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GESARAが進行している今、私たちは「愛」を高める機会を得ています


みなさん、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。

GESARAは着々と進行しているようですので、
私は、もう明るく伸び伸びと暮らしております。
人生、今がもっとも充実しているようです。
例の病気は、私の心からはすっかり消え去っています。
あれまあ、まだ続いてんの? なーんてね。

パラレルワールドのこっち側にいるというのは、
こういうことだったんだと気が付きました。
向こう側は、恐怖や苦しみで覆われています。


今回は、「愛」について、
この頃になって、ようやく分かってきたことを中心に、
語らせてもらおうかと思います。
よろしくお付き合いください。


以前、別の記事で、
愛とは、「あなたがいてよかった」と思う気持ちではないかと、
述べたことがあります。

逆に言えば、
ほかの人から、果たして自分は、
「あなたがいてよかった」と思われているかを、
よく考えられる人が、愛ある人だろうとも思います。

ふと、思いました。
GESARAというのは、その過程で、
愛ある人を増やすことが大きな目的でもあるのではないかと。

きっと、そうですよ。
だから、みんなが期待と希望を持って、
トラさんたちについていっているんですよね。

現に、私自身、性格が益々穏やかになって、
人により優しく接するようになりましたから。
(と、自分では思っております。)
普通の一般人の私ですら、
そういう感触が確かにあるのです。

それを知ってか知らずか、
最近特に、私が接する人は皆さん、笑顔なんです。
にこにこ、にこにこしている。
あっ、そうか。みんなで次元上昇してるってことか。
などと勝手に想像しております。


先日は、一人のご老人と親しくなりました。
いつの間にか、よく話しかけられるようになって、
自家製の野菜をたっぷりと持ってきてくださったこともありました。
携帯番号もお互い教え合いました。
ガラケー仲間が増えました。(笑)

いい人を引き寄せるようになったのではないかと、
ひそかによろこんでおります。
彼は、まことに好々爺というにふさわしい人です。
邪気がありません。

そうそう、悪人は、邪気だらけですね。
下心満載。
表面上は、いい人を装いつつ、悪意の塊(かたまり)。
典型は、偽天皇家でしたね。


怒りを持つと、波動が下がるという人もいますが、
正当な怒りは、持たなくっちゃね。と思います。
トラさんだって、
人身売買や小児性愛には心底お怒りなんですよ。
怒りも正当なら、波動が下がらないと思います。
正当な怒りが波動を下げるなら、
波動なんていらねえ!と私は思っています。
まだまだレベルの低い、一般人かも知れませんが、
善と悪との戦いであること、
絶対に負けられない戦いであることは、
私でもじゅうぶんに知っております。


谷川俊太郎の「生きる」という詩の一節に、
「(生きるとは)かくされた悪を注意深くこばむこと」
というのがありましたね。
ずっと以前に読んで、とても印象に残っていました。

日本人は、「注意深さ」が足りなかったようです。
なので、「悪」にどっぷりと侵されてしまいました。
世界一厳しい奴隷制度の日本でした。
新しい世界だろうと、悪を許してはいけません。
トラさんたちも許しておりません。
だから、世界のあちこちに「悪」専用の刑務所を増設してるでしょ。


日本人は元来、「注意深い」民族でした。
ひとつだけ例を挙げますと、落首文化があります。

「世の中に蚊ほどうるさきものはなし
ぶんぶといふて夜も寝られず」

これは、お上(松平定信)の政策を批判した、
とても有名な落首なので皆さんもご存じでしょう。

狂歌として、まことに秀逸です。
でも、これ、落首ですから、単なる、落書きですね。
誰が書いたかも分かりません。
というか、普通の庶民が、
このレベルの狂歌を日常的に、
作っていたということでしょうか。

今は、川柳が流行っていますが、
狂歌と川柳では、難しさが段違いです。
「蚊ほど」→「これほど」
「ぶんぶ」→「文武」
といった掛詞を複数で巧みに用いるのは、
かなり日本語に熟達していないと難しい。
これ、江戸時代です。
いかに寺子屋の日本語教育が凄かったかということです。
江戸時代の日本人は、現在よりもずーっと、
機知とユーモアに富んでいたようです。

