クリ時旅人

人類がどう生き延びるかを考えるために、日本のキリスト教についてのノンフィクションと、そ…

クリ時旅人

人類がどう生き延びるかを考えるために、日本のキリスト教についてのノンフィクションと、その意味づけを主に書いています。クリスチャン新聞記者を15年やりました。ネット上に、20世紀の日本のキリスト教にまつわる出来事をきちんと残しておきたい。日本社会を我々も共に作った証しとして。

最近の記事

  • 固定された記事

自己紹介♤日本のクリスチャンの現代史を残したい

私は、三浦三千春(みうら・みちはる)と申します。関西在住です。 日本ではマイノリティのクリスチャン(キリスト教徒。世界ではマジョリティ)の一員です。 人生の失敗もそれなりに経験した人間として、クリスチャンの角度からものごとの本質を見極めたい、それをプラグマティック(理念ではなく実用的に)にやりたいと願い、この「クリ時旅人」のNOTEを開設しました。 全くキリスト教色のない家庭に生まれました 母方が「クリスチャンの家系」だけれど、身近なキリスト教徒に躓いた若き日の母はクリ

    • 「光る君へ」に思う“両面”

      光る君へ が、たいへん気になる。 「両方」の評がある。 1雅な貴族の文化 1000年前に「源氏物語」を生み出させた文化の高さ。知的営み、美意識の高さ。 しかしそこに、さわやかならざる醜い権力抗争の日常もあり、そんな苦難があってこそ「源氏物語」が書かれる契機もあり、その内実もあったことに思いを致す。 2名もなき庶民の境遇 一方、貴族ならざる庶民(という概念ですらないかも。そう、民草、ってことばはあったな。草だよ草WW)。 都にすら、路上に死体は放置され、犬がそれを食い

      • 山本太郎の方が正しい

        🔷意外に思われるかも知らんけど、私、山本太郎さん好きだし、支持する。   彼は関西で子ども時代、母一人子一人のお母さんが、ペルシャ絨毯(ここがまた可笑しい😁)の販売に奔走する間、今の学童保育みたいに、カトリック教会に入り浸っていた。   カトリックは第ニバチカン公会議以来、社会の問題に積極的に目を向けコミットする路線が打ち出され、そういう司祭さんのところに預けられていた、ってことでは? その司祭の「後ろ姿」を見て子どもの太郎は育ったわけだ。 実際2019年、日本に教皇フラン

        • 人にとって一番大事なのはやさしさ(寛恕)だと思う。厳しくせざるを得ない局面でも根本に寛恕があってほしい

        • 固定された記事

        自己紹介♤日本のクリスチャンの現代史を残したい

        マガジン

        • 私のキリスト教信仰体験ありのまま
          7本

        記事

          私はクリスチャン新聞記者の目でいろんな人を見てきたが、一番英明なリーダーって、「絶対に間違いを犯さない」人ではなく、自分が間違いを犯す可能性のある人間だと重々分かっている人だと思う

          私はクリスチャン新聞記者の目でいろんな人を見てきたが、一番英明なリーダーって、「絶対に間違いを犯さない」人ではなく、自分が間違いを犯す可能性のある人間だと重々分かっている人だと思う

          Request to Evangelical Christians in U.S.America

          Mr.Ippei Mizuhara, interpreter for Mr.Shohei Otani. They moved their activities to the U.S. Major League with the belief and expectation that they could be active in the U.S. and spread their wings more globally. However, what awaited the

          Request to Evangelical Christians in U.S.America

          キリストへの信仰は、理屈っぽく論じるのではなく、もっと心で感じたい。熱く感じたい、そういうもの。 歴史の中に起こったこと、それを通して伝わってくる救い主の心を。

          キリストへの信仰は、理屈っぽく論じるのではなく、もっと心で感じたい。熱く感じたい、そういうもの。 歴史の中に起こったこと、それを通して伝わってくる救い主の心を。

          神の子となる特権って何? 受難週を覚え

          「しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子となる特権をお与えになった」と、聖書の「ヨハネの福音書」1章12節に記されている。 (受難週を覚えて、中高科=若い人々=に向けクリ時旅人が語った内容です) 「この方」とは、私たちが主とお呼びするイエス様のこと。 むごたらしく十字架にかけられて殺されたお方だ。そんな人をなぜ主、などと・・・。 ▲YouTube映画「ジーザス」。受難、十字架の場面は1:24辺りから 「この方」は、正しいことを言い、弱い

          神の子となる特権って何? 受難週を覚え

          小坂忠とミクタムの音楽は日本の文化

          Chu Kosaka's Gospel is Japanese culture. ミクタムの楽曲たちは、日本の、またキリスト教会の生み出した世界に誇るべき文化だと思います。 1970年代、草創期のJ-POPの寵児だった小坂忠という人が、これからもっと人気者になろうという時期に、娘のいのちを助けてくれた神を信じ、この方が本当の世界の救い主だと分かり、ヒッピーみたいな出で立ちの自分に老牧師は、顔をじっと見つめながら、「君は音楽芸術家なんだね」と言ってくれた。 その時、忠さんは

