アイドル批評誌『かいわい』Vol.2 ~オタクたちの物語はいつも~ 感想と(勝手に寄せた)個人的オタクヒストリーアーカイブ

はじめに

 本稿はアイドル批評誌『かいわい vol.2』を読んだ上で、その内容の一部に対する感想と、同誌における特集である「アイドルオタクヒストリーアーカイブ」に(勝手に)寄せる形で、自らのオタクヒストリーをアーカイブするものになります。同誌のオタクヒストリーアーカイブはインタビュー形式で進められていますが、本稿は勿論私一人で書いているので、ある程度形式に沿った設問というか項目を設定した上で記述していく形を採りたいと思います。それではどうぞ。

渡辺千尋「ふたつにはなれないaespa──「あいだ」としてのKWANGYA」

1章:
 aespaについて抱いていたイメージは「何か突飛な世界観のアイドル」「アバターがいる(?)」「楽曲がめちゃんこ良い」「非実在感と実在感のはざま」というイメージだったので、この最初の章でaespa自体とその世界観への理解を深めることができました。このコンセプトおよび世界観が、真正面から捉えるには「脱臼」(同書より引用)させられるという性質のものでありそれ故大喜利として「面白おかしく」噛み砕くことによりそれを理解しようとするという構造になっていることが感じられたかなと。また、そこからアイドルという「経験」をアイドルを「もの」として捉え、それを言語化するという営為(=同書および本稿も然り)を「大喜利」として自己言及的に捉えつつも、そういったアイドルと対峙する関係性の中での「経験」と「実践」によって拓ける地平の可能性を示していると読み取れました。こうした、語りしろがありまくる題材であるaespaについて、その世界観そのものの考察というよりも、そのモチーフからKWANGYAを捉える際の自己の在り方そのものに目を向けようという、「態度」についての示唆に富んだ論考だったため、非常に面白かったです。
 この「大喜利」はTL上でも見かける機会が多かったし、私自身もaespaについては「トンチキ」の文脈で捉えていたので、そうした「コンテンツ消費」的な関わり方でアイドルを見つめる視点の問題意識に近いものがあったと感じました。また、この「関わり方」においては地上・地下・日本・海外・男性・女性アイドル、それらに要素としての違いはあれども、体験質として、実践の結果として立ち現れる経験は共通して、各個人の豊かな地平を切り開くものになるという点もまた実感しているところです。(日向坂46、櫻坂46、JO1、AqbiRecという横断的オタク活動をしてきた2021年を俯瞰して)

2章:
 ここでは木村敏さんの「あいだ」の概念を用いて、自己と「非自己」の水平的「あいだ」と、ものとしての自己と「こと」としての自己の垂直的「あいだ」の二重の「生命論的差異」の境界において人は個別の生を生きるという論点を整理した上で、次章以降のaespaとae、そしてKWANGYAについて論ずる橋渡し的解説になっていると読み取りました。
 次章以降を理解しようとするためにこの章が鍵になってくるのですが、何度か読み返してようやく感覚がつかめてきたかな…?という感触で、哲学方面は全く明るくない私からすると鬼門ではあったものの、この論考がオタク=私とアイドル=他者との関係性と、物質的自己と観念的自己との関わり合いという読み替えというか置き換えをしたときに、なんとなく雰囲気を掴んだような感覚でした。あと、単純に木村敏さんの著書にも興味が湧いてきたので時間を見つけて読んでみたいなと思います。

3章:
 本章では前章の「あいだ」概念を踏まえつつ、aespaとaeの関係性をSYNKという現象とそれに対するBlack Mambaの介入による連結の失敗というモチーフから、自己と他者の関係性や自己の欲望と実態の差異の中での「生きづらさ」の実感によって立ち上がる「こと」こそがKWANGYAである、という風に読み取りました。いよいよ入り組んでまいりましたが!!正直めちゃんこ面白いです。KWANGYAは場所というよりも観念、体験そのものというか。そしてその観念は生きづらさを抱えつつもアイドルという他者に向き合うときの我々オタクの態度と実践の中にも立ち現れていくのではないかという(アイドルの抱える生きづらさと対オタクでの実践も然り)。立場や環境の違いはあれど、アイドルと我々オタクの間に生じているのは「人間関係」であり、即物的な「応援」の一単語では包含しきれない感情や(プラスもマイナスも発生しうる)言葉のやり取りを通じて作り上げていく関係性は、ときに難しく苦しくもありつつも、時として何よりも「尊い」関係性になりうるという、不定形な様相を呈しながらも、その関係性という営為自体を愛でていきたい、という気持ちになりました。

