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1973年の5月にウィーンに到着した直後だけど、友人のウンジンの写真家に連れられて、ウィーンの森を散策した。電車の終点からワンブロック行きといきなり森が始まると言うのは感動者だった。
ウィーンと言う街は、路面電車がかなり発達している。それで路面電車をうまく乗りこなせば大抵のところに結構迅速に到着できるのである。
1979年にヤマシタ洋介トリオがウィーンにピアノを壊しに来たときに山下さんに初めて会ったのである。当時のメンバーがサックスが坂田さんでドラムスが大山3であった。 郊外のワイン、酒場で盛り上がってに山下さんをウィーンの私の友人の頭で、ドイツ人にお連れした。その人はピストルのコレクターなので、山下さんが興味を持ったのである。
ギャラリーバウハウスが上のやり方で、見識があるのは、そこで一切飲み食いをさせないと言う点にある。だし、ウィンスタイルの銀のお皿に乗ったデミタスコーヒーは例外である。
1970年代にパリの街を歩いていると、所々の公園でペタンクで遊ぶ人の姿をよく見かけた。なかなか複雑なルールがあるようで、外国人として見ている分には全くルールがわからない。
佃島はもともと石川島播磨重工の造船所であった。それが40年位前から住宅の建設が始まって30数年前に完成したのがリバーシティ21である。
世の中ではライカのレンズの中でこれが1番人気があるらしい。すなわちずミクロン35ミリなのであるが、それの1番最初のモデルのレンズ構成が8枚と言うやつが写真を撮らない人間の崇拝の対象になっているのである。
Neocaカメラと言うのは、60年代に人気のブランドであった。最後のほうのモデルは、なんとなくそのアピアランスがニコンSPに似ている。
話に引きつけば、関西の方では普通に流通している。このカップのお酒なのであるが、東京ではなかなか屋ものである。私が調査したところでは、東京では自動販売機で2つそして実際に売っているのは足立区関原3丁目のお酒屋さん位のものだ。値段は110円だったかな?
ドラ運河は自然に作られたのかそれとも水分のために作られたのか前から気になっているが、いまだに調べたことがない。インターネットでいっぱつでわかるのであるが、逆にそういうことは知らないほうが良いと感じている部分もある。
1974年5月に初めて家人とパリに行った時に、最初に長年パリに住んでいる日本人の声楽家に連れ合いて入ったのは、この場所のカフェである。カルチェラタンの向かい側にローマ時代のお風呂がある例のあの場所である。
今まで235冊位の本を出したので、いろいろな思い出があるが、25年位まだ自分の方が出ることというのがビックイベントであったからら、今週の売り上げのランキングを教えてもらうと、喜びさんで東京駅の八重洲ブックセンターにチェックに行ったものだった。売れ筋の席というのは平積みになっていて、1番売れるのが右側に積んであると言う不思議な点灯が存在するのである。
もう語録年前の話になると思うが、ニコンカメラで数多くの歴史的なカメラを作ってきた。そのセンターであった品川区大井森前町の101号館が取り壊しになった。
天才荒木の数ある名作の中で、私が好きなのは、彼のハネムーンの時の1連の写真である。あれは非常に良かった。表現者としてのガチガチした天才や荒木が出ているのではなく、まだ有名写真家になる。前の内部な指神経が感じられる。