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同時代の文章からしか味わえない趣き、それだけじゃない—『地方の王国』

55年体制における日本政治には恩顧主義(clientlism)という重要な側面がある。詳細は武内和人先生の記事を参照してほしい。

簡単に述べると、恩顧主義とは、自身の党を支持する有権者に対し、金銭的、あるいは非金銭的な便益を配分することによって、自党の支持基盤を強化する政治的手法です。

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とあるが、戦後日本においてこの最強の例が田中角栄と言えるだろう。上越新幹線や関越自動車道といった大型インフラの誘致に田中が采配を振るっていたことは周知の事実であり、現代においても地元への利益誘導と言えば必ず名前の挙がる政治家の一人である。

『地方の王国』は政治学者・ 高畠通敏が80年代の地方を実際に取材し、当地における「支持」の実際に迫ったルポルタージュである。2022年に読むべき本であるかといえばそれはYesで、後から歴史を追うだけでは分からない日本政治史の手触りを感じられる名作である。

書いていたらレビューが4000字を超えていた。社会科学系の本のほうがレビューが書きやすい。一方、本業である技術的な書籍だと1000字もいかないことが多い。自分は本当に技術者なんだろうか。

第一章では田中角栄が地盤とした新潟三区を舞台に、田中の後援会である越山会を詳しく取材している。当時はロッキード事件の後であるが、その中にあっても選挙区民の支持は厚かったのが印象的だ。

実情をつぶさに観察した高畠は田中への支持は利益誘導のみが理由ではない、とみる。新潟における田中支持は複雑な側面を持つ。

一つが「大雪と洪水を助けてくれない中央政府」というエートスである。自分たちは国家に見捨てられた存在である、と自己を見なす新潟県民に対して「雪は宿命ではない、国が救助すべき災害である」と言い切り中央政府から補助金を持ってくる田中角栄はまさに英雄であった。列島改造論は「捨てられた」裏日本において支持を集めるためのイデオロギーであり、根本には南北問題と同じ構図が存在する、という見立ては面白い。しかし、この方向での支持は開発が進んだことで後年薄れることになる。なんとも自己言及的な末路である。

また、「私はそちら側にいる」というメッセージを常に送り続けたことも大きい。地元を大事にし、私は中央のエリートとは違うというメッセージを送り続ける。選挙区の外にいる人間としては、この方向での支持はどうかと思うだろう。だが、高畠はこう書く。

自らのすべてを捨てて郷土につくそうとした二人(引用註: 田中正造や西郷隆盛)と、自らも蓄財に励み、その金の力で強大な“軍団”を組織し、そしてその“軍団”の数の力で、郷土に国家資金を環流しようとした田中との間にある種の落差があることを、私達は感ぜざるをえない。その落差をどのように、越山会の人たちに説得的に示すことができるか。

これまで新潟に見向きもしなかった政治家が熱心に言うことを聞いてくれるという体験はなかなか説得的に覆しにくいだろう。「実際に会うと面白いし、自分の話をよく聞いてくれる」というのは与野党問わず政治家あるあるだが、選挙区においてその姿勢は支持を集めるためには大事なのだと改めて感じる。

このような状況に対して社会党をはじめとした野党はどうしていたかというと、高度成長時代に農民の願いであった土地改良や道路の問題で実績を出せなかったことで信頼を失っている。それどころかビジョンなきままに田中陣営と無節操に連合し、金権政治反対というスローガンへの説得力すら失っていたのだから驚きだ。このような調子で高畠は与野党関係なく批判をぶつけていく。全方位に厳しい本は安心して読める。

第二章では千葉を扱っているが、出ている例が古く浜田幸一しか分からなかった。浜田もまた田中をロールモデルとした政治家であったが、稲川会との繋がりを隠さなかったことが限界であったと高畠は評価する。

浜田にしろ田中にしろ、今でこそ金権政治の首魁のように見られる政治家だ。しかし若い頃には地元の権威主義的な旦那衆に異を唱える若手という立場で、その純粋さに共鳴して後援会が組織されていったという。

しかし、中央政府が補助金を通じて地方自治を骨抜きにしていくという戦前からの仕組みは戦後も続いたし、自民党はそれをうまく利用した。そのなかで彼らの思想が変質したのか、元々そういう志向をもっていたのかは知りようもない。ただ、支持の性質が恩顧主義的なものに変わっていったことは間違いないだろう。

千葉の野党についても高畠は「野党は狭い支持基盤に安住するのではなく、保守支持層に割って入ってアクチュアルな課題を取り上げ、支持を拡大していかなければならない」と批判する。本書で行われる批判のうち、いくつかは現代でも通用してしまう。悲しい。

第三章の北海道五区、第四章の鹿児島三区でも似たような構図が紹介される。北海道五区は中川一郎の地盤であるが、一郎の死後は息子の昭一と秘書の鈴木宗男が争った土地である。

中川一郎もまた、 十勝農学校出身という「たたき上げ」の経歴と中央とのパイプを武器に補助金を持ってくることで票を得た政治家で、田中や浜田と似たバックグラウンドを持つ。ただ、機会主義的な振る舞いができなかったことが限界でもあった。

北海道五区は中川の地盤であったが、一方で社会党の強い土地でもあった。単一の組合をバックに勝てる土地ではないため、イデオロギーの違いを乗り越えて協力体制を構築する必要があったことが勝因とされる。また、初の公選知事である田中敏文が社会党から出馬しており、道政においては現実的な政権運営が可能な政党と見られていたこともあるという。