4章:
 「推す」という概念は昨今わりと一般的な感覚になってきたように思われます。それこそ芥川賞に宇佐美りん『推し、燃ゆ』が選出されたように、観念としての「推す」行為は、狭義であったアイドルオタクのそれよりも現在は広い対象への行為として理解されているように思います。「推す」ということは広義の「愛」であると言える部分本章でも触れられていたように、あるでしょう。
 しかしこの「推す」という概念は同時に「推す」という御旗のもとで時に暴走を生むこともあれば、所謂「繋がり」といったリアルな関係性へ踏み込むこと、また「推し」のコンテンツ的消費という諸問題をも抱えている、両義的な概念であることは感覚としてあります。
 そうした中で「推す」ことについて、ジョン・C・トロントによる「ケアの実践」(p.92)として、自己とアイドルのその関係性の在り方そのものを捉えて不断の生を実施するということが、「推す」という営為を考える上での一つの可能性として示されている、と感じたのが本章でした

全体を通しての感想:
 1章でも触れたように「アイドルのコンテンツ的消費」という部分は私の問題意識として強く持っている部分だったので、それに対してのKWANGYAという概念によりチェンジアップで空振りするような感覚に陥ったというのがaespaの第一印象でした。そこからの「あいだ」の概念や「生きづらさ」の実感というキーワードから自己とアイドルの関係性の在り方に論を進めていく流れは、アイドル評論的な意味でも新鮮でしたし、そうした論考の取っ掛かりを生み出しているaespaの面白さもまた補強された実感がありました。
 日々アイドル現場に通い、ライブを見たり話したりしていく中で生まれるその関係性は一人一人千差万別ですし、そこへの向き合い方も然りです。そうした関係性そのものに立ち返ることは、自分自身のオタクの方向性やアイドルとの関わり方を(持続可能なオタク活動的な意味でも)考える上で有用なことなのかな、と感じた論考でした。

タナカハルカ「地下アイドルオタクは生きるために叫ぶ──あぶれ者解放の手引きとしての現場」

 本論考はコロナ禍において「集会の自由」と「発声の自由」を奪われたライブハウス周りの(アイドル業界を含む)世界において、これまでのライブの楽しみ方(=声出し、フィジカルコンタクト、コールやMIXなど)を禁じられた中で生まれてきた、いわば「コロナ禍以降」のオタクたちに向け、またこれまでの現場を知りつつコロナ禍中も形を変えつつオタク活動をしてきた諸氏にも向けた、「MIX」という文化について再考する事により「異物とわかり合うことに凄まじい可能性が存在していること」(p.102)を提示する論考となっていました。私自身はAqbiRecのオタク(2014〜)なので所謂スカムな現場の真っ只中に放り込まれていた人間であるため、冒頭の節で引用されていた2017年TIFにおけるMIGMA SHELTERの「MIX道場」の話題とそれにまつわる最近のTLの出来事が登場したときはニヨニヨしました。「面白」として処理しているけど絵面は冷静に見るとなかなかの状態というのもわかるし、引いてしまうというオタクが存在することそのものも共感はしないけど理解はできるという感覚です。
 以降の章では著者のBiSH現場における「あぶれた」体験と、MIXの始祖による誕生秘話を引き合いに出しながら、「あぶれ者」としてのオタクたちの自己表現としての叫び、理想と現実のはざまで”タカまり”を叫ぶというMIXを軸に、オタクの解放、そしてアイドルの解放へと論考が進んでいきます。私がベルハーに通っていた時期はベルハーそのものがわりとMIX現場だったこともあったので、始祖の存在とかいろんなMIXとかその歴史的な部分について興味を持っていた時期もありました。それ故現状の現場で時折遭遇する手拍子MIXなどは死滅しろと思っている節もありますが(叫びが手拍子で代替されるはずがないだろうという見解のもと)、これもまた特殊な状況下でのタカまりの表出と捉えるなら振り上げた拳はおろしたい気持ちになります。
 オタクはどこかしら脛に傷を抱えた生き物という感覚はあるので、そうした人たちが「私が私である」ことを実感できるのがこれまでも、そしてこれからのアイドル現場において重要なことであり、その現場をつないでいかなければならないという思いを感じました。著者自身の体験も、「かいわい」編集部noteの番外編も読み込むことでより一層理解の解像度が上がりましたし、そうしたオタク一人一人がその人自身であれる場所としてのアイドル現場は「面白」の巣窟ですし、それら一人一人の語りにこそ本質が存在するのだと感じました。