前にも述べましたが、明治維新で、
日本がDSに乗っ取られ、
日本語教育が著しく劣化してしまいました。
それとともに、注意深かったはずの日本人が、
騙(だま)されてばかりの鈍感な民族にさせられてしまいました。
勤勉が取り柄の、お上にたてつかないお人好し。
だから、搾り取られ放題だったわけです。


「愛」は、感謝と思い遣りが基本ですが、
「思い遣り」と「忖度(そんたく)」はまるで意味合いが違います。
思い遣りは、愛ある「他利」なのですが、
忖度は、「他利」であるように見えて、
実は、私利私欲の支配者が、「他」なのであって、
お上(権力者:DS)に気を使いなさいよというのが、
「忖度」という言葉の妖怪な本質だろうと思っています。
なので、ここ数年、この言葉が急にもてはやされています。
闇側の焦りと取れないこともないでしょう。

悪は悪なのです。
虚偽と利権で膨れ上がった支配者たちに対する、
正当な怒りのエネルギーは、高い波動になると信じましょう。


この頃、「ヤカンの沸騰論」
というのをよく目にするようになりました。
公共放送などでのデクラスが遅いなあ。
と感じている人も多いかと思います。
早くやってもらって、みんなが目覚めて欲しいんだけど。
と、焦りに似た気持ちを持っている人も、
少なからずいるようですね。

でも、真実に気付いた人が日本ではまだまだ少ない。
みーんなマスクしてますしね。

そのような現状でデクラスしても、
多くの日本人の波動が低いので、
肩透かしのような状態になるというのです。

DSへの沸々(ふつふつ)とした怒りのエネルギーが、
日本という「ヤカン」の中で充満し、
「もう、我慢ならない!」
といった爆発的な吹き出しが必要なんだそうです。

それで、ヤカンの蓋(ふた)が、
「パーン!」と吹っ飛びます。

それで初めて、デクラスが大きな意味を持つ。
ということではないでしょうか。

私たちも、数か月、数年かけて真実に目覚めたはずです。
私は、約2年ですが、それでも短い方でしょう。
一つの事実を知る度に驚き、
何度も何度も怒りが沸き上がったことでしょう。

まったく目覚めていない人が、
あふれるばかりの度肝を抜かれるような真実の数々を、
いっぺんに知らされると、
ポカーンとしたり、キョトンとしたりするだけでしょう。
「はあ?なんじゃそりゃ。」
「ばかなこと言うなよな。」
と、相手にしないかも知れません。

なので、例えばアメリカでは、
8割の国民が覚醒したら、
デクラスをしようということになっていたようですが、
それでも、一挙にではなくて、
やっぱり徐々に行われていますね。

Qチームの皆さんは、
光の勝利は既に確定しているので、
一般人にどのように真実に気付かせていくかを、
重要な作戦と位置付けて、
念入りにデクラスを積み重ねているように思います。

日本人は、もっともっと深ーく洗脳されていますので、
更に入念な作戦が必要です。
長い時間がかかるのは、当たり前だと私は思っています。


すみません、ちょっと話が逸れました。
愛についてでしたね。

GESARAは水面下でしっかりと進んでいますので、
デクラスまでの間に、私たちの愛を高めましょう。
というのが、今回のテーマです。

気の合う人と一緒にいるのは、とても気持ちの良いものです。
波動の周波数が似通っているということのようですが、
あうんの呼吸と言いますか、
言わなくても心が通じ合っているという状態です。
一種のテレパシーだろうと思います。

お互いが相手を尊重していますので、
互いの行動を束縛するようなことはしません。
それぞれ自由に振舞うのですが、
決して干渉することもありません。
それも、愛の具体的な形です。