しかし、浮動票を得られるゆえに支持者のバラバラな期待が党の方針と合わなくなり瓦解するジレンマもあった。そんな皮肉も併せ持っていたのが北海道社会党であった。

かつて高度成長の時代、革新自治体の政策は、成長の惰性の上にのりながら、保守がやり残した福祉や環境行政に取り組むことで、容易に認知された。しかし、低成長時代に入って財政赤字を引き金に主要な革新自治体が崩壊してのち、保守勢力と対決しながら新しい革新自治体の理念と政策を統一的に提示しえたところは、まだないのである。問題は、単に横路知事個人の資質の問題に止まらないことは明らかだ。(強調引用者)

社会党はどうすれば良いのか。鹿児島三区で紹介される上西和郎が明るい例として紹介される。

上西は何をやったかというと、地元で社会保障関連の御用聞きを丹念にやることで地道に評価を上げていった。もちろん、こういうやり方は市会議員・県会議員クラスがやるべきだという批判はあるし、私としても国会議員の仕事ではないと思う。

実際、当地の社会党関係者からの評判は良くなかったという。しかし、現実の制度に通暁して内から戦っていくことに対し、社会党は地方レベルでも明らかに無関心であった。そんな鹿児島の状況を眺めた高畠は、60年代以降の社会党の衰退は実務型・世話役型の候補者不足のせいではないかと推測している。本書の後に成立した自さ社政権の蹉跌を見ても頷ける話だ。

第五章の徳島は正直何も分からなかった。後藤田正晴 vs. 久地米健太郎が田中角栄 vs. 三木武夫の代理戦争として行われたと聞いても分からない。後藤田が勝利した後の世界しか知らないためだ。三木が有力な後継者を持てなかったこともあり、現代との繋がりをうまく想像できなかった。

第六章の滋賀は一転して、「翼賛」となった武村正義県政を扱う。

滋賀ではかつて自民党から共産党までが武村正義を県知事選で支持した時代があった。70年代以降、地方政治は国政レベルの政党対立をこえて無競争の協調へと変貌しつつあると高畠は言う。その代表例が滋賀なのだという。

滋賀の特殊事情はいくつかあるが、比叡山や一向宗が強いために公明党が弱い、という指摘には思わず膝を打ってしまった。そんなことがあるのか!

当時の滋賀県政は上田建設という会社に公共工事が牛耳られており、武村は未払金を契約解除によって帳消しにするなどした。また、職員給与の切り下げもあわせて実施し財政再建に成功したが、公務員の給与引き下げ傾向が平成を通してどのような結果をもたらしたかを思うと手放しには評価できない。

武村県政の特徴はいくつかあるが、大きなポイントとしては革新知事が当選しても、補助金を引っ張ってくるには保守にすり寄る必要があるという点だ。この点は北海道社会党の弱点とも似ている。

もう一つの特徴が「<モノ>から<ココロ>へ」という低成長時代の政治を先取りしていた点で、個人的にはこちらの方が面白く感じた。家庭用洗剤による富栄養化は原因の4割にも満たないにもかかわらず有リン洗剤を規制する条例を制定したのが代表的な例だろう。

実のところ、西武グループと組んで琵琶湖を観光化する以上は琵琶湖の浄化は必須であった。そこで武村は住民感情に訴えかけ、有リン洗剤の規制という住民運動を前に持ってきた。原因の大部分を占める工場排水や肥料の規制はゆるやかにしつつ、である。

この感情に訴えかけることで打算ずくな政策の批判を躱す手法は、今では政治的立場に関係なく見られるものだ。この原点が革新側に経つ武村正義から出てきたというのが業を感じるエピソードである。

<モノ>から<ココロ>へ、という60年代終盤から学生運動などで繰り返されたフレーズと、70年代から続いた無競争の協調という傾向自体は現代でも見られるものであろう。そして、日本政治においてその原点に限りなく近いところに位置する武村正義が先日、88歳で亡くなった。これで本書の「主人公」となった政治家が全員鬼籍に入ったわけで、ある意味で一時代の終わりと言えるだろう。

訃報記事なので悪くは書かないものだが、『地方の王国』で高畠が行ったような武村批判は影も見えない。それどころか、有リン洗剤の規制条例は高く評価されている。住民感情に訴えかける手法が歴史として相対化されておらず、現在進行形の手法であることがよくわかる。

一方、『地方の王国』で述べられている現象や分析は現代では首を傾げるようなものも多い。いわゆる県民性に引きつけるような議論は政治学者がすべきものではないだろう。しかし、終わってしまった時代の空気感というのは、同時代を生きた人間の著述からしか得られない。

読書メモには今でも通用する批判ばかり書き抜きしているが、本の中には全く通用しない分析もある。では、間違った分析は読むべきではないのだろうか。個人的にはそうではない、と思う。「後進が否定した意見を読む」ことには意義がある。オリジナルの問題意識と、当時の理解が分かるからだ。

たとえばジャレド・ダイヤモンドは『銃・病原菌・鉄』において、文明の発展を気候の差異に求めるという大胆な主張を行った。この主張に対してはダロン・アセモグルが『国家はなぜ衰退するのか』において直接的な批判を行っている。

話題になったトマ・ピケティの『21世紀の資本』だって、アジビット・V・バナジーの『絶望を希望に変える経済学』でちょっと批判されていた。

個人的には、こういう風にめちゃくちゃ頭の良い人たちが書物や論文を通してやりあう過程を追うのが好きだ。勉強したいというよりは、能力バトルを見ている感覚に近い。

『地方の王国』の解説は五十嵐暁郎が民主党政権の崩壊までを見た上で答え合わせのような形で書かれている。ルポを読むだけでもいいのだけど、時代を経た上で行われる検証が一冊で味わえるのは新版ならではの楽しみ方だ。

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