個人的オタクヒストリーアーカイブ

 ここからは同誌の特集に勝手に寄せた私自身のオタクヒストリーアーカイブになります。ターニングポイントや過去と現在との接続点などが書いていく内に立ち現れてきたので、書いてみてよかったなと思います。

・生年
 1993年。2021年11月時点で28歳。オタク的には渡辺麻友世代。

・生まれ
 東京都多摩西部方面の生まれ。人生の大半を中央線沿線で過ごしていました。

・子供の頃
 よく外で遊ぶし、小学校から高校まではサッカーをやっていたので、比較的活発と言えたのかもしれないです。ただ、幼少の頃から鉄道の図鑑を読み込んでは載ってた電車を全部覚えたり、国旗の本を隅から隅まで読み込んだり、凝り性というか何かにのめり込む性質はこの頃から萌芽があったのかもしれません。

・趣味
 小中高はサッカー以外特になにもない生活(かといって強い高校でもない)で、かつ小中高とも同じ市内で過ごしていたので何の拡がりもなかったなあと。ただ、高3あたりにYouTubeで見かけた「涼宮ハルヒの憂鬱」をきっかけにアニメ、ラノベに割と深めにハマった時期がありました。深夜アニメの同じクールの殆どの番組を録画してはDVDに焼いていくという。
 高3時期にけいおんの映画で彼女らがイギリスに行っていたのもあり、その聖地巡礼的な目的を忍ばせながら家族旅行でイギリスに行ったこともあります。高3当時は大学受験をナメていて、というか自分の力を知らないままボーダーの高いところに出願しまくって前落ちするという惨状で浪人しました。
 この浪人時期が2012〜2013年で、この期間にももクロに出会ったのがアイドルヲタクの始まりでした。

・ももクロ〜エビ中〜しゃちほこ期:スターダストで「アイドル」に触れる
-ももいろクローバーZ

 ももクロに出会った明確なきっかけは正確には思い出せないけれども、その頃「ウレロ☆未確認少女」で早見あかりさんを知り、逆説的にももクロとその歩みを知ることでのめり込んでいった流れがあったような気がします。そこから初紅白が決まり、2012年12月31日紅白での『行くぜっ!怪盗少女』で「あかり」を入れた部分をリアルタイムで目撃し実家でオイオイ泣いてました。
 なお、ももクロではれにちゃん推しです。人生初のライブはももクロの2013年春の西武ドーム。初めてのヲタク友達ができたのもこの時期でした。

