9年前に何を考えていたのか?

6年前に何を考えていたのか?
チョートクカメラ塾
20150708
「型遅れのデジタルカメラは素敵だ」
カメラで本気出す。
カメラに本気です。
チョートクカメラ塾の時間です。
どうですか?新しいカメラ買いましたか?
ボーナス出てそういうカメラ買った人もいると思います。カメラと言うのは皮肉なものでそれを手に入れるまでが花であるということです。手に入れるといきなり熱が冷めてしまいます。
ようやく手に入れたカメラでテスト撮影しましたか。テスト撮影したら安心してしまってそのままカメラをしまい込んでいませんか
カメラメーカーさんの戦略が優秀なので、新しいカメラを買うとすぐ次の新型が出てきます。
それを手に入れないと安心して眠れないというような状況になっていきます。これを新型カメラシンドロームといいます。
フィルムカメラの時代ならある機種から次の新型が出るまでには非常に時間がかかりました。
ライカのM型、フイルム時代のライカなどは次のモデルが出るまで10年近くかかっています。フイルムカメラ時代のニコンなどもそうです。FからF2になるまで10年以上かかっています。
最近のデジタルカメラはどうでしょうか新型に次ぐ新型のラッシュです。目が回ります。落ち着きがありません。
カメラに関する雑誌とかブログではカメラの選び方は教えてくれますが、それを何年使うかに関しては一切触れていません。
それは当然のことで市場が回転した方が経済にプラスになるからです。今更言っても仕方のないことです。
7月終わりに私が15年前に書いた「田中長徳佃日記」が刊行されます。その対談でこの間、写真家の島尾伸三さんにお会いしました。対談は非常に面白くて古今東西のカメラと写真の話を自由自在にやりました。
対談後、近くにビールを飲みましたた。実はそこの話のはもっと面白かったのですが、それは録音していなかったのでテキストに上がりません。
島尾伸三さんは父上が文豪で代表作品の一つ「死の棘」があります。その中では島尾さんは別の名前で登場しています。私は島尾さんとは40年以上のお付き合いなので小説上の島尾さんより実物の島尾さんの方ををよく知っているものです。
40年前に彼が使っていたカメラはすでに20年経過の古カメラでした。父上がカメラ持っていなかったので、作家の吉行淳之介さんが父上にカメラをくれたそうです。
そのカメラを島尾さんは勝手に持ち出して自分の写真を撮っていました。
その頃の写真と、今の島尾さんの写真はそのスタイルが全然変わっていません。
もっともその頃は彼も若かったので駅で女子中学生のスカートの中にカメラを突っ込んで撮影したという武勇伝があります。
これは神話ではなくて実際にそういうことがあったのでしょう。あれから40年経過して島尾さんは60代後半の老人ですが、その本質は40年前とあまり変わっていません。
ビールで良い気持ちになった島尾さんがカバンから取り出して見せてくれたのは型遅れのキヤノンのコンパクトデジタルカメラでした。こんな古いカメラはもうカメラ買取屋さんの所に持っていっても受け取ってすらもらえないでしょう。
しかも外見は傷だらけで表面が歪んでいるように見えるボロカメラです。それを現役カメラとして島尾さんはちゃんと使っているのです。その人とカメラとの関係が非常に粋なものに思えました。
かっこいいのです。
よくわれわれカメラ人類は冗談でカメラに貫禄があるとか、偽貫禄とかということをいいます。友人でカメラに特殊メイクをして実際に使い込んでブラックの下地の真鍮が出ているようなメイクアップをしてくれる人もいます。
その心理状態を確認するのに、カメラと言うものはその撮影者と行動を共にして世界の果てまで旅をして、艱難辛苦をしなければならないという意味のこれは寓話であるのでしょう。
でも日常ではなかなかカメラをそのような過酷な状態に置くことができないので、それを特殊メイクアップで真似をしているわけです。
いってみればカメラのコスプレということになります。
私などがカメラ人類を観察するときにその人がどのくらいの「有段者」
であるのかをチェックするときにそのカメラの古さがどれだけあるかということを重要な判断要素としています。
カメラはちょっと古い方がかっこいい。
これが今日のチョートクカメラ塾のメインテーマです。
そうですよね、まっさらなカメラなんてかっこ悪いですよね。
何かおろしたてのスニーカーみたいな感じで気恥ずかしい存在感がそこにはあります。
