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内村鑑三、タテマエの言論は嫌い

タテマエの取りすました言論は要らない

内村鑑三が書いていたことだが(出典は忘れた)、若者が自分たちの言論をまとめた冊子を内村に贈呈した。

後日、その感想を若者が問うたら内村は言い放った。

「ああ、あれはもう暖炉で燃やしてしまいました(便所紙にした、だったかも)」(ひどいおっさんやw)

しかし、大事なのはここから。
青年は当然のことながら「なぜですか?」と食い下がった。

内村はにやりとして(ここは私の脚色)答えた。「あれらの文章は、本当に君ら自身が悩んだり考えたりして書いた文章なのか? そうではないだろう? 世間受けのする内容で、整った文章を書いているだけではないか?」

さらに内村は言葉を継いだ。

「もし君たちが、本当に自分の真剣に考えていること、模索していることを筆にしてくれているなら、それが名文であろうがなかろうが、私はそれに装丁を施して、自分の本棚の一番いい場所に置いておくよ」と。

内村の言論観がよく表れたエピソードだと思う。真“実”を追求する。

*ついでに言えば、日本の大手メディアの言論は、内村なら暖炉で燃やしてしまう、そういう精神に覆われているのではないか? それを肌感覚で不満に思う読者の側で、「ホンネを言ってる」と勘違いした(あれってdappiに象徴されるような、人を「乗せる」のにきわめて人工的・計画的なものですわな、ほんとは)ネトウヨ的言説に乗せられたってことでは?

日本の5000円札になったのは新渡戸稲造だが、内村は切手にはなった(8円切手。1951年)。
同じクリスチャンで、2人とも札幌農学校出で、すなわち「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のクラーク博士の弟子で、国外内に大いに言論を張ったが、
世界的にも内村の方が新渡戸より、やや有名であろう

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