周りの人々がみんな気が合う人なら、
どんなに素晴らしいでしょう。
まさに、天国にいるような気分でしょうね。

でも、今の日本では、DSが作り上げた常識が幅を利かせ、
日本人を束縛しています。
日本人同士がお互いに干渉し合うように仕向けてきたのです。

~するのが当たり前。
~して当然。
というのが、常識的思考で、
常識の前には、個人の行動が著しく制限されてしまいます。
それでも、反発する日本人が出ますので、
法令や法律で縛り、常識的思考しかできないようにさせられました。
常識は、虚偽と利権の常とう手段だったのです。

人の目を気にする。
世間体が気になってしょうがない。
周りに合わせようとして、おどおどしている。
そのような日本人になっていましたので、
闇の勢力のやりたい放題だったのです。

口うるさく干渉してくるような者には、
決して「愛」を感じることはないでしょう。
相手を束縛し、自由を奪うのは、
「愛」とは真反対の行為です。

つまりDSは、あの手この手で、
詰まらぬ常識をあまた作り上げ、お互いを干渉させて、
その先にある、「愛」を奪ってきたのです。

私は、GESARAの進行を促進するために、
より多くの日本人が、真実に目覚めるのを手助けするとともに、
常識に対して「反骨精神」を持ち、
きっぱりとはねのける心の強度をアップしていきたいと思っています。

今の地球は、愛と光の波動が高まっていますので、
以前(2012年頃)よりもずっと、
干渉と束縛への抵抗がやりやすくなっているのを感じています。
DSの大物たちは既に逮捕されていて、
強い支配者を失って、右往左往していますので、
その手下だった者たちも次第に弱気になっていることでしょう。
頑強に抵抗はしていますが、時間の問題です。

常識にとらわれず、
人目を気にせず堂々と、嫌なことをせず、
好きなことをやり続ければ、
波動は自ずと高まっていきます。

楽しいこと、わくわくすることをすればするほど、
「他利」の精神は強まります。
つまり、愛の波動が生まれるのです。
常識にとらわれて、やりたくないことをしてしまうと、
DSの思う壺となり、デクラスは一層遅れるでしょう。

もう皆さんはお分かりかと思いますが、
「愛」の対義語は、「干渉と束縛」なのではないか。
と考えるようになりました。

相手を自分の思い通りにしようとするのが、干渉と束縛ですね。
そこには、自分への隷属を強いて、
自分への利益へ導く「利己」の概念しかありません。

私たちは、新世界への道を歩んでいます。
「愛」のある人々、「善」なる人々であふれる世界です。
まずは、身近な人たちへの「愛」を育てましょう。
尽くしたり、献身したりするというようなことではありません。
自分の価値観を押し付けたり、
気に入らないことを無理に、
修正させるようなことは止めましょうということです。
相手をあたたかく見守り、
できれば、共感してあげることです。

元々、日本人は謙虚なので、
自分の「我」を他人に押し付けるようなことはしないはずです。
清廉で、質素ですから、
他人を利用して儲けようなどという発想はありません。

日本人の忘れかけていた、いや、
DSに、忘れさせられてしまっていた、
「愛」ある日本人の精神性をカムバックさせる。
それが、GESARA後の新しい世界で、
日本人が大活躍するための道筋であろうかと思います。
目覚めた私たちが、率先して、
日本人の誇りに胸を張っていく時だと確信しています。


うんと好きなこと、楽しいことをして、
目一杯今を明るく生きている。
そのような人は、ほんとうに魅力的です。
心が満たされていますので、
周りの人にうるさいやつだと思われることはありません。
他人にとやかく言うこともありません。

そして、人々の、愛への目覚めに導いてくれるでしょう。

アイラブユー(私はあなたを愛してます)というのは、
あなたを決して束縛したり干渉したりしませんから、
安心して私の元へ来てください。
そして、一緒にお互いを尊重し合い、
高め合いましょう。

という意味だったんですねえ。

かな?


無謀にも「愛」という壮大なテーマに挑戦してみました。
いつもながらの手前味噌な論調になりましたが、
最後まで読んでくださって、感謝します。

ありがとうございました。

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