          十一年続けた仕事にピリオドを打つことをめぐるいくつかの断章

          一、 2022年10月26日、いやが上にもアラフォーを意識せざるを得なくなった誕生日から数日後、ぼくは十年と11ヶ月通い続けたとある仕事先を離れた。車に乗り込みエンジンを入れると、玉露を口に含んだような爽やかん気分が、エンジンサウンドとともに四肢を駆け巡った。もうここに来なくていい、もうあんな耳を濯ぎたくなるような文言を訳さなくてもいい、もう日頃の意地悪さが眉間に固着した非人間的な顔と睨めっこしなくてもいい。そうした開放感に背中を押してもらいながら、ぼくは「残酷な天使のテーゼ

          十一年続けた仕事にピリオドを打つことをめぐるいくつかの断章

          新中国の人間観:歴史人物を中心として(呉晗)

          呉晗 著 佐々間重男、小林文男 訳 勁草書房1965 呉晗の名前は、日本では殆ど知られていないが、中国では高校を出た人なら皆一度は聞いたことがあるはずだ。なぜなら、歴史教科書の文化大革命に関する記述に、かならず次の出来事が登場するからだ。 1965年11月10日、上海の『文匯報』が姚文元の記事「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表し、この劇が「毒草」であると指弾した。記事は『人民日報』に転載され、毛沢東にも称賛された。このことが、文化大革命の序幕となった。 この『海瑞罷

          新中国の人間観:歴史人物を中心として(呉晗)

          明末の文人・李卓吾 中国にとって思想とは何か(劉岸偉)

          劉岸偉 著 中央公論社1994 本書を読むまで知らなかったのだが、著者の劉岸偉氏は、ぼくと同じく北京外国語大学日本語科の出身だ。しかも、東京大学に留学した点でも同じ軌跡をたどっている。といっても、この大先輩のお目にかかったことは一度もない。彼が北京外大を卒業した1981年は、ぼくがまだこの世に生まれてきていなかった。ぼくが北京外大に通う頃には、彼はとっくに博士号を取得し、日本の大学で教授をしていた。会う可能性があるとすれば、日本在住の北京外大OBが集まる同窓会くらいなのだが

          明末の文人・李卓吾 中国にとって思想とは何か(劉岸偉)

          莊子:古代中国の実存主義 (福永光司)

          福永光司 中央公論社1964 数ヶ月の間、魯迅に掛かりっきりだったぼくは、そこからどのテーマに飛ぼうかと構想を練っていた。限りない可能性を持つ魯迅のことゆえ、候補がいくらでもあった。同時代のほかの作家か、日本人作家が観察した魯迅または近代中国か、ぼくが魯迅を通して読んだ「人間そのもの」を思考する別の作品か。どれも面白く、多分いずれ扱うことになるが、ふとこれまでこのブログで取り上げた本を振り返ると、どうも近代以降のものばかりだということに気がついた。しかし、中国を理解する場合

          莊子:古代中国の実存主義 (福永光司)

          魯迅との対話(尾崎秀樹)

          尾崎秀樹 勁草書房1969 この本でぼくは、久しぶりに最初のページで震撼させられる経験をした。まえがきにおいて、尾崎秀樹はこのように書いたのだ。 阿Qが銃殺される直前にみた狼の眼に私がとりつかれたのは、兄が死刑になったときからである。私はそれ以降、この狼の眼の意味するものが何であるかを考えてきたが、今もって十分理解できない。 兄ーー尾崎秀実がスパイ容疑で検挙されたのは、対米戦争の二月前だった。 また、阿Q正伝の記述と尾崎秀実の死刑に対する世間の反応を、こ

          魯迅との対話(尾崎秀樹)

          魯迅に関する著書を何冊かご紹介

          これまで、4回続けて魯迅の作品を読んできた。最後の「起死」以外、どれも学生時代に何度も読んだことのある作品だが、歳を重ねるに連れ、さらにコロナ禍で世界と中国に対する見方が変化したため、以前と全く異なる感慨を持つに至り、長々と書いてきた。ほかにも取り上げたい作品がいくらでもあるが、魯迅にかかりっきりというわけにもいかないので、このあたりで魯迅自身の作品から離れることにする。 離れる前に、魯迅を読む上で大変お世話になった本を数冊ご紹介する。このブログの記事は、読み始めてから書き

          魯迅に関する著書を何冊かご紹介

          起死(魯迅『故事新編』から)

          魯迅 竹内好 訳 岩波書店1979 たぶん中学生のころだったか、読書家の母に勧められ、魯迅の『故事新編』を読んでみたことがある。母の蔵書である単行本は紙が色焼けし、経年によるシミもところどころあり、とても面白そうには見えなかったが、「なんかふざけていて、とっても笑える作品なの」と言う母の言葉を信じ、「奔月」(月にとびさる話)を読んでみることにした。物語に登場するのは子供でもよく知っている美女仙人の嫦娥と彼女の夫の后羿、後者は大地を焼き尽くす寸前の太陽を射落とした大英雄だ。そ

          起死(魯迅『故事新編』から)

          朝花夕拾(魯迅)

          魯迅 松枝茂夫 訳 岩波書店1955 『朝花夕拾』は、魯迅の自伝的エッセイを集めた本ーーということになっている。たしかに、この本には、たとえば仙台時代を描いた「藤野先生」に出てくる「幻燈事件」のように、魯迅の思想形成を語る上で盛んに引用される回想が多数含まれている。だが、素直に自伝だと読むには、いささか謎めいた本であることも確かだ。まず疑問に思われるのが、これらのエッセイが書かれたタイミングである。 『朝花夕拾』の原稿が順次雑誌に掲載され、そして本にまとめられたのは、19

          朝花夕拾(魯迅)

          アナザーエナジー展

          午後4時過ぎ、16名の高齢女性作家の作品を集めた展覧会を見終わったぼくは、森美術館のカフェの窓辺に座り、予想外に美味い紅茶をすすりながら、妻に笑ってつぶやいた。 「疲れたね」 「そりゃそうよ、みんな政治的な訴えばかりだもん。神経が疲れる。」 たしかにそうだ。記憶がまだ新しい今のうちに思い返すと、一見すると政治と直結しない作品は、出展者のうち最高齢であるのカルメン・ヘレラの抽象画くらいであった。御年106歳(!)の彼女の作品が、どうやらモンドリアンに影響されたらしいこと

          アナザーエナジー展