10年位前の私のカメラ選びの基本ルールは書いた記憶がありますが、カメラは新品を買わずにちょっと前のモデルを買った方が値段もこなれていて、しかも初期トラブルが解消されているからいいと書きました。
これはデジタルカメラでも、そしてかってのフイルムカメラでも同じ真実です。
カメラはちょっと型遅れを大事に使う。これが今でも通用する共通のカメラ選びのルールです。
最近の私の海外国内移動するときの日常のカメラのアウトフィットというのはこんな具合です。
まず戦前のライカ1台。デジタルカメラ一台。これはコンパクトカメラです。そしてiPadとiPhoneを持ちます。これで世界のどこに行ってもコミニケーションは問題なくできます。
これは私が日常的に世界を移動する時の機材です。。クライアントさんがいて仕事のカメラとして使うときにはレンタルのデジタルカメラを使います。理由は簡単でフルサイズのデジタル一眼レフは日常生活で使う暇も時間もないからです。
アマチュアの方を尊敬しているのは新型のカメラが登場するとすぐ求めること。カメラメーカーの最大のお得意様です。
カメラ売買の自由とか、表現の自由があるわけですからそれは全く文句を言う筋合いはありません。
でもテスト撮影だけして安心してそれで最新型カメラをしまってしまうというのも実にもったいない話です。もっとカメラを使い倒すというのが大事です。
もう一つカメラ人類さんで滑稽なのはレンズグルメの皆さんです。レンズも最近いい値段をしていますから1本売れれば良い商売になるのでしょう。その高いレンズをずらりと揃えてとっかえひっかえレンズ交換をして、カメラテストをしています。
その結果がどれがどのレンズとったのかわからなくなったり、挙句の果てにはどれでとっても結局同じということになってしまいます。
これは実にレンズ交換の真髄に触れていますね。このレンズがなければこの写真は撮れないなどと言うのは広告の上のフィクションです。逆にそのレンズがそのカメラについていたからこの写真が撮れたと言うのが本当のことです。
ライカMモノクロームというかなり変わったカメラがあります。フルサイズのレンジファインダーでモノクロームしかとれないのです。
あたしが雑誌日本カメラの連載「銘機礼讃終章」でその連載スタートに私はライカMモノクロームを使いました。ところが出て間もないのにもうその改良型というのが出たそうです。
ライカモノクロームがあっという間に旧型ライカモノクロームになってしまった、その旧機を持っているライカ人類さんはこの間、東京は池袋の催しで新旧ライカモノクロームを撮りくらべイベントに参加しました。
新型は確かにレスポンスがはやくなっていますが、操作性は旧型のほうが良かったそうです。100万円以上もする高級カメラをしょっちゅうモデルチェンジされてはライカに対する愛情も、ライカに対する信頼も薄れると言うものです。
もっともこれは私のような旧ライカ人類の意見であって、新ライカ人類で、つまり趣味が多様でその中の1つがライカを持つことであって、(撮ることではない)それに大金を投じることが楽しみであるという人もいます。
ライカ社は10数年前までは商売の上で双眼鏡の部門で何とかつないでいました。それが少数の高い製品をブランドで売ると言ううまい商売に出たのが 成功のポイントのようです。
数代前ののライカの社長さんが、これはドイツのライカ社のことですが、私の仕事場に表敬訪問に来たときに、「もはや我々にはブランド以外にいるものがない」とおっしゃっていたのが象徴的でした。それに対して私は「それは素晴らしいことだ。日本のメーカーでブランドで売れる会社は1つもない」と答えました。これがビジネスの突破口になったのだと思います。
カメラの選択は本来自由です。どのようにお金をかけるのかも自由です。でも大切なのはカメラに使われしまうよりカメラをちゃんと使ってあげるという方が我々のカメラライフ、写真ライフはずっと楽しくなるということです。
これが今日の講座のポイントですね。
それではまた次回のカメラ塾まで。
ではでは。
カメラの肖像
35ミリの明るい広角レンズがついたレンズシャッターカメラです。
大学生の頃から使っていますから、すでに40年以上も愛用カメラです。
どんな状況でも必ず確実に写真が撮れるという自信を与えてくれます。
しかもデジタルカメラと異なり、絶対に古くなりません。これぞ本格派のカメラです。

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