          小坂忠とミクタムの音楽は日本の文化

          ポストモダンにおけるリーダーズシップ

          敢えて「リーダーズ」と書いた。 ポストモダンの取り柄は、「主観」の大事さを公認しているところだろう。 近代やそれ以前の組織のように、一人のリーダーに意思決定が集中する考え方にはそぐわない。 かといって、近代の生み出した「民主主義」にも限界が来ている。 自分の立場において主張することが、社会への責任性の担保というものだろう。 一つの教会においてさえ、異なる立場における各リーダが、良好なパートナーシップを築き、相互に良い意見は採用し、気付きの至っていなかった悪しき点は改良する

          ポストモダンにおけるリーダーズシップ

          94天職発見3 車掌さん

          940605クリスチャン新聞 クリ時旅人(三浦三千春)筆 キーワード 土井孝幸 姫路福音教会 鉄道福音同志会TFD 高見勝平 国鉄福音同志会 鉄道キリスト教青年会 国鉄を生きる 孝原勉 甲子園ミッション リバイバル・トレイン アーサー・ホーランド

          94天職発見3 車掌さん

          ジャーナリストの元祖、ルカ

          ルカは異邦人であるが、パウロの伝道を受けて「クリスチャン」となった。 パウロに同道して、パウロや初代教会の面々が引き起こす(その実は、神が引き起こす)さまざまな出来事の目撃者として、それを記録し、またそこに刻まれた言葉を書き残した。空中に散逸してしまわないように。 やがて、自分が出会う前のパウロの出来事も訊かせてもらうところとなった。 その取材は当然のこととして、パウロよりもっと前から主イエスという方に従い、目撃・体験した人々に話を訊かせてもらうこと(こんにち的に言えば

          ジャーナリストの元祖、ルカ

          厨房(中学生)だったヨハネ 若き日の“記憶”は輝きを増す

          中学生の年齢の時、ヨハネという少年は、バプテスマのヨハネに弟子入りした。 学校制度の整った現在では考えられないことだが、日本でも昔、また動乱の時代、そういう歳の若い人が、生きる道を求め、「真理」を求め、自分が「この人だ」と思う師匠についていくことはあった。 ある日、師匠のBーヨハネは、一人の人物を指し、「見よ、神の子羊」と言った。 心が動揺する厨房ヨハネ。 師匠は、「この人に付いていっていい」「いや、ついていけ」と目で促した。 イエスの弟子となった。12弟子の一員と

          厨房(中学生)だったヨハネ 若き日の“記憶”は輝きを増す

          子らへのエールと愛の歌「プラチナ」(ラブソングの枢要2)

          聖書を知っている文化圏では、ラブソングに神の愛が隠され、神の愛がラブソングに仮託して歌われることがよくあると、かつて「ラブソングの枢要 ♫I will follow him なぜ、今この曲が?」に書いた。 「私はあなたにずっと付いていくわ」という恋の歌が、映画「天使にラブソングを」において、シスターたちによって「イエスさま、あなたにどこまでも付いていきます」という、神への愛の歌として歌われたことを書いたのだった。 さて、今回は趣きを異にして、アニソン「プラチナ」を取り上げた

          子らへのエールと愛の歌「プラチナ」(ラブソングの枢要2)

          『クリスチャン新聞』夜明け前&…今の「達成」

          年初、思うところあり元職の元上司である守部さん(元クリスチャン新聞編集長)に電話し、1967年5月創刊の、週刊『クリスチャン新聞』の発端や、初期のことについて電話で聞き始めた。 聞いてすぐに、メモに基づいて、聞いたことを書いておきたいと思う。加えて、現時点でネットにて調べ得た情報と、そこから私が気がついたり推測したこと、解説も若干加える。 この時点でネットでシェアーしてしまうのは、今の時代に「正しい」、少なくとも相応しい進め方だと判断しますので、そうさせていただきます(登場

          『クリスチャン新聞』夜明け前&…今の「達成」

          クリ時旅人こと私は個人の立場なので、何について、どのように書くことも自由だ。組織人としてのように「体裁」や「順序」に囚われ、こだわることなく執筆・編集できる。 ただ書いた内容は、「事実」に関するノンフィクションである場合、より正確であることを期したい。「変則技」はそのためのものだ

          クリ時旅人こと私は個人の立場なので、何について、どのように書くことも自由だ。組織人としてのように「体裁」や「順序」に囚われ、こだわることなく執筆・編集できる。 ただ書いた内容は、「事実」に関するノンフィクションである場合、より正確であることを期したい。「変則技」はそのためのものだ