内村鑑三、タテマエの言論は嫌い
タテマエの取りすました言論は要らない
内村鑑三が書いていたことだが(出典は忘れた)、若者が自分たちの言論をまとめた冊子を内村に贈呈した。
後日、その感想を若者が問うたら内村は言い放った。
「ああ、あれはもう暖炉で燃やしてしまいました(便所紙にした、だったかも)」(ひどいおっさんやw)
しかし、大事なのはここから。
青年は当然のことながら「なぜですか?」と食い下がった。
内村はにやりとして(ここは私の脚色)答えた。「あれらの文章は、本当に君ら自身が悩んだり考えたりして書いた文章なのか? そうではないだろう? 世間受けのする内容で、整った文章を書いているだけではないか?」
さらに内村は言葉を継いだ。
「もし君たちが、本当に自分の真剣に考えていること、模索していることを筆にしてくれているなら、それが名文であろうがなかろうが、私はそれに装丁を施して、自分の本棚の一番いい場所に置いておくよ」と。
内村の言論観がよく表れたエピソードだと思う。真“実”を追求する。
*ついでに言えば、日本の大手メディアの言論は、内村なら暖炉で燃やしてしまう、そういう精神に覆われているのではないか? それを肌感覚で不満に思う読者の側で、「ホンネを言ってる」と勘違いした(あれってdappiに象徴されるような、人を「乗せる」のにきわめて人工的・計画的なものですわな、ほんとは)ネトウヨ的言説に乗せられたってことでは?
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