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カメラノート号外。池袋で開催されているクラシックカメラ博覧会の隣にスーパーカーが展示されていると言う事実を分析してみる

池袋の東武デパートで久しぶりにクラシックカメラ博覧会が展開しているらしい。出店の名前を見ると東京ばかりではなく懐かしいお店の名前が見えるのはいい感じである。私のカメラ本を置いてくださっていたお店などもあるのでいろいろ思い出してみる。その会場の隣に人の噂によればなんでもスーパーカーを展示しているセクションというか別の催し物があるそうで、クラシックカメラとスーパーカーで両方楽しめると言うことがオンライン等では話題になっている。

1粒で2度おいしいグリコアーモンドチョコレートみたいなものか?

スーパーカーブームというのが日本にあったとき私はオーストラリアのカンガルーのいない方のウィーンと言う街に住んでいて、これはクラシックカーではあるがスーパーカーでは無いのだけどワンオーナーのレプリカではないポルシェ356シーを買わないかと言われたりしたこともある。要するに私が買える位の値段で価格設定がされたのである。もう一つはこれも当時からすでに時代遅れであったが友人がシトロエンDS23パラスのブラックに乗っていて何かフランス大統領みたいな感じだった。

スーパーカーブームを懐かしある一番上の世代と言うのは50代位だと思うが40年から50年前に私がいたウィーンの時間帯から考えてみるとそういう2周以上下の世代と言うことがわかる。スーパーカーブームの頃の少年の気持ちというのがそれ故私にはわからない。1970年代ウィーンに住んでいてインターネットもなかったからまず当時生活の上で1番謎であったのは、泳げたいやき君がどういうたい焼きなのかわからなかったし、なめねこが何であるかもわからなかったし、カップヌードルがどういうヌードルであったのかも全く謎。

私が体験したスーパーカーの端くれと言うのにこれは当たっていると思うのだけれど1970年から73年まで愛知県の豊田のテストコースでカタログ撮影をしていたのである。アメリカがゴージャスな国だなと思うのは当時カローラ1600 GTというのがあってパワーステアリングだしありとあらゆる装備が付いていた。

それに対して沖縄向けのカローラ1100と言うのは単に左ハンドルであるだけでカーラジオもついていないしクーラーもついていなかった記憶がある。これほどアメリカ向けと沖縄アイランド向けには差があるのかと腹を立てたことがある。あれから半世紀経ってその差別と言うのは埋められないどころかどんどんひどくなっているね。

トヨタ2000 GTと言う車が市屋苑を超えたとか馬鹿騒ぎを展開しているが私は2000 GTよりもデートマゾマングースの方が好きだった。テストコースの傍にスーパーカー置き場というのがあって、撮影中にいきなり雨が降ってきたとき、暑い時だか忘れたけれども、日差しを避けるために最初2000 GTの中に入ってみたら何かガラクタと言う感じがしたのである。その理由は2000 GTの隣に置いてあったマングースに乗ってドアを閉めてみたら機密性が高いので耳が痛くなるような感じなのである。

日本の2000 GTとイタリア物のマングースでは建て付けが基本から違うのだなと言うことに気がついたのは50年以上前の話だった。

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