 ももクロ現場は結局2013年夏の日産スタジアムを最後に行かなくなったけれども、同学年のオタク友達とはオフ会を通じて知り合った後、エビ中やしゃちほこに行ったり、後に地下へと誘われるきっかけとなった(今も付き合いが続いている)オタクとAE(ファンクラブ)イベントで邂逅するなど、今につながる部分が多かったなあと思います。
 それこそ高校時代にはAKBが流行っていたもののそこには上手くノれなかった側なので、ももクロが人生で初めて「推した」アイドルになる訳だけれども、推すと同時にオタク的評論に触れたのもこの時期でした。
 当時は『世界が感情を取り戻す ももいろクローバーZ論』という同人誌を読み、また関連する「ももクロを語る」書籍、またQuick Japanでの数多のももクロ特集を通じて、「アイドルを語る」という営為に触れていたことも忘れずに記しておきたいなと。
 この時期はももクロの会心の歩みを応援できる喜びと同時に、ヲタク(モノノフ)の自意識というか、「世界のももクロナンバーワン!」と叫ぶことへの気恥ずかしさというか、なんというか「遠くからでいいな」という気持ちになったのも事実でした。

-私立恵比寿中学
 上述のももクロ時代に仲良くなった同年代のオタクと、2013年6月9日にラゾーナ川崎での『手をつなごう/禁断のカルマ』リリイベに行ったのがエビ中初現場でした。エビ中では松野莉奈さん推し。初めて生で見た時に綺麗すぎてびっくりした。なのに結構天真爛漫だし面白い子なので、そのギャップにやられたのが推した理由です。なので初めて接触に行って言葉を交わした推しは松野さんだし、初めて接触という文化に触れたのもエビ中でした。
 エビ中現場に通っていた時期は大学1年生頃(19〜20)だったので、ある意味時間だけはあったので色んなライブに(遠征含め)行っていたなあと。無銭ライブ、ツアー(Zepp系列)、自習、大箱ライブ(SSA)、規模感含めて横断した経験と、癖の強いオタクたちの存在を目の当たりにすることでの「オタク」という存在への眼差しが変わったのはこの時期でした。「弱いやつが悪い」みたいな価値観とかもあったな。とくに9推しはfanaticと形容すれば良いのかな、ライブでも推ししか見ていないみたいな、そういったある種オタクとしてのピュアさを持っていたとことが面白かったなと思います。最前でもレスが来ないとかザラだったな…
 思い出深いライブを挙げるなら、新潟の万代で開催された『未確認中学生X』のリリース無銭ライブですかね…クソ早朝に来ても何人もオタクが並んでるし、当日になって廣田さん欠席を知るし(友人は廣田さん推し)、秋口の新潟だったから普通に震えるほど寒かったという記憶はあるんですけど、ライブ自体はそこそこいい席で見れたのと、遠征特有の高揚感と、やっぱりオタク3日目なので皆と話すだけで楽しい(&緊張する)というか。特別なライブとかでは全然ないんですけど、エビ中の思い出と聞かれるといつもこの日を思い出します。
 あと、2013年の恵比寿文化祭の着ぐるみリフト事件は現場にいたので、何やってんだよーと思うとともに、そうした応援というか表現というかフロア側の反応が成立する世界観もあるんだと、地味に衝撃を受けたのも書き記しておきたいと思います。

-チームしゃちほこ
 推しは咲良菜緒さん。今のTwitterアカウントのIDの70は咲良菜緒さんを指しています。旧しゃちほこアカウント。エビ中からの自然な流れでしゃちほこもハマってました。めちゃくちゃ仲が良かった(今どうしているかは知らない)オタクが名古屋の人だったので、東京来たり名古屋行ったりする中でオタクとの交流含めて楽しんでいた現場だったなあと。曲が好き。乙女受験戦争とか。恋人はスナイパーとか。
 しゃちほこ時代は元々ハロヲタだった人とかもオタク仲間として行動することが増えたんですけど、その人達が色々やってるのを見るのが楽しくて行っていた節も今思うとあります。推しもそうだけど現場の楽しさで通う的な。
 2013年12月21日の愛知県体育館ワンマンの周辺の時期では、菜緒ちゃんが卒業するのでは的なムードが漂っていたので、現地で「これからも6人で」の言葉を聞いて前述の名古屋のオタクと抱き合って泣いたことを思い出します。良い涙だった。ちなみにそのライブ後飲み会からカラオケに行く過程で金山駅に降り立った時に怖い人に絡まれて、でもアルコールの入ったオタクだから絡みに行ってて、ものすごく緊張が走ったのもセットで思い出します。その後ナトカンに通うようになり、期せずして名古屋にも行く機会ができたので、オタクとしての第2の故郷は名古屋なんですよね今でも。

