GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語  「物語絵」

画像1 また来そうなブームを前に、各出版社さん「新刊」お考え中でしょうかね。『源氏物語』の文化的存在意義の中に「源氏絵」という「絵画」化された物語という大きなジャンル、その一群があります。12世紀の作、国宝『源氏物語絵巻』を筆頭に、奇跡的に伝存する鎌倉、室町期の僅かな遺品、そして、桃山~江戸期のあまたの絵画群です。『源氏物語54帖』を「図版」付きで見せようとしたとき起きる問題…。問題と思っているのは自分だけかもしれませんが、現在19図しか伝わっていない「国宝本」では1帖1図としても12帖しか埋められないのです。
画像2 これは、「国宝本」の中でもまだ剥落、退色の少ない方の「東屋」帖の一。構図はつかめますが、経年による岩絵の具の変色、退色で、描かれた当時の色、それによって見て取れる細部に描かれた物などが、どこまで判っているのかも明確ではありません。12世紀に、たぶん宮中ないしそのごく近くで制作された(現)「国宝本」が54の各帖のそれぞれ1点を残していてくれたら…と、夢に思ったりですが、現状のコンディションからすると残っていても「ビジュアル」としてはなかなか難しいかもしれません。
画像3 1998年の発議から2005年の19図全図完成まで、6年をかけた国宝本『源氏物語絵巻』復元プロジェクトは、✕線等による「構図」の解明、「色」=使用絵の具の特定、それらが描かれている「紙」の復元 等々、最先端の化学、光学、史料の調査によって、描かれた当時の「絵」(の様子)が再現されました。ほぼ絶滅の素材や技術の問題も見えて来たり。
画像4 20枚目の絵。 これは、現在、東京国立博物館に所蔵されている「源氏絵」-室町期の作品と思われてきていましたが、実は12世紀=「国宝本」の『若菜』帖の絵の「断簡」と鑑定された絵です。国宝の「絵巻物」である特徴=横長の画面は、中心人物のみで「色紙型」に裁られて、補筆というか「加筆」があって、後世の作品という事に。光源氏のお顔は全く(時代の)違う貌です。所有が違うからか、この図は、上の復元プロジェクトには加えられず=加筆前の元の「構図」も解明されてなくて残念です。
画像5 「絵巻物」と「色紙」の違いも大ですが、「国宝本」は、桃山以降の「源氏絵」と「選んで描いているシーン」が特徴的に違っています。そんな中、この 海北 友松 の「若菜」図に驚きました。その時代の外のほぼ全てが「逃げ雀」のシーンを描くのに、友松の図は「僧都に請われ水辺で琴を弾く光源氏」。「国宝本」(絵巻か断簡か…)を見てのシーン選定?インスパイアでしょうか。友松の他の「源氏」作品も気になります。
画像6 自分は、子どもの頃からずっと「国宝本」の残りの絵が見たいと思って来ました。例えば 『別冊太陽』「源氏物語五十四帖」というような刊行物=各帖の「抄訳」と代表的な「絵」をまとめた物のどれもが「国宝本」の不足部分を、時代も巧拙もバラバラの絵で埋め合わせていて、(江戸初期の土佐派の揃いで統一とか可能なのに…)あんなのもこんなのもと「源氏絵」のバリエーション見せ企画なのかサービスなのでしょうか(物語の世界も損ねている)継ぎ接ぎなのが不満で仕方ありませんでした。
画像7 どうして、失われた「国宝本」の調査、同時期の『扇面法華経帖』や『目無し経』との関連の研究やらが無いのでしょうか。そう、どの時代まで「国宝本」の他のシーンが見られたのか、(=いつそれらが失われたのか、)それが後代の「源氏絵」に影響しなかったのか、しているのか…なんか歯がゆく思います。

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