・地下アイドルに触れる:ナト☆カン、BELLRING少女ハート
-ナト☆カン
 上述のももクロで仲良くなったオタクが最近はpaletに通っているんだと知り、誘われたうちに一、二度ほどヌカフェ(ヌードルカフェ、存在しない日本語すぎる)に行ったり、秋葉原カルチャーでのライブを見たりしていた期間がありました。PASSPOとかも見ていたかなあ、地下に通う前の一瞬のプラチナム、あとGEM期(avex)も存在していました。ただこの時期に知り合ったオタクとは乃木坂行ったり海外旅行行ったり(いまでもそのオタクとは親友と言って差し支えない交流を続けていて、週1必ず「乃木坂工事中」、「欅って、書けない?→そこ曲がったら、櫻坂?」、「日向坂で会いましょう」を通話しながら観るという会をかれこれ1年以上はやっている)、今でも年1では飲み会開催したり、既婚者も増えてきながらも定期的に状況を確認し合うようなオタクコミュニティに出会ったのがこの時期です。ナトカンの話題に入るまでにもう少し付け足すと、TwitterのIDのamethystは当時GEM、現スパガの金澤有希さんの担当石だったアメジストを関しています。金澤有希さんも普通に好きでした。そして、現在オタクネームとして名乗っている「ぎんちゃん」という名前は、上述のヌカフェで平口みゆきさんに名付けてもらったという経緯があります。(元の名前は「柚子胡椒」でしたが圧倒的に「ぎんちゃん」が便利すぎるので変えてよかった)
 で、ナトカンの話をすると、ライブに誘われたきっかけは「真山に似た子がいるんだけど、ライブ来てみない?」というオタクからのLINEで、そこで初めてはるちろ(遠藤遥)を認識しました。ナトカンは「適当アイドル」を標榜していて、Tシャツにパニエというザ・地下アイドルみたいな感じ(音も軽めの電子音の曲があったり)なんですけど、フロアとオタクの自由さがとんでもなく楽しくて、かつ同い年の子(はるちろ)が頑張っているのを見届けたいという気持ちなので、なんというかその空間自体が楽しくて居心地が良くて話したい子がいて、という理由で通っていましたね。もちろんメンバーにも思い入れはあるし、大箱のライブとか名古屋に遠征したりとかもしたしと、現場としてものすごく好きでした。
 最初にナトカンに行ったのは2014年の1月29日で、後述するベルハーを初めて観たのは2014年2月14日の下北沢シェルターなので、ほぼ同時期にはるちろと柳沢あやのさんを認識した形になります。まさかこの時期にはいずれ2人が同じグループになるとは思わない。。。

-BELLRING少女ハート

 オタクとしてもう戻れない側に来てしまったのを明確に実感したのはベルハーで柳沢あやのさんに出会ってからでした。ほんとにあやのさんに関してはそれこそ一目惚れに近い感じで、ライブ見て気になる子がいる→柳沢あやのという子らしい→チェキ行ってみるという流れが極めて短期間の間に推移したので、ここからオタク仲間ともムーブが変わり、一人で、ベルハー現場での知り合いも作らずにオタクするという期間を過ごしていました。
 田中Dはかつてももクロの番組に映像作家として入っていたという過去があると知り、もう田中紘治の音楽にハマっていく運命的なものがあったのかもしれないと思うなど。
 話を戻すと、ベルハーはパフォーマンスの激しさとオタク=フロアの激しさとで賛否を呼ぶというか、随一の存在感を見せつけながらもその評判は色々だったりしてましたが、ただ内部から見るオタクののめり込み方が凄まじくて、ここまで人を狂わせるグループの魔力は中々のものだな、、、と感じたのを覚えています。ベルハー時代のライブで印象的だったのは、からふりゅとかStepping Stoneとかも色々ありますけど、Qとシャロウ・グレイブの期間あたりが強く印象に残っています。思えば、推しが「卒業」する経験はこの時が初めてだったので、それ込みでも。
 柳沢あやのさんにはとても、とても感謝しているし、ずっと変わらず推しメンです。\あやのさん/

・オタク休眠期:乃木坂46
 ベルハーが終わる少し前あたりからあまりオタクをしなくなったので、2015〜2017年くらいは乃木坂のオタクの振りコピをしていました。乃木どこ→乃木坂工事中を見て、神宮などのライブに行くといったような。乃木坂では橋本奈々未さんが推しでした。あの人の卒業の仕方は今でも美しいなあと思っています。この時期に乃木坂にハマっていたおかげで現在は日向坂を追っかけているので、何がつながっていくのかわからないなあと。

・オタク復活期:グーグールル
 オタクとして復活したのが2018年の11月23日、グーグールルの『Caution!!』リリイベ:新宿タワレコ回でした。過去で一番オタクしていたのは、このリリイベからグーグールルが解散する2021年4月までだったなあと。ぐーるるについては過去noteでも触れているので改めて色々書くことはしませんが、何よりも「はるちろがAqbiRecに移籍してあやのさんと同じグループで活動している」という事実が僕個人にとってはとんでもなく運命的なものを感じたし、あやのさんについては一旦クロタンを挟んでの再びのアイドル活動だったので、ほんっとうに嬉しかったですね…そして推しメンがかわいい……
 グーグールルに足繁く通うようになって、オタク(=ぐるぐるず)と仲良くなれたことも嬉しかった出来事でした。ベルハーのときはソロでオタクしていたので、迎え入れてくれたオタクの皆様も、現場としての暖かさも、愛すべきメンバーも、トータルとして心から好きなアイドルだし現場でした。
 ぐーるる楽曲を引き継ぐ新グループは現在(11月28日時点)準備中なので、始動を楽しみにしています。

・現在:MIGMA SHELTER、NILKLY、日向坂46、JO1
ぐーるる解散後しばらくは現場難民の状態だったんですが、6月に開催されたMIGMA SHELTER×NILKLYのツーマンを見たのを皮切りに、両グループへの見方と姿勢が変わり、ちょくちょく見に行くようになりました。もう今はただのアクビオタクのムーブと言われても何も言えない。
 日向坂46の推しメンは金村美玖さんなのですが、生でライブを見たのは今年の夏に富士急で開催されたW-KEYAKI FESが初めてで、年末にはクリスマスライブを控えている状況です(チケット取れてマジで良かった)。推しメンが卒業センターではないまっとうな形でのセンターに抜擢されたことが初めてだったんですが、当人はプレッシャーを感じながらも果たすべき役割を気丈にこなしていて胸が熱くなります。
 JO1はこの前の有観客初ライブが運よく当選したので足を運んだんですが、オタクの熱気含め非常に面白かったし、単純にパフォーマンスがとんでもなく良かったです。見守っていきたい。\與那城奨さん/

おわりに

 長々と書いてきましたが、『かいわい』のオタクなので、次号の刊行も楽しみにしています。かいわいの界隈は・・・・・・・・・(グーグルの予測変換でドッツと打つと出てきた凄い)の人が多いと思うんですが、そういった意味でもアフター・・・・・・・・・という観点と、BELLRING少女ハート以降のAqbiRecという視座で見た時に、NILKLYという存在はまた一つ面白く捉えることができるんじゃないかなと思ったりしています。
 また、関連して文フリで売っていた『W-IDOL』の存在はあとから知ったので、ぜひとも手に入れたいなと思っています。
 こうした『かいわい』のようなアイドル批評の文脈で書かれた文章を読むのも、オタク一人一人のお気持ち含めた「推しに狂った人」の文章を読むのも、その両方とも本当に好きなので(または音声的な語りも、Twitterのスペースとかツイキャスとかも)、オタクは推しのこととかをもっと語ってほしいんだよなあと思っています。

参考文献

かいわい編集部,『アイドル批評誌 かいわい vol.2 オタクたちの物語はいつも』,2021年.


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